徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

「デジモンアドベンチャー LAST EVOLUTION 絆」を観てきます。

昭和の終わりから平成の頭にかけて生まれた世代を、世の中ではゆとり世代という。個性と自由を掲げて伸び伸び育ったが、そもそもの方針の是非をいまだに問い直し続けられている。ゆとりだから、ゆとりなので。血液型よりも確かで、同じくらい自分たちではどうにもできない世代の業を背負って僕らは生きている。

僕の生まれ育った町内会には同い年くらいの子供たちが多く住んでいた。学校帰りには年端さまざまな子供たちが公園に会して、やれ鬼ごっこだなんだと遊びまわった。北海道は大雪山より東。地上アナログ放送の電波が山に閉ざされ、テレビ東京が映らず、アニメの多くを見ることができない地域の子供達にとっての娯楽は、鬼ごっこやゲームだった。

中でもよく面倒を見てくれたお兄ちゃんがいた。三つ上のお兄ちゃんで、学くんと言った。学くんと僕の家は徒歩1分程度のもので、類に漏れず毎日のように遊んだ。しばらく後になってわかったことだが、学くんがお母さんと呼んでいた人は実はおばあちゃんで、両親は別のところに住んでいるという比較的難しい家庭だったようだ。

学くんがお母さんと呼んでいたその人が、ものすごい数のデジモンを育てていた。

デジモン。

たまごっちのようなモバイル端末で、ドット絵のモンスターを育てるゲーム。端末の上部にはアダプタが付いており、別のデジモン端末のくっつけることでバトルができた。

学くんのお母さんはデジモンの端末を5つも6つも持っていた。子供達の憧れのマトであった。

さらに、学くんの家にはプレイステーションが置いてあり、みんなで遊んでいたのがデジモンワールドというゲームだった。

モバイル端末のデジモンからプレステにスピンオフした作品で、これがよくできた育成シミュレーションゲームだった。今でもゲーム好きの間では名作として語られるほどのゲームらしい。これにも夢中になった。寝ても覚めても、どう育てようか、どんなデジモンに進化するのかとデジモンのことを考えていた。


1999年、デジモンアドベンチャーの放映が開始される。フジテレビでの放映で、僕が住む地域でも見られる全国版のアニメ。それも、大好きなデジモンである。日曜日の朝は9時から始まるデジモンを観て、9時半からみんなで公園で遊ぶのがお約束となった。飽きたら家に入ってデジモンワールドで遊び、また外で遊ぶ。デジモンは僕ら子供達の生活のほとんど中心のような場所にあった。それから4年間。デジモンフロンティアまでのデジモン4部作は今でも鮮明に僕の、もしかしたら僕らの世代の思い出の中に残っている。


そういうわけで、最新作の公開です。

http://digimon-adventure.net/

「選ばれし子供達」のその後を描いているストーリーはいくつかあるものの、最新作にしてこれが最後の物語になるようだ。

1999年、誰しもが自分が「選ばれし子供」だったらだと思った。デジモンと一緒に旅をして、地球の危機を救えたらと思った。ただ現実は、当たり前のように学び、進学し、企業に選ばれたのか僕が選んだのか、わからないまま勤め始めている。世代の評価や是非からしても、選ばれし子供にはなれなかった世代ではなかろうか。


無限大の夢の後の 何もない世の中じゃ

そうさ愛しい 思いも負けそうになるけど


デジモンといえば和田光司、デジモンといえばbutterfly。よく考えたら、曲中でも無限大の夢の後のことを歌っている。それでもきっと飛べるのだ。根拠はなくとも。

そういうわけで、観てまいります。