徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

死にはしないから全部捨てる

別に僕らはケチャップがなくても生きていけるし、冷蔵庫がなくても生きていける。テレビがなくとも、消臭スプレーがなくとも、パソコンがなくとも、生命としてはまったく問題がない。むしろ、生命として必要なのは体である。それ以外は蛇足。

そう考えると「体を維持すること」まつわるツールが生活必需品となってくるのだけれども、世の中大抵のことはお金が解決してくれて、お金さえ払えばそこそこ健康にいいご飯を食べられる。

 

なんでもお金払えば外注できちゃう中で、僕らが物を所有する意味ってなんなのだろうかと思い直した時、それは節約と便利と嗜好の3点でしかない。

外食するより、ネットカフェに行くより、長期的なコストが抑えられるし外出しないで済むから冷蔵庫をパンパンにするし、パソコンを買う。楽器が好きだからギターを持つし、綺麗好きだから掃除用具を買う。

 

逆に、節約と便利を捨ててもいいのであれば、物なんかいらない。こだわりがないのであれば、ものはいらない。

我が身を省みると、曲とか作りたいし文章をせかせか書きたい人間だから、パソコンや楽器は必須で、これだけは絶対に身の回りに欲しいアイテムである。捨てられない。ただ、それ以外ってあんまり必要ないんじゃないのかしらと、思う。

 

とりあえず、捨ててみて考える作戦に打って出ようと考えている。もったいないと言われれば、そうだ。まだ使えるものばかり。まだ食べられるものばかり。でも、いらないので捨てる。捨ててみてまた必要だったら買えばいい。

物に生活をコントロールされるのはもう終わりにしたい。人生に、生活に必要だから物を買う。それが本質だろう。

 

書かないと踏ん切りつかないので書いた。全部捨てる気持ち。