徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

さして料理が好きではない一人暮らし男性会社員がおくる、お弁当の作り方と継続する方法。また、そのメリット。

一昨年の年末から会社にお弁当を持っていっている。

はや丸一年以上お弁当生活である。男女問わず、お弁当を作りたい・会社に持っていきたいと思っている人は多い。僕の周りにですら何人もいる。しかし尻込みしたり、続かなかったり、実際に弁当にガッツリ身をうずめている人はそう多くはないように見受けられる。寒い日が続きますが、ここらで一つ、お弁当作りのコツなんかを書き記したいと思う。

最大のポイント

結論から話す。毎日弁当を作るためには、

  • お弁当にまつわる選択肢をいかに減らすか
  • お弁当づくりに割く時間をいかに減らすか

が非常に大切である。お弁当作りをする際の行程が限りなく一本道かつ短距離であることが重要なのだ。当たり前のようだが、弁当作りの出だしからこだわりを出してしまう人がきっと多い。そして挫折していく。

一年もお弁当を作っていると、さぞ料理が好きなのだろうとか、マメなんだろうとか、色々言われるがしかし、僕はものすごく人並みな勤勉しか持ち合わせてはいない。そんな奴がどうして一年も作り続けられたかといえば、それはクオリティの低さからとはいえ選択肢と調理工程が極端に少なかったからに違いないと考えている。

選択肢を減らすとは

それはお弁当を作る時の分岐点を少なくするということである。お弁当箱どれにしよう…とか、何入れよう…とか、炒めようか煮ようか茹でようかとか。そうしたあらゆる分岐点を一切排除する。最低限、箱・具材・調理方法の3点をビシッと決めるのだ。3点を決定すると平面が定まるように、幾つかの分岐点のうち3点を一本道にすることによってお弁当作りを作業化できる。味付けなんか適当にすればいい。なんとなくお分かりいただけたかと思うが、僕の弁当作りはひどく無骨だ。おしゃれな彩りとかとはかけ離れている。そういうのが目指したい人は何処ぞの洒落たブログにハウツーが書いてあると思うのでそちらを参考にしてもらいたし。タイトルにあるようにあくまで「料理は大して好きじゃないしそこまで興味関心がない人間が弁当作りを続ける」シチュエーションに絞って話をしていく。

我が家の弁当の作り方

ケーススタディとして、実際に僕がどんな感じで弁当を作っているかを紹介したい。

弁当作りの分岐点を排除するための三点だが、僕の場合は箱→二段弁当、具材→鶏胸、玉ねぎ、人参、キャベツor白菜、調理方法→炒めると定めている。ここに関して迷うことは一切ない。箱の詳細や買い出し先は後述する。

まず最初にレンジに冷凍しておいた鶏胸を入れる。2分間温めて解凍する。その間に玉ねぎとキャベツor白菜を切る。その日の気分で好きな形に切る。人参は小分け冷凍してあるので、解凍が終わった鶏胸と野菜諸々をごま油ないしはオリーブオイルで一気に火にかける。その間、冷凍のご飯を解凍。炒めている間に適当に鶏ガラの素とかコンソメとかで味を調える。炒め終わりと解凍終わり次第、二段弁当にそれぞれ詰めて完成である。その間5分ちょっとである。全く負担にならない。

所要時間を減らすとは

お気づきの方は多いだろうが僕の弁当作りにおいて重要な要素として小分け冷凍がある。

小分け冷凍のメリットは、長期保存調理工程の短縮だ。

これは弁当作りにおける分岐点の削減と言うより、弁当作りの工程の削減に大きく寄与している。迷路を歩くのもしんどいが、一本道だとしても万里の長城は歩きたくない。なにしろこちとらマメな人間じゃないのだ。

所要時間の削減のためには食材の調理工程を減らすことが重要であるのはおわかりいただけるだろう。

「切る→炒める」これは2工程である。「皮をむく→切る→炒める」は3工程。ちょっと手間だ。「解凍→炒める」は2工程だが、「解凍→切る→炒める」は3工程。チリツモとはこのことで、工程が増えれば増えるほどじわじわと面倒くさいが膨らみ、次第に作らなくなっていく。もっと良くないのが、「切る→傷んでるかもしれない…→食材の状況を確かめる→使うか迷う→不安だから諦めて新しい食材を切り直す→炒める」とかいうパターンである。こんなことやっていたら時間がいくらあっても足りない。

小分け冷凍は解凍後即調理に結びつけられる上に、新鮮なまま調理できるので鮮度に気を取られる必要性がない。理想の保存方法である。

何よりも準備が大事

弁当作りにおいて、分岐点を減らして作業化するのは、食材を絞って買い込み、弁当箱を決めれば簡単に済む話だ。だが問題は調理工程の短縮化である。どうしても下準備が必要になってくる。振り落とされる人が多いとすればここだろう。

手前ごとで恐縮だが、僕が弁当の買い出しに行く際には、胸肉にして2キロ、玉ねぎ6玉、人参4本、キャベツか白菜安い方一玉を一気に買う。そして帰宅後、鶏肉と人参はすぐ小分け冷凍をすることにしている。玉ねぎは長期保存できるのでそのまま。キャベツや白菜は洗った後新聞紙に包み、ビニール袋に入れて冷蔵庫で保存だ。面倒くさい精神に打ち勝つのは生半可なことではないが、未来の自分への投資であると考え、歯を食いしばって切り刻んで凍らせる。気合一発である。ここで横着をして弁当作るときに切ればいいや…なんて甘い考えを抱くと、いざ調理の折にほとほと面倒くさくなって途端に続かなくなる。逆に、ここを乗り越えると弁当作りは続いていく事が多い。

弁当作りのメリット

では果たして弁当作りしてどうなのと。当日の朝は5分ちょっとで調理できるとはいえ、準備に自分をすり減らしてまで弁当作るメリットあるのと。そこのところを書き記したい。

コスト

おそらく皆さんにとって一番興味があるのがコスト面だろう。ざっくばらんに計算してみたい。

40年近くのサラリーマン昼食代推移をグラフ化してみる(2016年)(最新) - ガベージニュース

上のページをみると、2015年現在、サラリーマンがランチに要する平均金額が587円だという。これと比べてみる。

我が弁当軍のスタメンをおさらいする。

お米・鶏胸肉・玉ねぎ・人参・キャベツor白菜・たまに卵

以上である。子細にコストを計算していきたい。

お米

日本人たるもの米を食わずしてどうする。主食である。

いつも近所の西友で買っている。5キロにしておよそ1500円のブレンド米。5キロとは何合なのだろうか。

米1袋は何合 - クックパッド料理の基本

クックパッド師匠が言うには、33合に相当するようだ。3合炊で4食分とする我が食生活を鑑みると5キロで44食分。便宜上すべて弁当に使用したとすると、一食あたり34円。えらい安い。

鶏胸肉

ギリギリ近所と言える辺りに業務スーパーがある。そこでは鶏胸肉が2キロで890円で売っている。2キロと言うと胸肉の塊がおよそ7つ入っている。1塊につきおよそ2食分としているので、14食分である。すると1食63円

玉ねぎ・人参・葉物野菜・卵

愛用の八百屋がある。

八百関商店

様々な野菜が衝撃の安さで手に入る。

玉ねぎは大きな玉5つで160円。人参は大4本で100円。キャベツや白菜は1玉およそ160円。卵は10個で170円。極めつけはバナナで大きな房8本入りで100円なのだが、弁当には入らず。もちろん時価なので値段は不安定なのだが。

ざざっと計算すると、野菜・卵類の一食分は多く見積もっても60円

集計

するとどうだろう。お米が34円、鶏胸肉が63円、野菜等々が60円。合計すると一食あたり157円。劇的な安さではなかろうか。確かにすべての食材を弁当に使っているわけではないのでもう少し単価は上がるだろうが、それでも200円ほどのものだ。200円でどれだけの量を食べられるかというと、

 この弁当箱いっぱいに食べられる。相当な量である。

覚えておられるだろうか、サラリーマンの平均ランチ金額。587円だったはずだ。すると強気に見積もって一食につき400円、弱気な勘定でも350円は間違いなく浮いていく。弁当箱代は初期投資だ。減価償却されて行くものである。計算になんて入れない。一日350円浮いたとして、週5日労働で1750円のコストカット月にすると7000円のコストカット。食材がある勢いで夜ご飯も自炊したりなんかすると輪をかけて節約になっていく。そう。小分けにしていると晩御飯も家で食べる気になる。切る作業が少なく、疲れていても調理が負担になりにくいためだ。相乗効果。

脅威のコストパフォーマンスをおわかりいただけただろうか。

コスト削減のコツ

スーパーマーケットを利用しないことである。餅は餅屋。野菜は八百屋。肉は肉屋。原則、専門店が一番コスパがよくなるようになっているようである。スーパーは「物+色々揃う」という価値で勝負しているが、八百屋は「野菜」で勝負している。小品種に特化し、「便利」とかの付加価値が少ない分、野菜の品質・価格にすべてのインフラをつぎ込めている感じがある。一度八百屋で野菜を買うと、もうスーパーでは買えなくなってしまうだろう。

しかし僕はまだ肉屋に入る敷居の高さに負けて肉のみ業務スーパーである。まだまだコスト削減の可能性が残っているのだ。

ウケ

副産物なのだが、周囲のウケが非常にいい。特に女性が多い職場に努めている男性は同僚からの評価が非常に高くなるので是非オススメしたい。「よく作ってくるね。」「マメだね。」この言葉がどれだけ僕を頑張らせてくれたか。金銭面と自己肯定の両面で支えられてこその弁当ライフだったりする。

 

可愛くもなんともない、食べるための弁当作り

手の込んだキャラ弁を子供に持たせたいママたち。その真逆を行く、「食べる」に特化した弁当を末永くかつ素早く作るにはどうしたらいいか。どれだけお財布に優しいのか。だらだらと書いた。美意識が僕なんかの数百乗はあるであろう方たちには参考にならないことが多かったかもしれない。

だが、もし気合い入れて弁当作ろうと試みるも、継続が出来ずに断念していた人がこの記事を見て、省エネたらふく弁当作成にチャレンジしてみようと思ってくれたのなら。こんな形の弁当もあるんだと、弁当の選択肢に気がついてくれたのなら、全く持って本望である。

電車で隣になった人がいつも英語の勉強をしてくれていたのなら

隣の芝は青いではないけれど、電車で密着した人の読んでいる本や新聞は何故だかとても面白そうに映る。スマホいじっててもそこまで魅力的には思えないのだが、紙媒体で勉強とかされていると興味がそそられて仕方がない。

早急に必要な学力はない。商売をやっていく上でそれとなく数字が見られたり世の中を渡るバランス感覚を養ったりといった勉強は必要だろうが、TOEIC何点!とか、フィナンシャルプランナー何級!とかっていう具体性のともなった勉強を突きつけられてはいない。この間まではのっぴきならない勉強があったのだが、喉元を過ぎてしまった。なんとか捻出していた勉強時間がふわっと浮いた今、学ぶ時間をつくれることはわかっている。やるかやらないかは自分のさじ加減1つ。

弁当作りが続いているように、苦にならない範囲で1日30分ほどの時間を何かに充てるのはおそらく苦にならない性格だ。問題は内容である。英語〜なんていう程よく雲をつかむような勉学じゃきっと続かない。本当に実になるものか、本当に知的好奇心がくすぐられるものでなければならない。

二の足三の足を踏んでいるうちに時は経つ。YouTubeをぼんやり見ているうちに夜が更ける。空っぽの時間ばかりが生産されていく。そんなんであれば電車で近くの人が延々と英語でも学んでくれたらいいと思う。絶妙に興味をそそられる他人の勉強に引き摺られながら学んでしまいたい。

他力本願とは、このことでしょうか。

壁を一枚隔てた向こう側には未洗浄食器がある

次に立ち上がったときは奴らを片付けなければならない。その事実はココロの中に黒い点として存在し、立ち上がることを拒ませている。

僕は今パソコンに向かっているわけだけれども、こうしているとパソコン以外の世界なんてあるんだかないんだかわからない。例えば今大雪山のどこかで木が一本雪の重みに耐えきれずに倒れたところで、誰も倒れた事実を確認していないわけだから倒れたとはいえないのではないだろうか。この手の不毛な水掛け論に中学生の頃熱を上げた。ありがちな生暖かい哲学青春を過ごした。つまりなにが言いたいかというと、壁の向こうの世界なんてあるかないかわからないのだ。そう、食器だってあるんだかないんだかわからない。我思う故に我あり。虚構だらけの世の中である。

でも僕は確かにさっき鍋を食べた。鍋を食べたって思う自分は確かだ。ものを食べたらゴミか洗い物が出るのが僕が生きる世界の摂理である。経験的に知ってしまっている。だからこの壁の向こうには高確率で食器が汚れたままでおいてあることとなる。たまったもんじゃない。目視すら存在を確実にしないとデカルトは唱えたのに、目視もしていない食器が壁の向こう側という超遠距離にほぼ確実に存在するという。

自分の思考以外のすべてを疑ったデカルトは洗い物をどうしていたのだろう。洗い物すらも嘘だと言っただろうか。そんなものは虚構にすぎないですって虚勢を貼り続けたのだろうか。よくわからない論理の刃を振りかざして快刀乱麻するデカルトの隣でお手伝いさんとかがイソイソと食器を洗ったりしていたのだろうか。ダメダメじゃないか。頭でっかちの極地…そう、頭デカルトではないか。

まぁいいや、洗います。立ち上がります。

真剣に書こうとすると頭の悪さが露呈しだす問題

よーし、書くぞ!と思う話題が幾つかあるのだが、筆をとると書きたいことがそこら中に散らばってしまって全く体系的に書けない問題がここ最近急浮上している。A4のコピー用紙とかにまとめればきっとそこそこ論旨はまとまっていくと思うのだが、ダダダーっと書くと本当にとっ散らかって笑うしかないような文章が出来上がる。優秀なやつはこういうのもババッと仕上げるんだろうなとか思いながら、我が能力の乏しさを憂う。

なんかこう、考えに筋みたいなものをすぐ通せるような訓練をしたいものである。とっ散らかるのは3次元的に思うところがボンボンと膨らんでいってしまっているからで、一本筋が通りさえすればそれは2次元の線の上での話になり、理路整然と結論まで辿り着くに違いない。筋力と書いて「すじりょく」と読ませるその力を養えば、モヤモヤ悶々として霞がかかった頭の中を十全に皆様に伝えられるはずなのだ。

何かいい本とかないだろうか。クリティカルシンキング!みたいなそれだ。読書無精でも日々の糧になるのであれば頑張って読みたいと思う。

とにかくこの毎日書きたいみたいなスタンスに思考能力が追いついていないのは間違いないので、限られた脳みそをうまく使って生きたいと思いを新たにしている所存である。

迎合の人生を行く

社員食堂にて、知り合いのお姉さまがお一人で休憩をなさっていた。比較的とっつきやすいお姉さまだったもので、躊躇なくご一緒させてもらった。たわいもない話をした後、彼女は休憩から戻って行った。

その様子を見ていた同期の友人が僕のところに寄ってきた。彼に映った僕は、とっても下手に出ていたようだった。ある種機嫌を取っているような、ある種の滅私のような。全く無意識に会話をしていたので、なるほど日々の僕の会話はそのように映るのかと参考になった。

人と会話をするとき、相手の土俵で会話を進める人と自分の土俵で会話を進める人の二つのパターンがあるように思う。自分の話をすることが多い人・人の輪の中心にいる人はどちらかといえば自分の土俵で会話を進めるタイプだろうし、聞き役に回ることが多い人・人の輪の中でガヤ入れをすることが多い人は相手の土俵で会話を進めるタイプだ。たいていの人は使い分けていると思う。よほど不器用でなければ。ただ趣向として、どちらを好むかは分かれる。

お判りになるように、僕は率先して人の土俵に上がるタイプである。自分がふんどしを履いていても、相手が竹刀を持っていたら迷わず自分も竹刀を手に取る。無理矢理ハッケヨイすることはほぼしない。何故って、特にこれといった理由があるわけではないのだが、そうしなければ生きてこられなかったか、そうしていた方が生きやすかったのだろう。

なんやかんやでみんな喋りたい気持ちを持っている。僕も君もあなたも彼も。だから相手に話をしてもらってこちらが相槌を打つスタンスを取ると、なんとなく相手は満足する。また話したいと思ってくれるかもしれない。ともすれば一緒にいて楽なやつとでも思ってくれるかもしれない。聞き役にはそんな良さがある。と、思っている。

高校受験するとき、歴史も何にも知らなかった僕は将来どうなっていたいかと言われ、教科書に載りたいと話した。坂本龍馬みたいに!現状なんのことはないサラリーマンなのだが、なるほど薩長を引き合わせるにはやはりお互いの土俵に上がらないことには受け入れられないのではないだろうかと思い当たる。志した人間付き合いの道は間違いじゃなかった。迎合していると言われようと。後は大きな大義があれば教科書認定待った無しだろう。うむ。

寒い夜に上京の寂しさを思い出す

上京。

18歳の僕はポーンと1人東京に飛び出し、暮らしをスタートさせた。主に所属する団体とはうまく馴染めなかったので、最初の一、二年はだいたい何してても寂しいし苦しい日々であった。身寄りがないわけではなかったが、そこまで強い繋がりがある身内なわけではなかったので負んぶに抱っこをしてもらって寂しさを紛らわすこともできず、当時80歳だったアパートの大家さんとファミレスでお話することが当面の楽しい時間であった。

人混みであればあるほど人と人との距離は遠く、一人一人の重みは軽くなる。人の中に入っていくほど逆説的に1人を痛感させられたものだった。

僕は焦っていた。東京は楽しいものというのが定説で、大学から近い家はたまり場になるはずだったのに、全くそんな様子もなく過ぎていく1人の日々に焦燥を抱いていた。同時に、これまでの人生で培った人付き合いのメソッドを完膚なきまでに叩きのめされ、変なヤツと言われることが恐怖だった。嘆いていい人にはいいだけ嘆き、強がりたい人に対しては一生懸命に強がった。なんとかしたかった。なんとかして東京を好きになりたかった。楽しいだろうと言われて、苦笑いを噛み潰して笑顔を作る、そんな自分が嫌だった。

僕は罵声でも唾でも吐いて散らかしてやりたかった東京も、誰かの故郷なんだと思うことにした。故郷はどこまでも優しい。北海道から出てきた自分が一番よくわかっていた。だからこそ、この街もあの景色も、嫌いな東京のあれこれにだって必ず優しさがあるはずだと信じた。いろんな路地を曲がった。生活の臭いがプンプンする知らない通りを自転車で駆けた。初めて通りがかった定食屋に入ってマスターと喋ることで、人が人として存在できる喜びを感じた。それは人混みにおける人間の軽さとは全く違っていた。故郷は確かにそこにあった。

薄く細かい幸を繋ぎながらもがき続けるうち、否応無しのコミュニケーションとかにより少しずつ東京での自分の立ち位置が定まってきた。ぐずぐずだった心のくすみを、少しずつ時間が洗ってくれた。なかなかあの日々を良しとすることはできないかもしれないが、当時赤の他人の故郷だった東京を、今なんとなく自分の故郷っぽい顔をして生きることができている。そしてきっと東京に出てきた誰かの気持ちを参らせる側の人間になってしまっている。

居場所が定まるまでの東京は、僕たちを根無し草になったような気持ちにさせるが、居場所が一度定まると東京独特の匿名性が気持ちよく思えてくる。人が人を呼び、匿名が匿名を育てていく。幼い頃に暴力を受けた親が我が子に暴力を振るってしまうように、僕らも上京したての他人に寂しさの刃を突きつけてしまうのだ。それも、無意識のうちに。

品川にて、スーツケースを転がした人が電車に乗り込んでくる。行きの道か、帰りの道だろうか。もうすぐ春が来る。東京にはたくさんの楽しさと寂しさが芽吹くはずだ。たくさんのスーツケース達が楽しさを最初に感じられたらいいと思う。寂しさを飲み込み切れたらいいとも思う。田舎者の集合体が都会の仮面をかぶっている街、東京。誰も彼もが匿名を決め込む根底に寂しさが流れていれば、それをお互いに汲み合う事ができれば、どれほど皆が生きやすい東京になるだろう。

今日は冷える。月もまた綺麗である。

首都大学東京に抱く違和感

首都大学東京。「首都大」とかって呼ばれている、公立の大学として、非常に高い難易度と人気を誇る大学である。僕なんかが背伸びしたって跳躍したって合格できていたかわからない。でも、首都大学東京という名前がどうしたっておかしいことはわかる。誰もが抱く違和感だろうし、その違和感の出処を探るのは非常に簡単だ。だがあえて今一度、違和感にメスを入れていきたいと思う。しかし当方国語的な話は全く持って専門外なので、ラフなスタイルでメス入刀する。

とかいって入刀もなにも、問題点はただ一点。語順である。

カレーパンで考えてみよう。

カレーパンはあくまでもカレーが中に入っているパンだから、カレーパンである。これは、名詞を説明する修飾語である形容詞は、名詞の前に置かれる約束に基づいた語順だ。もしかしたら例外があるのかもしれないけれど、25年近く生きていてカレーパンがカレーだった例がないので、ほぼほぼ100%形容詞は名詞の前に来る。この法則は言葉の飾り付けが増えたって変わらない。例えば、「佐藤さんが生み出した糖度の非常に高いかぼちゃであるサトウカボチャをふんだんに使用したドライカレーが中に入っているパン」を説明しようと思うと、「サトウカボチャドライカレーパン」になるわけだが、これはサトウでもカボチャでもドライでもカレーでもドライカレーでもない。パンだ。

このように単語が羅列されるタイプの修飾ラッシュの面白いところは、最後に来た単語の形態に依存する点にある。「サトウカボチャドライカレーパン」の後ろにうっかり「粉」をつけると、「サトウカボチャドライカレーパン粉」となり、突然パン粉になってしまうし、うっかり「トースター」をつけると「サトウカボチャドライカレーパントースター」となり、ものすごくニッチな家電と化す。

前の名詞が後ろの名詞を説明し続ける日本語。スペシウム光線は光線だし、キン肉バスターはバスターだ。でも、首都大学東京は違う。首都大学東京は東京ではない。

これは言葉の異常事態なわけだ。カレーパンがカレーになってしまうのと同義なのだ。レストランに行ってビーフシチューを頼んだと思ったら、肉塊(ビーフ)が出てきてみろ。クレームを入れる気も失せるだろう。それくらいのぶっ壊れ言語こそ首都大学東京なのだ。あくまで首都大学東京は大学であり、自明のごとく「東京首都大学」もしくは「首都東京大学」なるべきだった。どんな力が働いて「首都大学東京」となったのだろう。

首都大学東京 - Wikipedia

なんとなく読んでみると、前石原都知事虎の子の公約により生まれた大学であり、ネーミングは公募だったようだが実のところどうなのかはわからない。素人ではとても思いつかない語順である。

やっぱり芥川賞作家でもないと思いつかないんではないだろうか。

センサー式の蛇口のスイートスポットについて

最近蛇口をひねることがなくなった。センサータイプがあらゆる公共のトイレに整備されてきたためだ。蛇口ないしはノブをひねって水を出すのは家でだけ。そんなライフスタイルが当たり前になりつつある。蛇口をひねらずに水を出し、センサーで石鹸が出てきて、ジェットタオルで手を乾かす。すべてが赤外線で管理されている最近の手洗いはすごい。何にも触れることなく一連の動作を完結してしまうのだ。抜群の衛生管理。一昔前の人が見たらまるで魔法かなにかを使っているようにしか見えないだろう。

行く先々でトイレに入ってきた。尿意と便意は全く僕のコントロールを超えたところから降ってきて、「トイレに入ってよ、トイレに入ってよ。」とせがむ。仕方ないなぁとトイレに入る。用を足して、手を洗う。もちろん蛇口はセンサー式。手をかざす。

この瞬間である。果たして何人の人間がすんなりと水を出すことができるのだろうか。センサーのスイートスポットを、初見で当てることができるセンサーの申し子が世の中にどれだけいるというのだろうか。

僕は数々の蛇口と付き合ってきた。「ここ?ここかな?もうちょっと奥?近く?どこがいいの?」と、無機物の急先鋒である蛇口とイチャイチャし続けてきた。目を隠して僕と蛇口とのやり取りを鑑賞したらきっとそれは恋人同士の営みにしか見えないだろう。心なしか蛇口の造形がいやらしく思えてくる。ひとしきりイチャイチャしつくして、やっとこさスイートスポットを見つけたと思ったらすぐに水が止まり、おかしいなと思って手をいろいろな位置に動かしても出てこず、手を一回引っ込めて再びかざしてみる行為を続けているうちに、どじょうすくいみたいになって楽しくなっちゃう。ふと我に返って、なにやってんだろって虚しくなる。そんなエブリデイ。

会社でよく使うトイレってのは大体決まっていて、そこの蛇口のスイートスポットは流石に長い付き合いなので完全に把握しているつもりである。妻みたいなものだから。でも、たまに違うトイレに行って別の蛇口に浮気をするとその子は全く違う場所で反応するもんだから困ったものである。そう、蛇口にも個人差…いや、個口差があるのだ。手前がいい蛇口、奥がいい蛇口、近づければ近づけるほど反応する蛇口、ちょっと離すくらいがちょうどいい蛇口。みんな違ってみんないい。誰がどうとは言えない。

隣で新参者が僕の配偶蛇と一悶着繰り広げている。心のなかでアドバイスをする。そこじゃないよ、もうちょっと左側だよ。もっと近づけなきゃわかってくれないよ。少し微笑んで僕は側室的な存在の蛇口のスイートスポットを巧みに突き止めて水を出し、颯爽とトイレを後にするのだ。

俺もあんな時期があったな…なんてほくそ笑みながら。

たとえマナーが云々と言われても、別に電車の中で化粧を咎めはしない

本日、日中、電車に乗っていた僕は、斜向かいのアラサーと思われるお姉さまに釘付けになっていた。彼女は化粧をしていた。

世の中一般において、電車での化粧については物議を醸しがちな話題である。家でするものだ。はしたない。行儀が悪い。男性が電車の中で髭をそっていたら嫌だろう。まっとうな避難が轟々と押し寄せている。言うとおりで、まったくもって美しい行為ではない。僕も電車の中で髪の毛にワックスをつけたりはしない。髭も剃らない。歯磨きもしない。これらと同列の行為を女性がしていると思うと、なかなかに厳しい現実である。でも、僕は嫌いではない。電車の中で化粧をしてくれたところで一向に構わない。

今日出会った名も無き彼女の化粧をじっと見るでもなく、景色を見るふりして眺めていた。彼女は一心不乱であった。人の一生懸命な姿を見ると心がくすぐられる。「はじめてのおつかい」を観ては、頑張れと応援する気持ち。それがたとえ女性が化粧に懸命になっていたとて、対象物が変わるだけで構図は変わらない。頑張れ…!叫び出したくなる。女性は白を塗っていた。薄い小麦色の肌に、製粉されたあとの小麦粉色(つまり

白)の粉をまぶしていく。何層にも重ねられ、白さに拍車がかかっていく。不意に実家を思い出していた。深々と積もる雪、どこまでも白い世界。肌の只中にいたらきっと美しい景色が広がっているのだろう。

あらかた白くなってきた肌。僕の興味は眉にあった。早く書いてほしい。早く描いてほしい。緩やかな稜線を。今は産毛ほどの毛しかない場所に、象ってほしい。今か今かとその瞬間を待つ。彼女が膝においたポーチから鉛筆上の何かを取り出す。来た!眉だ!彼女はこなれた手つきでデッサンするか如く目の上に緩やかなカーブを描いた。北斎がみたらどう言うだろう。あっぱれ!なんて言うだろうか。眉額三十六景なんて描いてくれるだろうか。

元からバッチリ決まっていた目と、真っ白に塗られた肌、眉が加わり、彼女の顔は急速に輪郭を捉えだした。ピントが合ってきていた。

電車が停まる。彼女が社内のサイネージを見て、慌ててポーチを片付け、カバンにしまったと思えばすごい速さでマスクを付けて外に出ていった。

そいつの顔面の下半分はノーガードだ!叫び出したい気分だった。

でもとっても楽しい時間を過ごさせてくれた。だから声を中くらいにして言う。化粧してくださって結構です。

タイムリミットは突然に

勉学のお話です。

朝起きた段階ではまだ腐るほど時間あるじゃんと心に余裕を持っていたのに、昼過ぎあたりからの時間の進み方が怒涛のそれで、あれよあれよと言う間に日が沈んでバラエティがテレビから流れてくる時間帯になってしまった。時間経過の恐ろしさについて落ち着いて考えたいので、今キーボードを殴打している。この間もあれよあれよなのは自明なのだが、知らぬ知らぬを貫き通したい。

午前中、それはダイヤモンドのような時間であった。無限にもみえる時間の大海が目の前に広がり、万能感に心が踊っていた。時間の大海は、そっくりそのまま僕の可能性のようだった。だからこそ、心に余裕を持ってことを運べた。一心不乱に集中もできた。ちょっとよそ見しても大したことはない。何しろ可能性はどこまでだって広がっているのだ。

空腹と比例して集中力は研ぎ澄まされていく。獲物を狩るライオンのように気を張っていたものの、張り詰めすぎると逆に脆くなってしまうことを知っているので適当に切り上げて昼飯を食べに行った。今思えば、これが運の尽きだったかもしれない。

満腹になった僕は全く使い物にならないゴミクズになっていた。あれほど強烈に尖ってた集中の切っ先は峰打ちもできやしないフニャフニャブレードと化し、ペンは剣よりも強しって開成の連中にシャーペンを刺されたら一撃でお陀仏するレベルのなまくら人間が誕生していた。陸上競技をやっていたものならわかると思うが、一度タレるともうそのレース中・練習中の復帰は極めて厳しい。身体と心が折れて支えがなくなると、もう日を改めなければ頑張れなくなってしまう。昼飯後の僕がそうだった。頑張れなかった。あらゆることが気になりだす。頭が痒い。背中が痒い。メガネが合わない。普段だったら全く気にならないことに敏感になる。集中していない証拠である。

気分転換に違うことをしようと思った。本でも読もう。ゲームとかしてみよう。囲碁を打った。ネットを徘徊した。するとどうだ、日が沈んでいた。

自由と可能性を湛えていた時間の大海は、気づけばプレパレートの中の水のように小さく枯れてしまった。焦りが首をもたげる。途端に頭のかゆみが気になりだす。遊んでいるときは微塵も気にならなかったのに。シャワーを浴びる。ご飯を食べる。一息ついて、今である。

時間の大海は今や眠気の波となって押し寄せてきている。タイムリミットは近いというのに。フニャフニャブレードとなまくらマインドを持って、戦う。

殴打するべきはキーボードではない、自分の意志だ。