徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

緊急事態宣言を待ち望むやのようなヤフーコメントについて

夕方、意味深に「250、、、」とかって呟くだけで、「あ、東京都の感染者数だ!」と合点がいってしまうような荒んだ世の中になりました。2020年7月の首都圏です。

緊急事態宣言が明け、経済と防疫の両立に舵を切った我が国日本。千代に八千代に細石が云々と曰う間にもあれよあれよと感染者数が増え、冒頭のような状況となっている。感染症が流行っている中で、パーティーや飲み会で乱痴気騒ぎしたらそりゃ誰か彼かは感染する。そんな当たり前に僕らは日々立ち向かっている。そういえば8年前、成人式で帰省した際に地元のホテルで高校の同窓会を催したが、参加者内にインフルエンザ罹患者が紛れ込んでおり、それこそクラスター化したことを今思い出した。何時の世だって、感染症とはそんなものである。

とはいえこの新型コロナウイルス、いわゆるcovid-19は、ろくすっぽ治療法がない。抗エイズ薬が効くとか、まことしやかに囁かれてはいるものの、確からしさはなんともいえないもののようだ。だからこそ、そんじょそこらのインフルエンザとは異なり、要注意の感染症として世界保険機関が認めちゃったものだから各国ともに躍起になって感染拡大防止の旗を掲げている。ブラジルはいまだに明るくサンバを踊っている。

 

ウイルスは単細胞だ。covid-19ももれなく単細胞である。「やーい、単細胞」という悪口も今こそ慎まないと感染させられてしまう。一方、人間はご承知の通り無数の細胞からなる生物である。その複雑さたるや、生物界でもピカイチだ。さらに、現実世界だけでは飽き足らず、インターネット上で集合知を生成することに成功した。様々な知見の人間がそれぞれの立場でものが言える、古代ギリシャの広場のような空間を現実世界とは異なる次元に生み出した人間。そうした意味では、ウイルスと人間は全く対極の存在ともいえる。

集合知の一種、SNSでは、今日も様々な意見が投げ込まれ、投げ込まれた意見に対してさらなる意見が投げ込まれている。

ちょうど先日、首相が「緊急事態宣言をするにあたりませーん」との談話を発表したことで、SNSがあーでもこーでも状態に陥っている。巷には緊急事態宣言大好きおじさんと大好きおばさんが山ほどいるようだ。感染症の拡大を先般の緊急事態宣言にて華麗に押さえ込んだという成功体験がおじさんおばさんを突き動かしているようであるが、そもそもこの状況下で、確かなワクチンできるまでの間感染者数を0に押さえ込み続けることができるとでも思っているのだろうか。頭を揺すって問うてみたい。それができれば苦慮しない、と思う。世界保健機関も右団扇だろう。だが、それができないからこんなにも世界中が七転八倒しているのだ。緊急事態宣言大好きおじさんたちのそもそもの目的はなんなのか。世間の感染症数を減らすために生きているのですか。仏か。

そういうわけで、リアルな話、感染する人数を0にすることなど無理な前提に立った上で、うまくお金を回しながら、医療の現場を見つめながら、手綱を引いていくしかない。頑張れ、国。何でもかんでも「感染症を抑えるために全部やめます!」って言われたら会社も終わっちゃう。がんばるよ、会社。

 

もとい、そんなSNSでの一銭にもならないような物言いを眺めて、ああ、これは出来の悪い労働組合の如しと思った。

当方、労務窓口としての職務を仰せつかり、やや2年となる。労働組合が現場で吸い上げてきた意見を、労務課題として受け取り、従業員目線での施策の立案に汗を流してきた。この歳で労使の味を少しだけ知れたのは貴重な経験なのだろう。

労組は、「声」を集める。歌声集会かの如く、声を集めてくる。

この「声」、会社にとっては大変重要である。なぜなら、この「声」に現場の真実が詰まっている(とされる)からだ。あらゆる課題は現場にある。課題が「声」となる。だからこそ、会社は真摯に「声」に向きあう。

他の労組を見たことがないからわからないが、当社の労組はちゃんと労働者の立場としての意見を述べる。こんなことに現場は困ってる、こんなこと考えたらどうか、労組内での審議を経て、「声」は意見具申として会社に届けられる。健全な労使関係なのではなかろうか。

 

声。

国民の声としてとりわけ面白いのが、ヤフーコメントだ。

首相の「緊急事態宣言をするにあたりませーん」に対して、緊急事態宣言大好きおじさんと大好きおばさんが「声」をあげている。しかしこの「声」、現場の課題でもなんでもない。見事にただの感想である。これが面白い。

「こんなに感染者が増えているのに!あり得ない!」「無能!」「緊急事態宣言下よりも感染者数が云々!」「首相としての資質が!」

いわゆる「声」の礫なのだが、精査も何もされないまま知恵袋の中に放り込まれていく。どこにも真実がない、確かさに乏しい「声」の数々。それらしいツイートをみたから、それらしい人がそれらしいことを言っていたから、だから国の対応は有り得ない!

はなから相手にすることもない。基本的には日本は間接民主制であり、やんややんやとヤフコメツイッターで声を投げ入れたとて、選挙であなた方が選んだわけですから…と言われたら返す言葉もなく、天唾になってしまう。

とはいえ、民意に左右される民意もある。それらしい人のそれらしい嘘が真実かの如く扱われる。何年か前から語られだしたポストトゥルースの世界、そのものだ。


真実から離れたところから注がれる清濁混合の「声」の礫は、国にも民間にも等しく降り注ぐ。同じことを民間でやられたら企業としてはたまったもんじゃないが、消費されるのも早い。案外けろっとするかもしれない。


そうこうしてる間に、「もう一回マスク配るかも…」と厚労省のどなたかが漏らしたもんだからまた声の嵐である。

マスクをしていてもツイートは雄弁な、僕たちだ。