徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

夏と歌と電車

高度成長に沸いていた頃、岡林信康がフォークの神様と呼ばれていた。山谷ブルース。名前だけしか知らないその曲は、タイトルからしてワーキングクラスの悲哀を歌っているに違いない。チューリップのアップリケなんて歌もあった。まだ少年の頃に両親と見ていたテレビで流れていた。酷く暗い曲だったことだけ記憶にある。

空前の好景気、のちのバブルにつながる坂道を登り続けていた頃の日本を彩ったのは、明るいとは言えないフォークソングだった。

天使にラブソングを」という映画をご存知の方も多いだろう。通っていた中学校の音楽教師が好きな映画だった。授業中に観たのを覚えている。ゴスペルの映画だ。アメリカのハイスクールのゴスペル部の顛末を描いていたはずである。劇中でゴスペルの出自に触れており、黒人が弾圧されていた頃に作り上げられた音楽であることを学んだ。

誹謗と中傷の礫をぶつけられながら生み出した音楽は、えらく明るい人生賛歌だった。

歌は世につれ世は歌につれ。世情に沿ったり反発したりして歌は世を映す。好景気の裏側、光化学スモッグに煙った日々を鬱々と綴ったり、苦しみの雲間から一筋の光が入ることを求めて明るい歌を唄う。

時代を見るといつも不安定で、不断の成長を求めてバランスを崩しながら進んでいく。シワが寄るところと引っ張られて千切れるところが生まれ、シワのたわみと千切れた隙間に歌が滑り込む。時代にしか生きられない僕たちの心を満たして行く。


今日はよく晴れている。夏日で、暑いが村雨を呼ぶほどの暑さではない。シャツ一枚でちょうどいい。通常の7掛けくらいの仕事で抑えて回る。心配と不安は尽きないが、太陽に当たっていると除菌殺菌をしてくれるようで、すーっと平穏な心持ちになるのがわかる。

こんな時に素晴らしい曲でも書けたらと思ったのだが、安定してしまった心からは何も生まれなかった。水は高きより低きに流れる。平地に流れは生まれない。納得である。

西日が差す電車はまだ帰宅戦士たちに埋め尽くされずにいる。ほんの気持ちだけ早く帰れた喜びを分かつ訳でもなく、一定間隔を開けて人は立つ。耳元にはイヤホン。今日一日の隙間を満たす曲がきっと流れている。

穏やかに電車に揺られて、気付けば、日が暮れていた。