錦糸町に3年間住んだ感想 端的に言うととてもよかった
何から伝えればいいのか わからないまま時は流れて
浮かんでは消えてゆく ありふれた言葉だけ
小田和正「ラブストーリーは突然に」の、歌い出しの一節。
散らかりすぎた部屋を片付ける時どこから始めたらいいのかわからないように、積もりすぎた思いを伝える時、僕たちは何から伝えればいいのかわからない。
先般、錦糸町を離れた。
三年足らずの生活だったが、僕が住んで感じた錦糸町を表そうとしたとき、何から伝えればいいのか…と、そんな気持ちになる。部屋は片付けて引っ越したものの、住んでみてどうだったのか、何を感じたのかといったところは、全く片付いちゃいない。
住んだ期間の割に寂しい気持ちがむくむくともたげているので、錦糸町のことを僕は好きだったのだと思う。いや、好きだった。とても住みやすく、生活しやすい街だった。
何がよかったのだろう。街の持つ顔、僕の考えと生活のスタイル、周りの環境。それぞれの相性が良く、住みやすさと心地よさを感じていたのだろう。どれが特別だったというわけでは、きっとない。
少しずつ、綴れるところから綴って行く。
僕が住んでいた地域
錦糸町駅は、北口と南口がある。両者は表と裏のようなもので、全く文化が違う。どっちが表でどっちが裏かは、何とも言えない。
北口には、スカイツリーへ続く道が整備されている。下町っぽさと最近開発された道とが折衷して、上品さと無骨さが混ざり合った独特の風情を作っている。古くからあるお店とスカイツリーバブルで湧いて出てきたお店、そしてチェーン店。整備が行き届いた石畳の道から枝分かれした、整備できてない路地。下町が開発されたらこうなりました!って姿だろう。
一方の南口は性と金と酒とギャンブルを全部足したら出来上がる町。
ランドマークはマルイとJRA。休日は競馬をしにどこからともなくおっさんたちがうじゃうじゃと湧いてくる。もれなく片手には競馬新聞。ダフ屋やら予想屋も軒を連ねて築きあげるは一大ギャンブル文化圏。JRAを取り巻くようにパチンコ屋も整備されている。夢はあるが、儚い。
転じて、毎晩夜になると飲み屋が暖簾をあげる。性風俗屋さんだらけの雑居ビルが乱立しており、その下でキャッチのにいちゃんたちがせめぎ合う。おっぱい、飲み、抜き。酒と金と性が螺旋をなし、仕事に疲れた野郎どもの溜まり場を生んでいる。
強面のにいちゃんだらけで、治安が悪いのかといえば、そうではない。喧嘩の類はほとんどないのがいいところだ。絶妙なパワーバランスの上に成り立っているのであろう、怖い思いはほとんどしない。冷戦時のソ連とアメリカみたいなものである。側からしたら怖いが、実害はさしてない。
文章の熱量からも分かるだろうが、僕は南口に住んでいた。徒歩10分かからないくらいのマンションである。性風俗に難ありの地帯から少し離れ、首都高の超えた先のマンション。
無数のキャッチに声をかけられながら歩いた家路だった。
友達もできた。
疲れ果てた帰り道に話し相手がいる。煩わしいと思う日もあれば、救われる日もある。うっとおしいだけのキャッチではなかった。
飲み屋飲み屋キャッチキャッチといえど、怪しい飲み屋だけではなく、ちゃんとした居酒屋もたくさんある。錦糸町で飲み会を開いて、泥のように飲んでも、そこに家がある。終電を無視できる安心感が凄い。繁華街の近くに居を構える利点であろう。色んな人を泊めたものである。
交通の便
錦糸町に住んでいて最も便利だった点が、交通。
東京は墨田区。JR総武線、JR総武快速線、東京メトロ半蔵門線が交錯する街である。23区内では千葉に寄りで、江戸川区や葛飾区と並んで千葉っぽい東京とされているところがあるが、千葉にいくにも都心に出るにも、何なら埼玉にも神奈川にも出やすい万能都市である。
東京であれば、「新宿・渋谷圏」には総武線や半蔵門線で。「西東京圏(吉祥寺とか)」には総武線と乗り入れている中央線で。「東京・銀座圏(新橋・品川も含め)」には総武快速線か半蔵門線で。あらかたの文化圏に乗り換えなしでアプローチしていける。難点があるとすれば六本木・赤坂界隈だとか、池袋のあたり。でもテレビ局や広告屋さんに用事がなければたいして困らないし、サンシャインには年一くらいしか行かなかった。通う人は考えたほうがいい。
神奈川にはふた通りのアプローチ。総武快速線が乗り入れている横須賀線で横浜を通って鎌倉や逗子や久里浜の方に誘われる方法と、半蔵門線が乗り入れている田園都市線で世田谷(二子玉川)を通り、長津田や中央林間の方まで誘われる方法。風光明媚な神奈川と生活圏の神奈川、どちらにも行けるのは何かと便利。
埼玉に関しては半蔵門線押上の奥、スカイツリーラインで北千住を通りながら越谷や春日部、久喜の方まで。池袋に弱いくせに埼玉には強いのが錦糸町である。
言わずもがな、千葉には総武線が無類の強さ。押上まで出れば京成線も走っているし、気合い入れて東西線の東陽町まで出れば、葛西の方にも行ける。
JRと東京メトロが交差している駅は他にもあるだろうが、ここまでどこまでも行ける駅はあるのだろうか。「乗り入れ」というマジックワードが全てを便利にしてくれている。感謝。しかし、乗り入れちゃっているがために、埼玉の彼方での事故によって錦糸町のダイヤがぐちゃぐちゃに乱れることは多々ある。要注意。
日々の暮らし
どんなに飲めたって、どんなに風俗が軒を連ねていたって、どんなに交通の弁がよくたって、生活ができなければ意味がない。衣食住が基本なのである。
衣に関していえば、アルカキットとオリナスで大抵が解決される。
錦糸町ショッピングモール オリナス :::olinas:::
ユニクロと無印とセレクトショップ。もはや服なんてそんなもんで事足りてしまう。
もしちょっとちゃんとしたもの買いたいのであればマルイに行けばいいし、多分そうなったら新宿とか銀座に出る。出なさい。
食はどうなのと言われると、亀戸の方が便利。何が便利って、商店街と業務スーパー。
錦糸町~亀戸間はチャリで5分ほどだから、全くもって苦にならない。毎日の弁当の材料はほぼ全て商店街内の八百関商店と業務スーパーで済ませていた。下町だからか何なのか、物価は安い。
さて、住環境である。ネックはここだ。
驚異の交通の便、繁華街、スカイツリー。そこそこな土地の価値があるのだろう。
家賃が高い。
錦糸町駅(東京都)の家賃相場:賃貸物件サイト【CHINTAI】
僕はやっとやっと会社から補助をいただきつつ住み長らえてきたものの、体一つ生身で生きて行けと言われたら全くもって住めない街だった。同じマンションに住んでいた人たちの所得とかどうなってんだろうと思う。めっちゃいい給料もらっている中に紛れ込んだ弱小年収ボーイ。滑稽ですらある。
逆に、家賃の問題さえ解決されたのなら錦糸町は猛烈に住みやすい。お金持っている人、是非どうぞ。
お世話になったお店
三軒、あげたい。
インドカレー居酒屋。夜は月に何回かライブバーになる。
不意にランチで寄ったらマスターに捕まり、そこからちょくちょく行くようになった。
ナンがそもそも好きだったのと、音楽がそもそも好きだったので、渡りに船なお店だった。集まる人たちがみんな大人。分かりやすく大学に進学して就職した人生では知れないような人生をたくさん見たお店だった。
如何せん北口にあったので足繁く…とほどまでは行かなかったが、錦糸町の生活を思い出すときには必ずセットで想起すると思う。
音楽酒場。ギターベースドラムキーボード完備。オープンマイク。楽器が弾ける人が集まり、歌を歌いたい人が集まり、酒飲みながら歌いたい曲をリクエストしたら楽器弾ける陣が精一杯弾く。楽器弾ける人にしたら堪らないお店である。
大抵行ったら朝までコースになり、朝までコースになると無限にお酒を飲んでしまうので、節度を守りながら通った。
人前で演奏する楽しさったらない。ビートルズのような共通言語となっている音楽を、初めてセッションする人たちと演奏する時の緊張感とワクワクといったら。
このお店に行けなくなってしまうのが、錦糸町を離れる寂しさの片棒を担いでいる。
もっと行けばよかったと思った時には遅い。
後輩が行きつけにしているお店。釣られて僕もフラフラと行くようになった。
無限に焼き鳥が美味い。特にレバー。じっくり火を通して、ほぼレアな状態で食べる鳥レバーは絶品。絶品のくせして一本130円とか。鳥貴族も別にいいけど、松っちゃんの焼き鳥を食べてしまったら鳥貴族の焼き鳥のコスパにがっかりしてしまう。
全席で10席もない。2,3人の友人と、美味しいご飯を食べながら語らいたい時には圧倒的にオススメのお店。食べログしか貼れないけど食べログの評価なんかアテにならないいい例だ。
この三軒には本当にお世話になった。
忙殺されながらの引っ越しで、最後挨拶もしないで引っ越してしまったのが心残りだ。改めていつか行かなきゃ行けない。時間作って。
まだ何か書きたい気がする
だけど、今のところ何を書きたいのかわからない。
旧居も完全に引き上げてしまったものだから、僕と錦糸町を結びつけるものは何一つなくなってしまった。
一つ一つ、思い出にしていく。思い出が増えるたび歳をとる。人生は豊かになる。
引っ越して、やや2週間。新しい街はまだ外様の街。今の街もいつかは豊かな思い出に彩られた街になると信じている。いつか引っ越す時、タラタラと書き出したくなるようになればいい。
また、思い出したら書くようにする。
年が明ける前に書けてよかった。