スピッツ「冷たい頬」についての考察なんて高尚なものではない。
「あなたのことを深く愛せるかしら」
ロビンソン、空も飛べるはず、チェリー。
スピッツといえば上の三曲を思い浮かべる人がとても多いと思う。冷たい頬は、シングルにはなっているものの、シングルの中では特別知名度が高い方ではない。スピッツの話になったとして、冷たい頬の話にはあまりならない。谷間で登板するピッチャーのような立ち位置だろう。
小さな頃、カーステレオにスピッツのベストアルバムをが入ったカセットを突っ込んで、ドライブの度に聞いていた。当時から、冷たい頬が好きだった。何が言いたいのかよくわからない歌詞に、草野マサムネの毒素の無い声、そして綺麗な音像。万人がなんとなく抱えているであろうスピッツのイメージ通りの曲。
不意に再び聴いてみて、やっぱり好きだったから、折角の機会ということでかけるだけを書くこととする。
音楽面
イントロがCとCM7の繰り返しになっている。いわゆるクリシェの寸止めである。有名どころではThe Beatlesの「Michelle」山崎まさよしの「One more time,One more chance」のサビでも使われているクリシェ。大衆受けするコード進行の前頭筆頭。冷たい頬でもC→CM7→C7と進めば普通のクリシェなのだけれど、愚直にCとCM7を繰り返す。奥まで入らない耳掃除のようである。心地よさの寸止め。
そんなコード進行に乗っかるのが、スピッツアイデンティティの一つである三輪テツヤのクリーンなアルペジオ。
ロビンソン、ハチミツ、スカーレット、ホタル、桃。
スピッツのヒット曲には必ず三輪テツヤのアルペジオがある。特に奇策のようなフレーズでもなく、さも当たり前のようなメロディを奏でる。冷たい頬もそうで、殆どただのコード弾き。コード押さえてバラバラに音を鳴らしたら済んでしまうようなアルペジオなんだけど、何故だか素敵なイントロになる。「冷たい頬」以外にありえないイントロになるのである。
心地よさの上に心地よさをコーティングしたイントロが終わり、最初のフレーズが、
「あなたのことを深く愛せるかしら」
なもんだからキュン死にする。歌詞については多分後で書く。
Cで始まる曲において、C CM7 Em Amと進むメロのコードは当たり前の進行だ。売れ線といえば売れ線、月並みといえば月並み。しかし、サビ。サビへの展開が熱い。
サビは、Gから始まる。
サビが五度のメジャーコードから始まる曲って、とても少ない。僕の薄っぺらな辞書の中にはこの曲とThe Beatlesの「I've just seen a face」しかない。知らずうちにもっと聴いてるのかもしれないけれど、きちっと把握している中では二曲である。
五度はめっちゃ有用なんだけど究極の脇役的なところがあって、サビでガツンと使いづらい性質がある。でも、使ってみるとサビが明るい雰囲気になる。冷たい頬も、I've just seen a faceもそう。冷たい頬ではサビに入るまでは朝靄のような、綺麗なモヤモヤに包まれているようなイメージを受けるが、サビに展開した途端に一気に靄が晴れた感覚を得られる。後ろでちゃかちゃか鳴るタンバリンもその雰囲気を助長してくれる。
そしてサビラスト。
「それが全てで」のところのF G Em Amではサビの高揚感も落ち着き、再び靄がかかるのを確認できる。あぁ、これでまたマイナーで終わるのかな、靄がかかってメロにつながっていくのかな。そんな予感を裏切るかのごとく平然とぶち込まれる「時のシャワーの中で」のF E7 Aである。このAメジャー。メジャーで締める意味。心が救われる。嫌なことばかりじゃない、辛い毎日の中にも何かいいことがある。そんな含みさえ感じられるAメジャー。必然だったのだろう。マサムネからしたら、必然のAメジャーだったのだろうけど、強烈なAメジャーに変わりはない。
薄日が差して終わったサビから、リーダーのベースソロが始まる。
これ、しばらくギターソロだと思っていたのだけれど、よくよく聴いてみたらベースだった。こんな雄弁にベースってソロ取るんですね。知らなんだ。一方で、右耳の奥の方でなる柔らかいシンセの音には昔から気付いていて、それはすごく好きだった。ソとミを散々繰り返した後に、ベースソロが終わる一歩前にドレミファミソとフレーズを終えていく。言ってしまえばチープな音なんだけど、そのチープさが「小さな頬」という一つの物語をいい意味で取るに足らないものにしているように思う。
ベースソロが終わり、またサビが始まり、やはりAメジャーの魔力がかかり、最後またメロに戻る。最後のメロでもやはりシンセは鳴る。
まとめると、コードの面で言えば
- イントロのC CM7
- サビのGスタート
- サビのA締め
楽器の面で言えば
- 三輪テツヤのアルペジオ
- サビのタンバリン
- リーダーのベースソロ
- ベースソロとラストメロで鳴るシンセ
がこの曲の全てだと思う。たったこれだけ、たったこれだけで、「冷たい頬」が「冷たい頬」になってしまう。そしてたったこれだけのことが、大好きだ。僕が冷たい頬を好きな理由の多くが詰まっている。
歌詞面
やっぱり大概何を言っているかよくわからないのがスピッツであり草野マサムネだ。聴き方によっては人殺しの歌にもセックスの歌にもストーカーの歌にも切ない恋物語にもなり得る。それはどの曲もそうで、もちろん「冷たい頬」も例外ではない。
比喩が司る世界においては、主語も述語も役に立たずになる。
「はちみつが甘すぎてエグい」で、「恋煩い」を表現できるのはなんとなくわかるだろうか。「はちみつ」と「甘い」が恋に掛かる。それが「エグい」。読み解けば恋煩いで間違いないのだが、「はちみつが甘すぎてエグい」からいきなり恋煩いまで飛躍しろというのは作者の要求過多だろう。
スピッツの曲はそうしたエキセントリック喩え話で150割ができているため、僕ら恋する凡人の頭で考えたって答えは出ないし、答えにたどり着いたとして答え合わせの術を持たない。
そう、歌詞考察なんて意味ないのだ。
でも、美しい。マサムネの紡ぐ言葉は瑞々しい。
「あなたのことを 深く愛せるかしら」
突然セリフから始まる。小学生の運動会の作文かよと思う。
でも、この言葉が、なんかこの曲の全てな気がしてならない。
風に吹かれた君の 冷たい頬に
触れてみた 小さな午後
壊れながら 君を 追いかけてく
近づいても 遠くても 知っていた
それが全てで 何もないこと 時のシャワーの中で
それぞれ2回ずつ繰り返されているフレーズ。多分マサムネの言いたいことはこっちに凝縮されているのだろう。小さな午後に冷たい頬に触れたことと、無駄だと知りながらも壊れながら君を追いかけたこと。それが全てだったこと。
夢の粒を弾く逆上がりの世界も、唐突に出てくるシロツメクサも印象的だ。でも、「あなたのことを深く愛せるかしら」の破壊力が何にも勝る。
どれだけ考えても答えが出ないし頭パンクするだけなら、「あなたのことを深く愛せるかしら」にぼんやりしていたい。ぶん投げ。
以上が冷たい頬に対して僕が語れるだけのことだった。
こうしている間にも時のシャワーは無情に降り注ぎ、何もしないまま夜は淡々と深くなっていく。小さな午後を取り返したいけど、また同じ朝がやってくる。
時のシャワーの中で。気だるさを傍らに、明日も働く。