徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

約束のネバーランドを一気に観てみた

ジャンプを買わなくなって10年ほど経つ。当時、ハイキュー!!も始まっていなかった。ワンピースはシャボンディ諸島を抜けたところだった。BLEACHもナルトも絶賛連載中。古き良き2010年代が始まった頃のジャンプである。

化石のごときジャンプの記憶しか残っていない僕に、約束のネバーランドなど知る由もなかった。2年前ほどに連載開始されたジャンプ漫画で、巷では大変な人気を誇っているとのこと。

Amazon primeに乗っかっていたのと、評判は聞いていたので、アニメで見てみた。そういえばジャンプ漫画のアニメ化ってほとんどがテレ東でやるから、地の果てオホーツクではみられなかったんですよね。ジャンプ漫画界の急先鋒ワンピースのみがフジテレビ。もはや局という概念すら無くなりつつある。便利な世の中になったものである。


さて、約束のネバーランドなのだが。

ジャンプっぽい漫画じゃないよねって、多分言われているのだろうと思う。デスノートしかり、アスクレピオスしかり、どことなく暗くて不協和音がずーっと流れているような漫画っていわゆるジャンプっぽい漫画ではない。

あらすじをかいつまむと、孤児院で安穏と暮らしていた少年少女たちがある日自分たちが外の世界の怪物たちの食料として飼われていただけだと知り、孤児院からの脱出を企てる話。

ただの孤児院が様相を変える衝撃はなかなかのものだったし、3人の天才児童がゴリゴリ脱出に向けて手立てを考えていくのを見てるとジャンプっぽさは確実にそこにあった。


この手の物語をみてどうしても考えさせられるのが、養殖についてだ。人間は自分たちのご飯にするべく平気で養殖するけれど、人間を食料とする知的な生物がいたとすると逆に養殖される場合も考えられるわけである。なんでもなく想定される事実ではあるがしかし、実際に描写されると違和感を覚える。

肉にしろ魚にしろ、なんだって命なわけで、動物の世界や魚の世界にもある程度の社会性がもしあったなら、約束のネバーランド的な物語が巻き起こっているやもしれない。そう考えると、やはり僕らは生命をいただいて生きているのだなぁと、改めて思い知らされる。


生命なしに生きてはいけない我々である。せめて、心よりのいただきますを捧げようと思った。

漫画版はまだまだ続いているようである。第2期に期待。