徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

コートを失くす

しっかり者と最後に呼ばれたのはいつだったろうか。小学生の頃、僕は人より身体が大きかったがために、しっかり者と評されたことがある。しかし、しっかり者とは性格を形容する語であり、ガタイの良さを形容する言葉ではない。小学生教師は僕の本質を全く理解していなかった。その証左が本日の出来事なのだが、コートを失くした。

意気揚々と退勤しようとした今しがた、コートがないことに気がついた。事務所の中をくまなく、他のフロアも探したが、なかった。

僕は今日、事務所から一度外出している。とある式典に参加するべく、みなとみないまで伺った。その時点でコートを着ていたのは記憶にある。帰り道にコートを着ていた確たる記憶がない。何しろ帰りは地下鉄であり、ずっと室内であった。気づかない。現に今、コートがない。自ずと導かれる解は、ホールに忘れたである。がしかし、電話をしてもホールに届けられていないとのことであるから、もうどうしようもない。

誰かに持っていかれたのかもしれないし、時差があって届けられるのかもしれない。


例えば傘もそうだ。

猛烈に失くす。高かろう安かろうを厭わず、紛失のかぎりを尽くす。粉のように失くなるとはよく言ったものだが、粉のようになっているのは自身の脳味噌か、記憶である。一つの物事に一生懸命になったら、もう片方がわからなくなる。なんとなく傘紛失への理解は多数から得られよう、が、重衣料を失くすなぞ前代未聞ではなかろうか。

どうしてくれよう、このタチを。


ひとまず、寒い。

もったいないとか、悲しいとかより、寒い。五感は感情より先に立つ。電車に乗れども、皆がもこもこなのに僕だけ明らかに場違いである。ツレがいないからギャグにもならない。寒さは切なさを呼ぶが、この場合の切なさは愛おしさを呼ばず、ただ寒いと切ないのシャトルランを繰り返す。


明日またホールに電話してみようと、心に決めています。