徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

ガンダーライップス

社会に出た頃、情報を伝える際には5W1Hを抑えて話すといいと言われた。なぜいつ誰が何をどこでどのように。これは正確に情報を伝える上でも、正確に情報を受ける上でも大切なことだ。例えば、誰かに動いてもらいたい、何かを対応してもらいたいとした時、なぜいつ…まで全部噛み砕かないとたいていの人は動かない。というか、そもそもお願いをする側のお作法として、5W1Hを明確にして情報を伝え、対応をお願いする。しかし、それでも仕事が進まないことがままある。それはひとえに優先順位の話だ。当然、受け手の中にも仕事の順番がある。仕事の順番が後回しになった挙句なんとなく情報の賞味期限が切れ、結局、何も成果物ができないまま終わるみたいなパターンは社会あるあるだろう。仕事を蹴り出す側、依頼をする側の本気度次第で、結実するか否かが決まる。みんな忙しいのである。

 

会社の方針を決める人のそばで仕事をしていると、全体の方針だけはしますけど細かいところは事務方でよろしく!みたいな仕事が霰のように降ってくる。

ガンダーラは西にある。どうもインドにあるらしい。誰も皆行きたがるが遥かな世界。みんなでガンダーラを目指そう。では、具体的にいつ誰がどこでどのように関わってガンダーラまで辿り着くか全部調整してよろしく!という仕事だ。さらに難しいことに、ガンダーラを目指すパーティは千人ちょいの大所帯で、ロードマップを引いた上でいろんな利害関係を調整しながら進んでいかなければならない。まじで面倒of the面倒。

こういった仕事は、とにかく具体的に決めないと利害関係の調整にすら入れない。具体的に決める、すなわち、いつだれが…である。これは非常に鍛えられる。現状を確認して概念を切り分けて実務に落として日限決めてどのスピードでやるかを決めて各部署に配分していく。鍛えられはするものの、抽象的かつ無意味な世の中の仕組みとかをモヤモヤぼんやり考える能力に血が通わなくなり、萎んでいく。萎んでいっている。目下萎えである。

特に文章を書く行為はガンダーラに行く業務でも使用する。すると、文章を書くときに具体性を持ち得ないと文章を書けない状況に陥る。諸君は僕のブログの下書きを見たことがないだろうが、書ききれなかった文章が山のように転がっている。具体性を伴わなかったため、結論を用意できなかったために世に出すことができなかった代物たちだ。

これをガンダーライップスと呼ぼう。

 

とはいえ、実体験も踏まえるとこういったガンダーラに行く経路を詰めていく話は、鍛え方次第でなんぼでも鍛えられるんだろうし、社会にはこちら側の思考を鍛えることに特化している人が多いように思う。結論のない話や具体性のない、必要性のない思考を好む人は、少なくとも今自分が所属しているクラスタの中では少ない。ガンダーライップスをくぐり抜けた先に悟りが待っている気がしている。

愛の国、ガンダーラ