徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

主任になりました

この10月15日あたりの吉日をもって、僕は昇進した。名もなき一兵卒から主任になった。たかが、主任。されど、主任。主に任されると書いて、主任。

主任になってみての感慨は割とない。

理由としては、同期が割と足並み揃えて昇進するためというのが1つ、あとは、家賃補助がなくなるため実質の減給処分であるということが1つ。主任なんてなってあたりまえじゃないのよ。そんな風潮が辺りを包む。


うそです。

そんなことはなかった。

自らが昇進したために、お金という、なんともわかりやすい概念で、同水準もしくは高水準になってしまった同僚がいる。先輩がいる。実質の減給処分なんて知ったこっちゃない。いい家住んでんだからその分金払ってんだろって言われたらその通りである。自ら進んで可処分所得を犠牲にしている。捧げるものは大きい。


これまで、笑顔でいくつものことをごまかしてきた。次から頑張ります!でたくさんのことをうやむやにしてきた。

しかしいよいよ、煙に巻く作戦が通じなくなりつつある。

いや、お前そんなこともわからんのかよ。そんなんでおんなじ給料もらってんのかよ片腹痛いわ。なんなら両腹痛いわ。アニサキスかと思うわ。

そんな声がそこはかとなく聞こえてくる。

そう、僕らはいよいよ実力で勝っていくしかなくなってくるのだ。広い視野、細かい気配りと指摘。その他大勢と比べて比肩する者なきレベルで万能戦士になることが求められる。

それが主任。主に任される者としての使命。


本当の力が白日の下に晒された。今こそが気合の入れどころである。感情の見せ所である。

歯を食いしばり、足を踏ん張り、頭を回し、復習を欠かさず、同じ轍につまづくことなく走る。


終電に乗りながら決意を固くするも、この電車は最寄りにはつかない。背水のタクシーを覚悟しながら、その分の給料を稼いでいく気持ち。

屈斜路湖に面した三香温泉という秘湯について

今週のお題「私の癒やし」

我らがオホーツクが誇る湖といえばサロマ湖である。日本で三番目に大きい湖。そのくせ冬になれば全面結氷なんていうわけわからん芸当を見せてくれる湖。

サロマ湖の陰に隠れて目立たない存在ではあるものの、屈斜路湖の美しさたるや筆舌に尽くせないものがある。火口に水が溜まってできたカルデラ湖であり、絶妙な場所に配置されている中島が美しさに拍車をかけている。

弟子屈なび_観光 屈斜路湖

 

屈斜路湖面するような形で、三香温泉はある。

www3.plala.or.jp

三香温泉のホームページ

 

計2回、僕は三香温泉に行った。最初は実家の向かいに住んでいた大学教授がよく行く温泉宿だからという理由で2世帯にてお邪魔した。また、再訪は大学教授一家と我が家と親父の友達の漁師一家の3世帯でだった。

二度目が多分10年ちょっと前になるかと思う。しばらく行っていないのだが、どうやらまだ変わらずに営業しているらしい。嬉しく思う。

 

思い出に補正されているところも多々あるかもしれないが、僕が浸かった温泉の中で、ここの温泉のお湯が一番気持ちいい。数多の温泉が、三香温泉のお湯に挑んで行っては散っている。

何しろ10年以上前だから確かな記憶があるわけではないのだが、なんともいえない滑りを帯びたお湯が身体に纏わりつくようであったことを覚えている。乾ききった身体に経口補水液を流し込んだような浸透の仕方を、三香温泉のお湯はする。いつまでも入っていられるような感じがした。

 

風呂から上がって、ご飯を食べた後は、ご主人さん一家と薪ストーブを囲んで団欒の時間があった。屈斜路湖周辺はアイヌが多く住んでいるか何かで、ご主人さんもアイヌについての造詣が深い。アイヌとは…という話を聞いた記憶がある。そんな中、親父の友人は愛国心がアイヌに変なシンパシーを覚えたのか、猛烈に右寄りの思想を暖に向かって舌鋒鋭く語り散らかしていた。

季節が冬になるとアイヌの楽団が屈斜路湖のほとりでコンサートを開く。マイナス20度に迫る中、かがり火の向こうのステージでなっていたアイヌの音楽は恐ろしく神秘的で、類を見ないものだった。

そして馬鹿みたいに星が綺麗だ。街灯なんてない。街がないからあるはずもないのだが、とにかく漆黒が訪れる。コンサートから帰ってきた後、三香温泉で飼われているハスキー犬にどやされながら見上げた空は満天そのもので、吸い込まれそうな恐怖感すら覚えるものだった。懐かしい。

 

別に何に疲れていたわけでもない、あっぱらぱーな頃何度か行っただけの温泉ではあるのだが、どうも記憶に色濃く残っている。

三香温泉のお湯と、星と、ストーブ。

親父たちは温泉にお酒を持ち込んでいた。燗の日本酒だっただろうか。温泉の中でアルコールを摂取するのは褒められた行為じゃないのだろうが、あれこそが本当の愉しみ方のような気がしてならない。

僕も上京して、いよいよ行く機会が少なくなってしまったが、いずれはまた行ってみたい場所である。

うんと冷えた冬の日にでも。

魚臭い部屋

魚の匂いが充満する部屋を思い浮かべてください。ガスコンロから流れ出たそれは空気の流れに乗り、どこまでも運ばれて行く。ドアなんて隙間だらけの障壁はいとも簡単に突破。気がつけば臭いからの逃げ場が無くなる。臭気に包まれる。

それが今の僕の部屋です。

イワシを無理やりフライパンで煮たのが悪かった。イワシはがっつり買って冷凍保存していて、ひと月くらいで食べきる目安ではいるのだが、付き合い等が入るとなかなか消費しきれない。今日は見事に直帰を決め込んだため、冷凍庫内捜索をし、ぽろっと出てきたイワシを煮てみたのだった。

猛烈な充満。臭気。

なんというか、台所に行く気すら失せる。1Kのマンションは切ないほどに狭く、三歩も歩けば台所なんだけど、その三歩の間で臭気の濃度が段違いに増して行く。進入禁止区域のそれである。ガイガーカウンターを用意した日にはウィンウィン鳴って大変なこととなるに違いない。

 

昔もこんなことあったなぁと思い返したところが、およそ20年くらい前、実家で起こった出来事だった。

伯父の家だかからもらってきたくさやを家で焼いたのだった。

くさやは臭い臭い言われるからくさやと名付けられた魚なのであるが、実際のところそんなでもないでしょうとタカをくくっているそこの諸君。くさやは本当に臭い。臭いなんてもんじゃない。一刻も早くその場から立ち去りたい臭い。

よく終電とかで電車内で吐いているおっさんとかがいて、あの類のバイオテロはマジで勘弁して欲しいんですけど、その車両全体が吐瀉物の饐えた臭いでいっぱいになる感じは想像に難くないでしょう。車両に足を踏み入れた瞬間にあっ…ってなるあの感じ。嫌悪感のレベルでいったらくさやもいいとこ勝負である。

そもそもあれは居酒屋などの全く我々の生活に関与しないところで焼くから美味しいのであって、自宅なんていう拠点で焼くものではないようだ。屋外で見るゴキブリは怖くないけど部屋だと戦慄するのと同じ現象である。

 

こうしている間に臭いが幾分かマシになってきたのでちょっと片付けでもしてやろうかと思う。

いい暇つぶしであった。

躁と鬱の往来が凄い

誰しもが抱える不安やネガティブ。それらに割と振り回されやすいタチである。こいつは実に厄介な性質を持って生まれてしまった。

 

ktaroootnk.hatenablog.com

 

この記事にあるようなぶっ壊れ現象は不安の類が決壊した時に現れる。最近こそ相当にコントロールできるようになったが、心の中を不安が満たすとマジで何にも手につかなくなる。胸騒ぎで胸騒ぎの腰つきすらも目に入らない。

マックス不安の波が襲った際は、どこまでも果てしなく沈みきって、あらゆる最悪に降り注がれ、もうダメじゃん、社会復帰できないじゃんみたいな絶望の淵にまでたどり着く。

時を同じくして、いや待て何考えてるんでしょう…って冷静に省みる。そんなに悪くないぞ、現状はそんなに悪くない。言い聞かせてなんとか体を動かして日常を送る。不安のダムが歩いているような状態。

例えばそこに何かポジティブな要素が入り込んできたとしよう。不安を多少軽減させるような何かを知ったとしよう。

するとびっくりするくらいやる気と全能感に満ちてくる。なんでもこい、どんとこいの精神である。こうなった時の自分は割と動く。

 

不安からの一発逆転現象を自力で作り出そうと懸命なのが最近だ。なんというか、不安に満ち満ちた生活を送りがちである。自分で蒔いた種であったり、人が蒔いた種が禍々しい植物となって僕の体を蝕んでいたり、場合は色々なのだけれども、どちらにしろ、スタート地点は不安だ。どうやって躁に持って行くか勝負となる。

解決方法なんてあってないようなもので、気合いぶっ込んで突っ込んでいく他はない。突っ込んだ先にちょっとポジティブな要素があることを祈って。突っ込んだ先の泥沼が実は舗装されていたなんてラッキーを祈って。

でも、大抵、泥沼。って思ってた方が心は楽なのだ。不安人間からするとそうなのだ。

そういうわけで、日々泥沼を見積もり、かき分けながら進む。

冬のどろんこはとことん冷たい。

告別式

人が死してのしきたりをあらかた終えた。ばあちゃんは一先ず、常世に別れを告げた。僕らもばあちゃんに改めて別れを告げた。

棺に生前好きだった食べ物や道具を入れ、写真を入れ、花を添え、みんなで棺を閉めた。焼き場に行って、無機質な炉に棺が収められ、蓋が閉まった。この時点で、なんというか、物体としての人がいよいよ無くなるのだなと感じた。精進落としをして、しばらく待っているうちに、ばあちゃんは当たり前のように骨になっていた。

 

結局、僕らが行き着く先は骨である。

どんな生き方をしても骨だ。

この虚しさ。人が死ぬということはどういうことか。遺された者からしたらそれは後悔だったり、後悔に根ざした寂しさや悲しさであるのだが、死んだ本人からしたら、骨になる以外のなんでもない。

パソコンの前でYouTube見てても骨になるし、夜の街に繰り出して酒池肉林を貪り浴びても骨になる。眠るのが大好きでも骨になるし、昼夜がないほどに働いても骨になる。活字を舐めるように本を読んでも骨になるし、インスタグラムを眺め続けても骨になる。

 

ばあちゃんの通夜を通して、彼女の人への尽くし方を再度実感したのは、昨日感傷の畔りに佇みながら散々書いた。

再三再四となるが、ばあちゃんはその人生を使って数多くの縁を結んだ。ばあちゃんを悼む人々は、僕ら親族とも懇意にしているが、ばあちゃんがいなかったらその縁はなかった。

人に尽くした人生だったのだろう。

 

ばあちゃんがそれを望んでしていたのか、天性の尽くし屋だったのかは、甚だわからない。彼女の人生は、養子として今の家にもらわれて来たところから始まると聞いている。無意識の寂しさをずっと抱え続けて、その結果、人にはそんな思いをさせたくないと尽くし屋になった…なんて推測もできなくないが、ばあちゃんがいなくなった今、真実はどうしようもない闇の中。

しかし、最期のお別れにくる皆の姿からして、ばあちゃんが望んでいたかどうかに関わらず、一つの生き方として立派なものだったのだろうと思う。

 

とにかく、僕らは死ぬ。骨になる。

人の終点を見て、自分の終点を感じた。どうせ僕も骨になる。では一体、骨になるまでに何ができるのか、何をしなければならないのか。僕は僕の人生を使って、本当のところ何をしたいのか。考えなければならないのはこれだ。最大のテーマだ。

高校に入る時に最終学歴と名乗っている大学に入るとは思っていなかったし、大学に入る時、自分が今の会社に勤めていることなんて想像もしていなかった。大学3年次の取ってつけた哲学を振り回してたどり着いた会社が、ここだった。そして割と安穏と働いている。目先の仕事に一喜一憂。目先の上司の反応に一喜一憂。同僚とまた一喜一憂。

いよいよ骨になる事実が目の前にある。

節目節目で取ってつけた哲学によって生きるのは少し寂しい。

よく考えなければならない。何をしたいのかは漠然と考えにあるが、自分に何ができて何ができないのかがわからない。何がしたいのかをもっと明確にして、何ができるのか、何をして行くのかを見定めなければならない。そのためにはたくさん知らないといけない。なるたけ本を読もうとしてきた最近だけれども、より読もうと思う。乱読でもいい。アマゾンに誘われるままにでもいい。たくさんの考えに触れて、しっかりと見極める。言うが易し。易しと清。

 

どうしたって、結局は骨。骨である。めっちゃエモったらしい気持ちでパタパタキーボード叩いてエンターキーをタンタンタンタン打ち鳴らしていても、この指さえ骨。

せっかく骨になるならなんでもしよう。死ぬこと以外はかすり傷。その通りだ。

そんな気持ちにさせられた告別式ではありましたが、果たして効果がいつまで続くやら知らない。こんな気持ちとも告別するかもしれない。

そうはならないでいたい。

通夜

一番ばあちゃんに見せてやりたかった。

葬式なんていくつも参列したことはない。ど素人である。まして、本当に近しい親族の葬式は今回が初めてだった。不義理極まり無いことであるが。

素人目に、ばあちゃんを悼む列は随分と長かったように感じた。次から次へと焼香をしていった。ばあちゃんのことを悼み、弔意がある人がこれだけいるということが、ひとえに嬉しかった。感動した。


よく、芸能人の葬式にとてつもない数のファンが参列する光景を見る。尾崎豊なんか凄かったって聞く。

数で言えば、芸能人には到底敵わない。人気とか、遺された者が感じる心の空虚さでいっても、もしかしたら敵わないかもしれない。

でも、ただひとつ。

うちのばあちゃんは今日参列した人たち一人一人に対して情を分けた。面と向かって、膝を突き合わせて、自ら炊いたご飯を食べさせた。

食べていきなよ。いいから座んなさいよ。ケチ臭いこと言いなさんなよ、お土産に持って帰んなよ。

お節介に次ぐお節介。ばあちゃんは誰しものヒロインではなく、一人一人のお母さん、一人一人のおばあちゃんであり続けた。

そして今日、ばあちゃんの子供達、ばあちゃんの孫達が総出で見送った。各々がばあちゃんと育んだ個人的な情を持ち合わせて、とっても大きな式となった。

その情のきめ細やかさたるや、参列者の数だけでは測れないものがあるだろう。


そもそも太陽のような人ではない。底抜けに明るい性格でもなかったように思うし、笑いのセンスが際立ってたりしていた訳でも無いと思う。

ただ何が凄かったって、それは他人のお母さん然とする才能だ。きっとそうだ。

心の門戸を開け放って、入るも出て行くも自由。入ってくれた人には最大限の気持ちを持って歓待する。次、来るも来ないも、また、自由。そんな懐の広さにみんな甘えて、母代わり祖母代わりにしたのだろう。無い袖も振って歓待してたようだから本当の近親者は大変だったようだけれども。


人の死や葬式ってだいたいこんなもんだって言われたらそれまでなのだが、祖母の死・葬儀を体感している中で、改めてどう生きていったらいいものかを考えさせられる。

自らの幸せと、分け与える幸せ。果たして幸せは無限に増えるものか、それとも、総量は一定で、一方に与えるともう一方は損なわれるものか。幸せに逝ける生き方ってなんだ。死んだ後の世界がうまく回る生き方はどうだ。

悔しいかな、総取りはできないだろう。


少なくとも、ばあちゃんは途轍もなく生きた。生きて、人を巡り会わせて、人に好かれた。本人のやりたいように、幸せを分け与えた。それがよくわかる葬儀だった。

とかく美しい場面ばかりが際立つのが人間の最期なのかもしれない。だとしても、いい最期だ。


またおいでね。待ってるかんね。次はいつ来るんだい。来る前に連絡よこしなよ。お小遣い用意してるからね。ね。わかった?ね。

ばあちゃんの声がこびり付いている。

僕も僕なりに精一杯生きて、それなりになった後、一本連絡入れてお小遣い貰いに会いにいこうと思う。

倶会一処。また会いましょう。

体に染み付いた曲順

パワプロにえらくハマっていた時期があった。中学生の頃である。


選手を育成する「サクセス」というモードを延々と繰り返し、プレステ2のメモリーカード一枚を選手データでいっぱいにするほどに遊んだ。ほとんど狂っていた。

守備職人として鍛え上げた「守 守(もり まもる)」、やる気ない名前付けたけど天才型がでてきた「サナキ」、やる気ない名前付けたけどダイジョーブ博士の改造手術が二回成功した「シラス」。思い出の選手が沢山いる。

実況パワフルプロ野球12

実況パワフルプロ野球12

実家のちっちゃなテレビでプレイしていたパワプロ。傍らに流れていたのが、当時流行っていた音楽である。

パワプロのBGMを聞くことは少なかった。テレビの音量はゼロにして、隣に置いていたCD、MDどちらも再生できるコンポからいろいろな音楽をかけていた。

ORANGE RANGEが絶好調で、ファンよりも多いアンチを抱えながら燃えていたころだ。素直な僕は素直にORANGE RANGEを聴いていた。飽きもせず。

2枚目のアルバム「musiQ」、3枚目のアルバム「Natural」あたりはCDにもう2、3個穴が空くほど聴いた。

musiQ

musiQ

BUMP OF CHICKENを知った時期でもあった。それこそユグドラシルはMDに落として、音飛びするまですり減らした。


幾枚か存在する、腐るほど聴いたアルバム。シャッフルリピートなんて機能が発達するすこし前、ミュージシャンが決めた曲順に従っていた最後の時代。音楽を聴くと聴いていた頃の景色を思い出し、曲が終わると次の曲のイントロが想起される。


最近、音楽はどこにでも持ち運べるようになった。通勤といえば音楽。休憩といえば音楽。音楽との接点が増えたにもかかわらず、中学生当時のような肩まで浸かる聴き方をしなくなった。曲順丸暗記アルバムもない。

あまりにも音楽がカジュアルになりすぎたのだろうか。データで売買するようになって、音楽一曲の貴重さが薄れた。山のような音楽をプレーヤーに突っ込んで、膨大な曲中でシャッフルリピートをかけるものだから、曲を覚えるにも覚えられない。


娯楽が少年ジャンプしかなかった小学生低学年の頃、1週間幾度となくジャンプを読み返した。巻頭から巻末、隅から隅まで読んだ。

ああゆう没頭の仕方は、もうできないのだろうか。たくさんの娯楽を知り、働いてお金をもらっている、今となっては。

サヨナラ弁当箱

今週のお題「お弁当」

弁当について詳しいことは以下の記事にあります。

 

ktaroootnk.hatenablog.com

 

しかし、その話ではない。今日はその話ではないのだ。

 

今朝、ぎゅうぎゅうぎゅうぎゅうと弁当箱めいいっぱいに炒飯を詰め込んだところ、圧倒的な裂け目を発見した。少しでも汁っぽい食べ物だったら確実に液漏れするであろう亀裂。クレパス。植村直己がこの裂け目を見たら何を思うだろう。

苦楽を共にした弁当箱だった。

病める時も健やかなる時も、面倒臭い時もノリノリな時も躁も鬱も。

およそ2年。あらゆる食べ物を詰め込んだ。炒飯はもちろん、野菜炒め、そぼろ、なんちゃってラタトゥイユ。お正月にはお雑煮を詰めていって、電車の中で大規模漏水し、お正月の電車の中をだしの匂いでいっぱいにした。冬至にはかぼちゃを蒸しただけの弁当を持っていって皆々様に酷評された。過ぎたるは及ばざるがごとしということわざを学んだ。電子レンジの前で弁当箱をひっくり返して嗚咽が止まらなくなったこともある。腐った玉ねぎを無理やり炒めて持っていったらバッチリ腹痛になったのも、今やいい思い出だ。

 

一つの時代の終わりを感じている。

大人気漫画ONE PIECE。

イーストブルー、ウソップとの出会いからずっと航海を共にしてきたゴーイングメリー号。レッドラインを越えてグランドラインに突っ込み、ラブーンの胃の中へ。そこからアラバスタ、ノックアップストリームにぶち上げられて空島への旅。空からの落下。あらゆる島を渡ったメリーが限界に達したのがウォーターセブン。メリーはテレパシーで麦わらの一味に感謝を伝えながら火の中に消える。その後、サウザンドサニー号なる船へと乗り換えるのだが、やはり、僕たちネイティブONE PIECE世代からするとゴーイングメリー号こそが麦わらの船である。

ONE PIECEにおけるゴーイングメリー号と、本日壊れた弁当がダブる。

次にどんな弁当箱を手に取るやらわからない。大容量かつ超密閉、落下の衝撃にも耐えうるスーパー弁当箱と巡り合うかもしれない。

でも、それはサウザンドサニー号に過ぎない。僕にとってのゴーイングメリー号は今の弁当箱である。忘れ得ない原点だ。苦楽が滲む。

多分、今夜の夢にでも弁当箱の精が舞い降りて、僕に感謝の言葉の一つや二つ伝えるのだろう。

ごめんね…もっとたくさんのお弁当を入れてあげたかった。もっともっと上手くなっていく料理を一番近くで見守っていたかった。でも…もう限界なんだ。今まで使ってくれてありがとう…僕は幸せだった。幸せだったよ…!

感涙である。

 

昨日駅までのダッシュ中に弁当袋を全力で落下させてしまったのが致命傷であろうことなんて、口が裂けても言えない。

サヨナラ弁当箱。

「いつまでが僕らのBUMP OF CHICKENか」問題

BUMP OF CHICKEN

www.bumpofchicken.com

彼らに関してはいくつか記事を書いている。僕ら平成一桁生まれが音楽に興味を持った頃、絶大な人気を誇ったロックバンド。

思春期という時期特有の、自意識と葛藤がガッチャガチャになった感情に寄り添い解きほぐすかのような歌詞。初めて知るバンドサウンド。少年少女たちは夢中になった。

ちょうど10年くらい前にBUMP OF CHICKENに感情を丸め込まれた僕らは大人になり、同じ様にBUMP OF CHICKENも大人になった。

 

BUMP OF CHICKENが好きだった同世代の人間同士で話すときまって、「いつまでが僕らのバンプか」の議論が始まる。

それほどまでに、BUMP OF CHICKENの変化は著しい。

ほぼ全楽曲を書き下ろしているギターボーカル、藤原基央。BUMP OF CHICKENのエンジン。彼がBUMP OF CHICKENであり、BUMP OF CHICKENは彼である。彼の心情一つで楽曲は変化していく。

初期には世間へ牙を剥き、なにくそ精神を振りかざしていた藤原基央も、世の中に認められ、だんだんと角が取れて丸くなっていく。楽曲にも歌い方にもそれが如実に現れている。それこそ3枚目のアルバムあたりでは、メジャーデビューに際する環境の変化になんとか対応しようともがく藤原基央の姿が浮かび上がる。もがく藤原基央の姿に僕らの思春期は共鳴したのだった。

 

jupiter

jupiter

 

 

時を経て、紅白にも出場、ドラマにCMにタイアップしまくって、メディアにも出まくるBUMP OF CHICKENとなった。もがききって対岸に着いたのであろう彼らは、苦しみやしんどさから少し離れたところからそれらを歌っている。藤原基央の歌い方も優しくなった。一度優しくなりすぎて猫なで声となり、ちょっと気持ち悪くなったけど、最近はうまいバランスになってきた。そんな印象を受ける。

 

平成一桁生まれの僕らはBUMP OF CHICKENリアルタイム世代かといえば、実はそうじゃない。BUMP OF CHICKENが1番ノリノリだったころに音楽に目覚め、そこから過去に遡っていった世代だ。つまり、とげとげしかった藤原基央に焦がれた世代である。棘が取れて丸くなった藤原基央をいつまでどう受け入れているかで、「僕らのバンプ」の時期が変わってくる。

ごく個人的なBUMP OF CHICKEN観であるが、4枚目のアルバム「ユグドラシル」こそがBUMP OF CHICKENの到達点だと考えている。食べごろ極まりないBUMP OF CHICKEN。

そして5枚目の「orbital period 」で熟れ過ぎたメロンの如き熟し方に達し、6枚目の「COSMONAUT」で一度腐って落ちる。落下した果実は7枚目の「RAY」にて大地に再び芽吹き、8枚目「butterflies」で新たな木になろうとする。

ざっくりだが、こんなバンプ観である。

すると、どこまでが「僕らのBUMP OF CHICKEN」かというと、5枚目「orbital period」までなのである。

 

orbital period

orbital period

 

 

多分十人十色のBUMP OF CHICKEN観があり、十人十色の「僕らのBUMP OF CHICKEN」が存在する。平成二桁でBUMP OF CHICKENに惚れ込んだ世代もいるはずで、彼らにとっての「僕らのBUMP OF CHICKEN」は6枚目以降のBUMP OF CHICKENなのかもしれない。

 

こんなことを考えながらiTunesを聴いていたのだが、一つの見解を得られた。

iTunesではiTunesがCDにジャンルをつけてくれる。ヒップホップだとか、J-POPだとか、そんなんである。

BUMP OF CHICKENを久々にがつがつ聴いていた。ユグドラシル収録の「乗車券」という楽曲であった。ふと、ジャンルを見ると、「インディーズ」と書いてあった。なるほどインディーズ。違いない。確かにこのころのバンプはインディーズの延長線上にある。

またしばらく聴いて、COSMONAUTの「ウェザーリポート」がかかっている時にジャンルを見てみた。「ロック(日本)」となっていた。

おや。ジャンルが変わっている。

ざーっと確かめてみた。

確認できたのが、iTunesにおいてBUMP OF CHICKENのアルバムは、5枚目「orbital period」までがインディーズであり、6枚目「COSMONAUT」と7枚目の「RAY」がロック(日本)、8枚目の「butterfries」がrockであること。

そう、iTunesにおいても別のジャンルと認識されているのである。しかも8枚目に至っては日本のロックですらなくなっている。どういうメカニズムかは知らないが、なんとなく自らのBUMP OF CHICKEN観が認められた様な気がした。そんなお話でした。

 

同世代でBUMP OF CHICKEN好きな人には伝わる話ではないだろうか。

 

www.youtube.com

亡くなるということ

母方の祖母が亡くなって、一夜、二夜。

一昨年、父方の祖母が亡くなった時、僕は実家に帰らなかった。サラリーマンになりたてだったこともあり、ヘンな使命感が優って、帰郷を見送った。サラリーマンはいくらでも替えの効く特攻隊だということを知らずにいた。

今回は反省を活かして、母の実家つまりは祖母の家で過ごしている。使える忌引きは全て使うつもりである。

床の間に寝ている祖母の前にはお供え物。お線香の煙は途切れることなく、いつまでも立ち上る。話では、煙と共に魂が天に昇っていくらしい。


家には、生前ゆかりのあった人が次々と訪れる。ほんとうに、次々と。来るたびお供え物が増え、とんでもなく豪華なビュッフェみたいな状態になっている。ひとえに、それが祖母の人徳であったということだろうと、口々に皆が言う。


訃報に際して来訪してくれる人と、茶の間で故人の昔話をする。転じて、故人から少し離れたお話に花が咲く。そしてふと、故人の方を向いて、聞こえてるかなあ、聞いているかなあと思う。

ばあちゃんを思ってやってきている人がこんなにいますよ。ばあちゃんの話でこんなに盛り上がって、関係ないことで笑っていられるこの場は、全てばあちゃんが繋げた縁なんですよ。ばあちゃん、見てますか。


死ぬの勿体無いなと思う。もちろん、死ぬの勿体無い人生を生きたいなとも思う。ドライアイスを抱きかかえて後ろで寝ているばあちゃんは、こんなに楽しい席を知らない。見ていても、僕らはわからない。笑っていても、見えない。

しかし結局、これが人間なんだろう。

自分を賭して、どれだけの縁を作れるか。どれだけの喜怒哀楽を生み出せるか。

誰が死んでも世の中は動き続ける。むしろ、動き続けなきゃならない。自分が関わり生んだ縁が、どんどんと続いて行く。頃合いを見て、すうっと自分が抜けていく。床の間で寝ている人が、茶の間の席の最高の立役者となる。なんと痛快なことか。


うまく言葉にはできないけれど、人は自らの命を生きているだけじゃいけないのでしょう。たくさんの縁を生んで巻き込んでいかねばならない。難しいなあと思いつつ、巻き込まれた側としては、生き方を学んでいく所存。