僕はYouTubeを見る。
ゴミを出さなきゃ、公共料金を払わなきゃと思いながら、YouTubeを見る。
ライブの動画を見て、バンドやりたいなーって思うけれど、思うだけで、やっぱりYouTubeを見る。
ゲームの実況動画も、楽しそうにプレイしている見ず知らずの人の声を聞いて、やりたいなーって思うけれど、思うだけで、やっぱりYouTubeを見る。
仕事しなきゃ、勉強しなきゃ、ご飯食べなきゃ。
たくさんのやらなきゃいけないことと、たくさんのやりたいこと。ぜんぶ綯い交ぜになって、どれ一つ手につかない。取っ手がありすぎて、どれをもっていいのかわからないための手持ち無沙汰。虚空をさまよう手はパソコンのマウスを掴み、焦点の合わない目は画面を見つめる。
いつだってそうだった。
いつの時代だって使命の傍には誘惑があった。
ある時は漫画、ある時はテレビゲーム、携帯ゲームに、メール。脇道や寄り道はどれもこれも僕を潤した。
そして、今僕はYouTubeを見る。
数分間に、数億回の再生回数。沢山の人の、沢山の人生が突っ込まれた動画。YouTubeによって、五劫のように擦り切れていく生活。
漫画には教訓を遺され、ゲームには世代の共通言語を遺された。じゃあYouTubeは僕に何を遺すだろう。擦り切れた生活は何を形取るだろう。
静かに絞め殺されている。そんな気がする。