小山田壮平という稀代のロックンローラーを擁して、3年くらい前まで活動したバンド、andymori。命を燃やし尽くして歌を吐き出している感じがどうしようもなく好きで、解散しようが壮平が死にかけようが新しいバンドを立ち上げようが聴いている。
彼らの三枚目のアルバム、「革命」。あまりにも前の2枚が出来過ぎていて、少しブレイクとなってしまっている感が否めないアルバムではあるが、フックとなる曲が少ない代わり総じて聴きやすい曲が多い。優等生盤である。
その最後に収録されているのが「投げKISSをあげるよ」だ。
坂本九が歌った「明日があるさ」に通ずる全肯定ソングであり、隕石に当たるような大不幸に見舞われたとしても全然大丈夫だよと大きく優しい愛で包み込んでくれる。
大丈夫ですよ 心配ないですよ
コーラを買って来ました いつもの自販機で
大丈夫ですよ 問題ないですよ
空が高くてどこかに行けそうだ
何にも考えなくていいよ 投げKISSをあげるよ
銀河の果てでさまよう君に投げKISSをあげるんだ
一番。
壮平が語りかけてくる。何があったかは知らないが、突然、大丈夫ですよと包み込まれる。ドキッとする。いつもの自販機でコーラを買ったかと思えば、空が高くてどこかに行けそうになる。この、どこかに行けそうという多幸感。辛い時って大体視野が狭まって視点が低くなってどうしようもなくなるものだが、空が高くてどこかに行けそうとはその真逆である。気分が高揚しているのが伝わる。
君が現れる。銀河の果てでさまようほどに寂しい気分で参ってしまっている君に、投げKISSをあげる。認めてあげる。愛してあげる。本当に何があったのかは知らないが、切羽詰まった人とアガペーの化身とのやりとりである。こんなに人を愛せるものかと思う。愛の表現方法も投げKISS。抱擁や応援じゃない。キスでもキッスでも、投げキッスでもない、投げKISS。古臭くて純粋な愛を感じる。
大丈夫ですよ 心配ないですよ
ケータイデンワを落っことして サイフを落っことしたって
大丈夫ですよ 心配ないですよ
昨日のこともさっきのことも全部忘れても
何にも考えなくていいよ 投げKISSをあげるよ
ブラックホールの向こう側に 投げKISSをあげるんだ
二番。
直前まではコーラを買って来たとか空が高くてどこかに行けそうだって、壮平目線で話が進んでいたが、ここでは投げKISSをあげたい誰かの様子が歌われる。その誰かは、ケータイデンワを落っことすわサイフを落っことすわ、本格的な大殺界が始まっているようだ。それでも、大丈夫ですよ。心配ないですよ。そして、昨日のこともさっきのことも全部忘れてしまう。消えゆく昨日とさっきに対してすら、大丈夫ですよ。心配ないですよ。ブラックホールなんていうわかりやすい不安と恐怖の渦の向こう側にだって、投げKISSをあげるよ。君の全部を認めて受け入れようの姿勢。
ゴミ箱にシュートしたけど外れた 泣いたふりしてみたけどすぐばれた
なんとかなるさと思ってたけどふられた ふられたって
何にも考えなくていいよ 投げKISSをあげるよ
銀河の果てでさまよう君に 投げKISSをあげるんだ
ラスト。
ここでも変わらず、ツイてない日々や情けないことを認める。散々だって、何にも考えなくていいよ。投げKISSをあげるよ。
今になって、改めて曲を聴いて、全部を認めてくれる小山田壮平という人間の言葉から危うさをひしひしと感じている。こんなに強い肯定と優しい抱擁は、絶望の淵からしかできない。苦しんで苦しんで、挙句、投げKISSをあげるよと自分に言い聞かせるように叫んでいる。ヒリヒリしてしまうのである。
小山田壮平の感受性は計り知れない。チロルチョコくらいの喜びをピエールマルコリーニのように感じることもあれば、針で刺された痛みを四肢を千切られたように感じることもあるような人間と認識している。そんな人が、「大丈夫。投げKISSをあげる」って君に伝えるふりして、自分に言い聞かせる。もうほんと苦しくなってくる。だから、空が高くてどこかに行けそうな日じゃなきゃこの曲は聴けない。大丈夫な日じゃなきゃ聴けない。