徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

酢酸ビニル樹脂エマルジョン接着剤

昨日革靴の手入れをしようと思いたってホームセンターに行った。靴は顔。サラリーマンにとって、靴は顔。

どうやらホームセンターとか文房具屋とか雑貨屋が好きらしい。今のままの人生を生きていたら絶対に使わないであろう道具を眺める時間ほど全く意味をなさず、静謐な時間はない。ありえない容量が入っている紙やすりとか、世紀末のクラゲみたいにコードがうじゃうじゃ出ているメーターとか、堪らない。フラフラしていると、3キログラム入っている木工用ボンドがあった。思わず手に取る。ぶにゃぶにゃした感触が気持ちよかった。不意に商品名が目に留まる。

「酢酸ビニル樹脂エマルジョン系接着剤」

話は飛ぶが、中学の技術と言えば何を思い浮かべるだろうか。僕が卒業した中学校の技術教師はその道の第一人者と言っていい人であったらしい。そのためか、同世代の同窓生たちは他の中学生たちとは違う技術科観を植えつけられている。僕たちはとかく主要科目とは言い辛い技術科に恐怖し、涙し、そして笑った。

思春期の入り口、未発達甚だしい少年少女たちが中学の門を叩く。ゆとりと呼ばれる世代の只中を生きた僕たちは何かと打たれ弱いと言われ、現実確かに打たれ弱く、恐怖に次ぐ恐怖を突きつけてくるような鬼軍曹と出会わずにほやほやと12年間の人生を謳歌していた。

春というと出会いの季節であり、出会いには自己紹介がつきものである。中学教師たちはこぞって最初の授業で自己紹介をしてくれ、私はこんな人ですよ、今年はこんなことやりますよ、一緒に頑張っていきましょうね、と優しく手を差し伸べた。当たり前っちゃ当たり前である。しかし技術科は違った。彼は自己紹介をしなかった。技術科とはどういった授業をするのか紹介もしなかった。ハジメマシテもそこそこにフルスロットルで授業に入っていった。当時の少年少女たちには衝撃的な出来事であった。ほよほよしたオリエンテーションに塗れた中学生活の始まりに劇薬を投与されたのである。ショックだ。

まず、技術室の掟的な標語の暗誦を求められた。校歌すらも覚えていない僕らが技術室の掟を覚えたのである。反抗期が始まりつつある12歳が真面目に標語を覚えるかと思うかもしれないが、これが覚えるのである。何しろ彼は怖かった。指示を出し、少しでも動き出しが遅いと、キビキビ動く!と憤怒の声が飛んだ。独特のハイトーンボイスで顔を紅潮させ髪を振り乱しながらの声。僕らは「キビキビ動く」恐怖症になった。不良っぽい連中もなぜだか彼の声には従った。しかし彼に言わせてみれば怒ってはおらず、叱っているのだった。怒ると叱るの違いについてやはり顔を紅潮させながら訓えてくれた。

僕たちは懸命にキビキビした。キビキビ第三角方による正投影図を引き、キビキビ治具を用いて金属を加工し、キビキビノギスで直径を測った。

物の名称についても非常に厳しく教えられた。例えば「コンデンサーラジオ」なんて言おうもんならはんだごてで焼き切られる。あれは「コンデンサラジオ」である。伸ばし棒なんていらない。「コンピュータ」「エレベータ」カタカナ語の語尾伸ばしをことごとく摘発した。

その一環だったと思う。木工の時間、僕たちは確か小物入れを作っていた。釘とヤスリと、ボンド。そう、ボンド。ボンドはボンドであって、ボンドではない。「コンデンサ」「コンピュータ」と同じ論理で、ボンドのことを「酢酸ビニル樹脂エマルジョン接着剤」と教えられた。ボンドといったら叱られた。ボンドを欲しいといっても決して貰えなかった。そのため、

「先生!酢酸ビニル樹脂エマルジョン接着剤をください!」

「よし!」

みたいな会話がなんの不可思議もなく技術室では繰り広げられていたのであった。不可思議である。

そんな彼も1年経て、2年生になった僕たちにはエラく気さくな人間に変わった。一年越しの自己紹介をしてくれ、自らの名前のシンメトリーについて熱く語り、製図の知識を用いたUFOキャッチャーのコツをキビキビと教えてくれた。1年目の恐怖政治は作戦だった。大変貌を遂げた彼はそもそもの頭の良さと人柄の良さで人望を集め、卒業する頃には皆に慕われる教師として存在感を放っていた。卒業式にはお互い落涙した。

昨日、ホームセンターで見かけた酢酸ビニル樹脂エマルジョン接着剤。それは僕の心をいとも簡単に中学一年生の春に戻した。懐かしさがこみ上げてきた。靴磨きセットを買って家に帰り、淡々と靴を磨きながら単純作業の中で辿った記憶。それは苦く酸っぱく脳裏に引っ付いて離れない。まるで酢酸ビニル樹脂エマルジョン接着剤によって接着されているかのように。