徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

ほんっとどうでもいい

結構世の中どうでもいいことだらけだ。明日のマイアミの天気とかまじでどうでもいいし、石北本線が鹿と激突して止まってもどうでもいい。都内でドラッグが密売されてだとしても甚だ僕には関係ないし、会ったことのない又従兄弟とかが風邪ひいて寝込んでたとしてもまぁそうか、お大事に。くらいな気持ちにしかならない。ほんとどうでもいいことで溢れている。

サッカーとか音楽とか興味あるとしてることでも、言ってしまえば割とどうだっていい。今晩日本が負けたらどうだろう。残念だ。だけど特に暮らしに支障はない。明日も普通に生きる。勝ったら嬉しいけど、よっしゃ勝った!って言って明日も普通に過ごす。にやけが止まらないとか、そんなことはない。結構そんなもんだ。

親が死ぬとか、自分が死ぬとか、配偶者が死ぬとか、どうしてもどうでもよくない事ってそのくらいしかないんじゃないか。どうだろう。帰属意識がめっちゃ強い人は違うのだろうか。

仕事でお金もらってるけど、あれも考えようによっては「どうでもいいことを必死にやる対価」みたいにも捉えられる。生活のために働いていると割り切っている人は元より、仕事だから真剣にやる人、真剣にやってたら案外面白くて好きになってきた人、そもそも好きなことを仕事にしている人。これも色々あるだろうが、どういうパターンであれ、本来の本来のところは多分どうでもいいんだと思う。どうでもいいながら、次第にどうでもよくなくなって、真剣にやっている。どうでもよくないって思ってくれてありがとうっていう会社からの謝礼が給与だ。

さらに考えてみれば結婚は多分どうでもよくない人を増やす行為だ。普通に生きていても、仲良い友達とかどうでもよくない人は出てくるだろうけど、結婚は国に対して書面でどうでもよくないことを示す。どうでもよくない宣言である。そう考えたら別に男女間じゃなくても許容してあげればいいのにって思う。彼にとって、彼女にとってのどうでもよくない人なんだから。

みんな案外どうでもいいなって思って生きているんだから、「興味ないんで。」みたいな突っぱねかたをすることもない。僕はあの突っぱねがほんと苦手で、興味ないって言ったら元も子もないじゃん、みんな興味ないことだらけの中で生きてんじゃんって諭してやりたくなる。わかってるよ興味ないことなんて。興味なくても優しさでぼやかせよ。

どうでもいいんだけど。