徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

学びのための学び

学生時代、特別勤勉なわけではなかった。毎日復習やってたらどれだけ成績が上がっていただろうと今でも思う。勉強しないなら部活やるな走るなと部活の顧問に発破をかけられて、止むに止まれず勉強しだした高2の冬。数列の単元だけ復習を欠かさなかった。それだけで数学の偏差値が50ちょいから65とかまで上がった。こんなんだから未だにやればできるんじゃないかって思ってるところもあるし、でも当時出来なかったんだから多分また繰り返しても出来ないんだろうなと諦めてるところもある。なんだかんだ今の人生、今の選択しかできない気がしている。

当時、勉強に駆り立たせる動機付けってなんだったろう。目先のテストで良い点を取りたい気持ちはあったろうか。良い大学に入りたい、良い人生を送りたい。良い人生と勉強の繋がりってなんだ。そもそも良い大学ってなんだ。うちの母親は勉強とは可能性広げるためにある論者で、どんな自分にでも成れるように勉強しなさいって話を度々された。それもすごくよくわかる。

色々な動機付けが掠めては消え、結局どうなったかって、数列しか気合入れて勉強しなかったのだ。あらゆる動機づけは僕にとって功を奏さなかったと言える。友達から勧められて乗り気で始めたプログラミングも適当なところで止まってるし、英語なんてやろうとは思うけど微動だにしていない。

僕を突き動かす動機とはなんなのか。

少なくとも学びのための学びに対しては全く食指が動かない。強烈な目的が、内発的な動機付けが必要なのだ。


最近足りないものが多いなと思う。素直に学べばいい。だけど、やれない。中途半端な動機付けじゃできない。数列以外の数学みたいに。

ぴょいぴょい動機付けられる性格の人間こそ強いのかもしれない。学びのための学びでも面白がれればよかったのだが。