徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

映画「風の色」の感想〜恩師親子を想って〜

映画を観てきた

kaze-iro.jp

「シン・ゴジラ」と「君の名は。」をやっと観た程度の映画リテラシーしか持ち合わせていないのだが、鑑賞を決めた。

 

この映画と僕には、2つ縁がある。

1つが、表題にもある通り、ロケ地が地元であったこと。

普段はなかなかフィーチャーされない我らが道東だが、本作にはこれ見よがしに道東の風景が出てくる。監督のクァク・ジェヨンさんがオホーツクをいたく気に入ってくださったらしい。流氷、砕氷船に能取岬に温根湯温泉。おらが町、北見の街並みもところどころに顔を出した。確かに、オンリーワンの絵になる景色は確かに多いかもしれない。オホーツクも捨てたもんじゃない。

もう1つの理由は、高校時代の陸上部の先輩が本作の配給会社に勤めていること。

僕個人としては、先輩本人はもちろんなのだけれど、彼の父親との縁が深い。彼の父は高校教師で、同陸上部の顧問をしていた。僕の恩師である。

 

ktaroootnk.hatenablog.com

 

専門競技が近かったこともあり、高校3年間はもちろん大学で陸上を続けるようになってからも気にかけてもらった。一緒にたくさん夢を見て、たくさん現実にぶつかった。お世話になったなんてもんじゃない。足向けて寝られない。

恩師とは、毎帰省の度に連絡を取り、ご飯に行く。平気で4〜5時間話をする。その様、ほとんど付き合いたてのカップル。いいだけ語らうので、家のことも洗いざらい話題に出てくる。その中にはもちろん、恩師の息子の話も出てくる。

この帰省であった際には、車の中に風の色のポスターを積んでいた。息子が関わった作品が全国で公開されるのが、本当に嬉しいようだった。ここがロケ地に使われたんだ〜。と、零下10度を下回る北見の町を歩きながら話す恩師のホクホクした顔。これは観なければと心に決めたのだった。

 

あけすけな一行あらすじ

ドッペルゲンガーと解離性同一性障害とに翻弄される古川雄輝と藤井武美の恋物語

 

少し細かな内容と感想

一行あらすじにも書いた通り、本作の大きなポイントとしてドッペルゲンガー解離性人格障害がある。

ドッペルゲンガー

ご存知の方も多いだろう。「この世には自分と瓜二つの外見をした人間がいて、互いが出会うとどちらかが死ぬ」という迷信。

ドッペルゲンガー - Wikipedia

本作では、古川雄輝が二役を演じている。北海道の有名なマジシャン「隆」と、東京に住むなんでもない青年「涼」。ドッペルゲンガー同士の二人は、時間差はあるものの、一人の女性と恋に落ちる。

その女性が、解離性同一性障害を持つ「亜矢」と「ゆり」。

解離性同一性障害

端的に言えば、多重人格

「24人のビリーミリガン」が、解離性同一性障害では有名な話。

24人のビリー・ミリガン〔新版〕上 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

24人のビリー・ミリガン〔新版〕上 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

 

専門的な話はアレだが、つまり、強い心的なストレスからの回避行動である。

劇中では藤井武美が演じる「亜矢」「ゆり」

本来の人格は「亜矢」。幼い頃に火事で両親を亡くしたことから解離傾向が芽吹き、古川雄輝演じるドッペルゲンガー勢との恋をきっかけに大きく人格が割れてしまう。

時系列で説明すると以下。

マジシャン・隆と亜矢が北海道で出会う。恋に落ちる。

隆、オホーツク海からの脱出マジックにミスって知床の海に沈み帰らぬ人に。

亜矢ショック。新人格「ゆり」が生まれる。おばを頼りに上京する。

なんでもない青年・凉とゆりが出会う。恋に落ちる。

ゆり、唐突に死す(人格的には死ぬも、北海道に戻って「亜矢」として生きる。ゆり時の記憶は無い)

凉ショック。北海道に行って亜矢と出会う

 

つまり、

ドッペルゲンガー隆・凉の二人と恋に落ちた、同一人物ながら別人格の亜矢とゆり。3人と4人格が中心に世界が回る。

 

多分伝えたかったこと

一つ大きなテーマがあるとするなら、それはきっと愛情の形

涼と亜矢が映画「LEON」のコスプレをして北見の街中を歩く描写がある。

作中でもっともコミカルに描かれている場面と言って過言ではないだろう。バチバチにコスプレを決めた二人が閑散とした街を行く。ひどく場違いで笑いを誘う。

歩き回った末にたどり着いた広場*1で、涼は亜矢にこんなようなことを叫ぶ。

「次に会うときはレオンとマチルダだからな!」

 

LEON大好き人間が親しい人にいたため、幸いにも鑑賞したことがあった。

殺し屋レオンと、隣人の少女マチルダ。おっさんのジャンレノと、天使ナタリー・ポートマン。二人の間に成立していた愛情というのは、年齢を超え、男女のそれとも違う、特殊な信頼関係だったと記憶している。

 

全く別の人物だけど、同一の人格とされるドッペルゲンガー。

同一の人物だけど、別の人格を持った解離性同一性障害。

お互いの「じゃない方」同士である涼と亜矢が生き残った世界で、二人に必要だった愛の形というのは、「隆と亜矢」「涼とゆり」の正規のペアが育んだものとは違うものだった。

その理想形として、二人はレオンとマチルダを目指したのだと思う。

物語のクライマックス。隆が失敗した*2脱出マジックを涼が再演するときまで、本人たちのレオン・マチルダへの投影は続いていく。涼がマジックに無事成功することにより、隆と亜矢が越えられなかった壁を、レオン・マチルダに投影された涼と亜矢が越えていったように思えた。

 

 

マジックと北海道

この二つの要素は物語の本筋に影響しているようでしていない。「愛情の形」というメインテーマが食材だとすると、「マジックと北海道」は器だ。木の器でスープを飲んでも、陶器でスープを飲んでも、スープの味は変わらない。

けど、印象は左右される。

マジックに関して監督自身は、

マジックをテーマにしたのは、作品の神秘的でミステリアスな雰囲気を強調するため

「猟奇的な彼女」で有名なアジアの巨匠クァク・ジェヨン監督最新作【映画「風の色」応援団プロジェクト】 - クラウドファンディングのMotionGallery

と返答している。

わからないでもないけれど、僕が観ていて感じたのは取っ付き易さだった。

スポーツや芸術と違って、マジックは頭を使わないでビックリできる。カードが変わった、ひよこの数が増えた、人が消えた。ただ、現象に驚く。そこに特別な知識は必要ない。

ドッペルゲンガーや人格障害がフックとなっていて、ともすれば人物相関図が見えにくくなってしまいがちなストーリー展開の中、その他の要素に頭を割かないで観ていられるのは一つよかったと思う。

また、北海道というテーマは人それぞれかもしれないけれど、地元民としては非常に良かった。

石北本線があれほどまでに画面に映る映画がこれまであったのだろうか。砕氷船おーろら号に、近年稀に見る密度で流氷が押し寄せてきているオホーツク海。雪原を突き進む一両編成の汽車。紛れもない故郷の風景である。

盛大な故郷補正を抜きにしても、綺麗な映像だったんじゃなかろうか。

本州の人が観て、どう思うのだろう。各々の色眼鏡を通して観てみてほしい。綺麗だし行ってみたいけど住みたくはないって言われるのはなんとなく想像つく。

 

 

そのほかの諸々をざっくばらん

解離性同一性障害はまだしも、重度の自閉症として出てくる亜矢の兄(竜馬と言うらしい)がコミカルに描かれているのはどうなのよと思った。初登場の際に看護師が竜馬の人となりを紹介するのだが、なかなかにリテラシーの低いセリフ回しだった。気にしすぎかもしれない。けど気になった。

 

何しろ映画経験が少ないのでどうこう言えた立場じゃなかろうもんだが、本作は結構感情でゴリゴリ押していく印象を持った。ドッペルゲンガー?人格障害?レオン?みたいな。作品通して、説明が少ない。

たまたま、ギリギリ知っている範囲の要素だったからよかったものの、振り落とされる危険性も十分あった。そういう面で、観る人の予備知識次第なところは多分にある。

どの映画もそんなもんだと言われたら、その通りだとも思う。

 

あとなんですかね、マジックって格好いいですね。

古川雄輝が不意にやるテーブルマジックやコイン回しが流麗なことこの上ない。亜矢の兄が入院している病院の看護師たちにマジックを見せていたシーン。一挙手一投足に黄色い声を浴びる古川雄輝にジェラシーを感じるとともに、マジックの無限の可能性に震えた。

ああなりたい。俺もああなりたい。

藤井武美も可愛かったけど、やっぱり看護師たちにちやほやされたい。

 

以上

あらかた感じたことは言い終わりました。

貴重な経験をさせてくれた恩師親子に今一度御礼を述べ、本稿を締めます。

*1:北見神社と思われる

*2:本当はあえて失敗した