徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

立ち飲み屋は何故立たせるのか

立ち食いそばもそうだ。何故立たせる。

人間の最大にして原初の欲求である食欲・性欲・睡眠欲の三大欲求は、極力荘厳で静謐な環境にて満たされなければならない。違いない。不可能な状況下もあろうが、極力、そうでなければならない。違いない。

なのに、何故立つ。立たせる。回転率を上げたいからか。店側の思惑か。

あえてスリリングな環境でステキなセックスライフを楽しむ趣味趣向があることも存じ上げてはいるが、それは自発的にデンジャラスプレイを望んでいるだけである。

しかし立ち食いそばや立ち飲み屋は、環境が僕らを立たせにかかっている。言うなれば、デンジャラスプレイを強要するホテル的なそれだ。恐ろしい。

性欲に関しては性癖という如何ともしがたいリビドーによって支配されている分がある。その点は大目に見ようと思う。デンジャラス性癖ストがワーニングいちゃこらさいさいをするのは節理である。対して立ち飲み立ち食いはどうだ。立ちながら食事をとることに快楽と興奮を覚える人がいるのか。どうなのだろうか。

富士そば小諸そばに代表されるファストそばチェーン店では、立ち食い席とシート席が用意されている。不思議なことに、座る席が空いているのにもかかわらずスタンディングでオペレーションしている場合がある。

座ったらまずいんですかね?尋ねてみたい。

立っている理由ってあるんですかね?問うてみたい。

あれだろうか、トイレの和式みたいなものだろうか。幼いころからの習慣で、和式の方が落ち着く年代もあろう。というかむしろ日本男児と大和撫子のあるべき姿はそちらである。物憂げに屈みこんで音姫するのが日本の文化である。すると立ち食いも立ち飲みも古き良き文化の名残であり、座ってお蕎麦ずるずるする方が新人類的な食し方ということになる。ゆっくりとゆっくりと洋式が和式を飲み込んでいっているように、ゆっくりと立ち飲みが座り飲みに塗り替えられていっているのかもしれない。

考えれば考えるほどのラビリンスである。

洋式が空いていなければ他のトイレを探し、ご飯は座って食べ、ぶっ飛んだ性癖もない僕は、きっと平成生まれゆとり育ちのテンプレートみたいな人間なのだろう。

立ち食い立ち飲みの良さがわかる方、教えてください。