徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

あの日、開成に合格した混沌は今。

受験のシーズンですね。

ほとんど受験らしい受験を通過せずに今まで来てしまった。それが人生においてどう作用しているのかわからないけど、それでも別に良いような、けど、少しだけ引け目に感じるような、微妙な気持ちである。

地元が田舎だから、高校までは家から一番近い学校に進んだ。強いていえば高校受験をしたが、さして激烈を極めるような受験ではなかった。その後、高校でイイ子にしていたら指定校のお話が転がりこみ、部活もやりたかったからヌルヌルと進んでいったのが、その名ぞ我らが母校。22年ぶりの戴冠、おめでとう。


どうやら都会の受験がマジで大変らしいと知ったのは、小学六年生の頃だった。土曜のお昼、母ちゃんと二人でワイドショーを見ていたら、都会の受験の様子が映された。開成中学を受験する男の子に密着したドキュメンタリーだった。僕は衝撃を受けた。かたや、北海道の片田舎でゆとり教育に頭からつま先まで浸かり、ツアーコンダクターになろう!みたいな授業でスコットランドの地理とか名産について調べて発表して、休み時間や放課後には元気に鬼ごっこをしているというのに、テレビの中の彼は頭からつま先まで受験勉強に浸かっていた。僕がスコットランドについて少しだけ造詣が深くなっている最中、彼は何かの体積を求め、僕が鬼ごっこにうつつを抜かしている間、彼は文学をしていたのだった。ぜってー鬼ごっこの方が楽しいのに…とは、思えなかった。それだけ鬼気迫るものが受験にはあった。どちらにせよ鬼ですね。

彼はめでたく開成中学に合格し、合格発表の会場でテレビカメラに将来の夢を尋ねられ、こう答えた。

「これから先、混沌とした社会の中で決めていければいいと思います。」

この時から、我が家では彼のあだ名は「混沌」になり、受験の代名詞として今もなお話題に上がっている。


都会に出てきてしばらく経つ。

やっぱり、都会では中学受験は当たり前だ。周りの同期や友人たちも受験戦線をくぐり抜け、今まで至っている。きっと開成に入学した彼は、僕なんかが行こうと思っても行けない大学に進み、なろうと思ってもなれない職業についているだろう。混沌とした世の中で自分の為す道を見つけたはずだ。じゃあ鬼ごっこをしていた僕の現状はどうかといえば、案外都会のスタンダードくらいの位置に流れ着いている印象がある。

これで田舎でもなんとかなるとか、都会は大変だとかって論じるつもりはない。色々な運が絡まりったおかげで今がある。

こんなに先進国っぽい日本でも、生まれた場所によって教育の機会は幾分変わる。勉強に燃える友達がいるかいないか、塾があるかないか、進学校が近くにあるかないか。僕はたまたま地の果てなりに教育の機会にも恵まれた地区に生まれて、進学に理解のある親にも恵まれ、帳尻を合わせることができた。これが、若干でも生まれた地区がずれていたり、違う両親のもとで育ったら、人生の転び方は変わっていたはずだ。それは、どうしようもない運でしかない。


普段、どうしようもないくらいちゃんと育ってきた大人たちといるからわからなくなるけど、日本はまだ偏りがある。これをどうかできるようなポジションに今はいないので、どことなく憂うしかできない。

混沌とした世の中でいろんな縁と巡り合いながら、ポジションが変わったときにでもなんとかできればいい。