徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

酒に学び、まねぶ。

学ぶというのは、まねぶ、真似をするところから転じた…みたいな話が頭の片隅に残っている。「やってみていってきかせてさせてみせ…」と山本五十六も言っている。やる、させてみる、まねさせる。これが熟達には必要不可欠なサイクルなのだろう。

学ばないことが僕にはたくさんある。

食器を放ったらかしにしてたら後から苦労するのは経験的に知っている。けど、学ばない。仕事でもそう。情けないほど学ばないことがたくさんある。

こうしちゃダメだってことは覚えているものなんだけど、覚えると学ぶには大きな隔たりがある。覚えていて、知っているのに学べない。学ばない。

そう、酒である。

酒に対する頭の悪さたるや。筆舌に尽くせない。九割九分地獄の苦しみが翌日に大口開けて待っているのがわかっていても、いきり勇んで、元気よく楽しげにフォーリンダウンする。バカなのかと言われれば、バカだ。それ以上ではないが、以下の可能性は大いにある。

享楽的な愉快さとその後の持続的な苦しみ。しかし都合よく丸一日もすれば苦しみが消えていく。忘れた痛みや苦しみほど説得力に欠けるものはなく、また同じ過ちを繰り返す。全く学ばずに。

例えば、電気が消えるように酔いが襲ってきたら、僕はどれだけの二日酔いを回避できただろうか。あ、今酔っ払った!とわかったとしたら、そこでうまくコントロールできた酔いがたくさんあったように思う。でも違う。酔いは夕暮れだ。ぬるぬると忍び寄り、気づいた時には夜。酔っ払っている。へべれけになっている。夜に入る瞬間の暗さを定義するのが難しいように、酔っ払った瞬間のアラートに気づくのも難しい。そしてまた夜がやってくるのを待っている節もある。酔っ払いは楽しいのだ。なぜ、楽しめるか。それは過去の苦しみに学んでいないからである。以下、無限ループ。

一度だって気持ち良さを感じたことに、抗うのは難しい。麻薬や覚醒剤が持つ作用のように。性にまつわるエトセトラのように。

しばらくいいやと考えていた矢先にもちゃんと酒を飲めるんだから不思議。避けるべきだと思うんだけどね、酒だけに。