徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

さきいか、君は。 〜さきいかが好きなだけなショートエッセイ〜

恋とか愛とかそういうんじゃなく。さきいか、君は。決してメインには踊りで得ない存在。ハンバーグやカレーが太陽なら、さきいかは月。つまみとして、あくまでつまみとして細々と存在を繋ぐが消えはしない。フォルムに似つかず案外図太い存在だったりする。

「ねーえ、私のどこが好きなの?」と恋人に訊かれるとものすごく答えに窮するように、さきいかのどこが好きかと問われると首をかしげてしまう。恋の病にでも罹患していれば、「全部好き」なんて空を掴むような放言をぶっ放せるだろうが、人間に対してもさきいかに対してもそこまで盲目になれない。視力は大事である。でも、まるで手とさきいかに磁石がついているかのように僕とさきいかは惹かれあう。一度手を伸ばしたら確実に僕の腕はさきいかと口の間をいそいそと数往復する。胃袋がものを言わずとも、口とさきいかが求めあってしまうのだ。どうしようもない。口に入れた瞬間、さきいかは控えめに存在を主張する。僕なんかが口に入っていいんですか…とぼそぼそ呟いているかのようにも取れる、味の小出し。僕は歯でさきいかの機嫌を取る。良さを引き出す。まだできる。もっと味が出てくるはずだ。せっせかせっせかさきいかを両の歯で抱きしめること数回、さきいかは本領を発揮してくる。出汁である。海鮮出汁である。歯ごたえをそのままに、全く海鮮感のない見た目から想像を絶する海鮮出汁が溢れ出してくる。あぁうまい。うまい。旨味成分を舌がキャッチする間もなく僕の右手はわしわしとさきいかをもぎ、口に放り込む。オートメーション。機械化された動きだ。

さきいかの作り方を僕は知らない。知っているのは烏賊であること、それを乾かしていることのふたつだけだ。あの絶妙な塩気がどこから来ているのか、烏賊の割になんであんなに美しい白を湛えているのか、全く分からない。あたりめはまだわかる。あいつは烏賊っぽい。というか烏賊だ。まぎれもない烏賊。でもさきいかは違う。烏賊の名前が冠されているのに、全く烏賊っぽくない。あたりめは嫉妬しないのだろうか。俺の方がさきいかだろう。なんで俺があたりめなんて呼ばれなきゃいけないんだ。一理ある。でもあたりめと僕の口に磁石は備わっていない。さきいかにだけ、どうしようもない引力が加わっている。烏賊烏賊していないさきいかが、少しだけミステリアスなさきいかが好きなのだ。

しばらくさきいか口腔間を手が往復すると、胃袋がようやく異変に気が付く。バイキングやビュッフェの時、時間差で満腹の波が押し寄せてくるように、さきいかとの猛烈な逢瀬の数分後、同じように猛烈な烏賊疲れに襲われる。おそらく胃の中でさきいかが膨れ上がるのだろう。いかがなものか。いかんともしがたい。ううむ。ちょっとやめよう。ちょっとだけ休もう。心に決めて他のことをする。雑誌とか読んでみる。スマホとかいじってみる。何かやっぱり口さみしいなぁ…って思うのが早いか手が伸びるのが早いか、さきいかはホールインマウスしている。「さきいか カロリー」「さきいか 健康」とかで検索をかけた方が身のためな気がするが、パンドラの箱という都合のいい箱のことを幸か不幸か学んでいるため、あえて調べない。けど思えばパンドラの箱って最後は開けられるんだよなぁって考える。この場合の箱開封はおそらく体調ないしは体系の変化から知ることになるのだろう。烏賊のごとく骨抜きにされてしまうのかもしれない。


満開の桜の下で、川べりで、家で、新幹線の中で、ビールと、日本酒と、さきいかを食べる。仕事疲れたなぁ、働きたくねぇなぁ、なんつって。噛んでも噛んでも咀嚼しきれず飲み込む様は、日頃振られる仕事の量と自らのキャパシティのメタファーにすら感じる。そうであれば、仕事を噛み続けることで出汁が出てくるのが相場らしい。そうか、烏賊よ。君まで働けというのか。人生の道しるべをそのいくつもの下足で示してくれているのか。リラックスの端々に仕事の影がちらつくのは如何なものだろう。まぁ、仕方がない。仕事とお金と生活はさながら三竦みなのだ。どれも疎かにできないし、何処かだけを富むことも貧しくすることもできない。しかもそこに緊張と緩和が加わり、立体的で複雑な心持ちを呈してくれている。

またさきいかに手を伸ばす。ほろほろほぐれるさきいか。僕の、誰かの、複雑なそれがほぐれる時は来るのか。

さきいか、君は。僕に何を伝えようとしてくれているのか。乾ききった君のおかげで、僕は潤おうとしている。

さきいか、君は。