徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

銭湯と番台のテレビ

夏が盛りつつある。ジージーと至る所で音がする。音の方向をよくよく見ると木にしがみついて懸命に翅を震わせる蝉だ。1週間の命だとか、実は1ヶ月くらい生きるとか、いろいろ言われるが、どちらにせよ短命な蝉が夏の始まりを告げる。

観測史上稀に見る気象状況が続くから、一体普通が何かわからない年が多い。梅雨とは七月いっぱい続くものだったろうか。そうだった気もするし、今年は特別遅い気もする。例年よりも何日梅雨明けが遅い、の、例年がわかったようでわからない。例年どこかの川が氾濫する。例年通りっちゃ例年通りだが、最上川の氾濫はいつだかぶりらしい。治水だなんだというが、結局のところ人間が治められる物など人間が作り出したものでしかない。人間が生まれる前からあって、人間が生まれるきっかけを生み出した自然相手に治めるとは何事だろうか。ハイデガーでも読んでなさい。

 

柄にもなく一生懸命考えなければいけない日々が続く。

人と話すときは、基本的に目には目を歯には歯をで話さなければ通じない。日本語には日本語じゃなければ通じないように、相手が論理でやってきたらこちらも論理で返さなければならないし、相手が感情できたら感情で返す必要がある。僕は感情のやりとりは大変得意な方である、と自負している。論理のやりとりも嫌いではないが、体力を使う。ここ最近は論理のやりとりばかりをしているため、もう考えるのいいやーとなり、くだらない言葉遊びに熱中することも少なくなった。本当はそれが好きなのだが。

 

休みの日に銭湯にいくことが増えた。近所16時ごろから近所の銭湯に行って、小一時間浸かって、番台のテレビを眺める。丁度夏場所の時期で、銭湯のテレビもNHKにチャンネルを合わせている。

勝負はわかりやすい。勝ちか負けかしかない。その上相撲は体当たりして土俵から出るか、足の裏以外が地面についたら負けという大変に単純なルール。グラニュー糖のようなわかりやすい興奮を脳にもたらしてくれる。

すうっと、焼酎を飲みながら相撲を見ていた祖父の姿を思い出した。夏休みに母の実家に帰省したとき、夏場所を見ながら酒を飲み、飼い犬にマグロを食べさせていた祖父だ。人生も夕暮れが過ぎ星空が輝いている頃合いだ。たくさん考えて生きてきたのだろう。あの単純な戦いを見ながら酒を飲むのはどれだけ楽しいことだったろうか。少しわかる気がした。

相撲を見終わり、スーパーでご飯の材料を買って帰る。今夜はニラ玉にした。酒を飲みながら、つまみを食べながら、大したことのない文章を書く。BGMはない。蝉も寝たのか、鳴き声が止んだ気がする。静かな夜である。