徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

レースという必殺技

すっかり秋めいてきましたね東京。ほっかほかの脱脂綿を口元に当てられてるような日々を経て、びっくりするほど過ごし易い季節がやってきている。Tシャツ一枚では肌寒く、羽織ったらほんとちょうどいいくらい。これぞ北海道の夏って感じの秋である。

そんな季節になっても、まだ世にはレースが跋扈している。

盛夏の頃からずうっと思っていたけど、女性が服装にレースをチョイスする率が凄い。おびただしい。今年の流行りがレースだから何年のような事態を招いたのか、それとも例年そうなのかは知らないが、まじで右見ても左見ても前見てもレースレースレース。色とりどりのレース。

ぶっちゃけ他の格好がどうあれ、レースさえあれば女性らしいファッションになるのではなかろうか。逆に男しかできない男らしいファッションってほとんど思い浮かばない。このご時世にファッションに性差を求めるのは野暮かもしれないがしかし、ある種これは女性のアドバンテージですらあるだろう。迷ったらカレー出しといたら喜ぶみたいな必殺技である。迷ったらレース。


一度気がついてしまうと、もうどうしようもない。レースばかり目につく。秋口に入ってもなお、レースばかり目に入る。気がつくと、レースを探している。レースがいないと不安になる。いいのか?Tシャツに黒パンにパーカーで本当にいいのか?レースって柄じゃないからって、逃げていやしないか?レースは柄だぞ?そういう意味ではないか?袖口に、首元に、裾に、スカートに、レース。

考えてみれば、実家の食卓テーブルにも昔レースのクロスが敷かれていた。20年は前の思い出だ。端を引っ張ったら形が変わるクロスで、よく遊んだものだった。近沢のレースか、なんでもないレースか。わからんがしかし、思い出の地平から20年経った今、僕は再びレースに取り憑かれている。


ふと、目をやる。

モコモコしたカバンを手に持つ女性がいる。ファーである。そう、季節は秋。レースは次第になりを潜め、今度はファーの季節がやってくる。ファーってすごくないか。ファーだけで名詞って凄いぞ。こういう雑な名詞で許されるのってミランダ・カーくらいなもんだと思ってたが違うらしい。ファー。ファーにフォーカス。ファーカス。


日々はつづく。