徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

着地をしない話

書かないをしていた。

これは意図的に書かなかった訳ではなく、水が低きに流れるように、風が気圧の低い方から高い方に流れるように、ただ自然に身を任せて生きているとこうなっていったという、なんとも情けない話である。ただ一方で、情けなさを感じる道理があるかといえば、これも全く存在せず、毎日走っていた人が飽きて走らなくなるとか、毎朝牛乳を飲んでいたのがなぜか飲まなくなるとか、その程度のことだ。情けないも何もない。

しかしここ何年も懸命に書き続けた日々や習慣が、一瞬の気の持ち用で簡単に指の隙間からこぼれ落ちていくのは、あまり気持ちの良いものではない。頭の片隅にはいつも書きたいな、書かなきゃなと脅迫めいたものがあったが、いざ書かんとすると、いつも脳味噌のどの部分を使って書いていたものやらわからなくなった。しかも久しぶりのブログであるから、そこそこ高尚な考えたことを書かないといけないなど、小賢しい考えがむくむくと首を擡げてきた日には、この文筆作業が全くもって手のつけられない代物となり、僕の目の前に立ちはだかったのであった。

書かない間に、夏が過ぎ、首相が変わり、大相撲はふた場所が終わり、僕は28歳になった。首相交代以外は黙っていてもやってくる出来事だからどうってことはないのだが、相変わらず地球は自転しながら公転していることを感じさせてくれる2ヶ月を、書かないをして過ごすということは、たくさんの物事を飲み込み続けたというべきか、吐き出すものがないほどに対して食べもしなかったというべきか。

 

昨日夜、突然地元の友人から連絡がきた。遠く離れた道東の地でのただの飲み会である。現地で3名、リモートで1名の多勢に無勢極まりない酒宴は、僕の携帯が電池切れを起こしたところで終了した。自転と公転は都会だろうと田舎だろうと平等に時を運ぶ。中秋の名月は北見でも綺麗だったろうし、みんな等しく年をとって、それぞれ人生を歩んでいた。なんてたいそうな話は一切しておらず、同級生の寺の坊主は最近めちゃくちゃ部屋でバイクを漕いでいる話をした。痩せたのは精進料理のせいか、それともバイクのせいだろうか。今日も彼はきっとバイクを漕いでいる。

 

坊主から、最近書かないの?といわれた。

特に書かなくなった理由もないから、別に書けるのだけどと話した。

理由はないが、書きづらくなったのは事実だった。これは、毎日走っていた人が飽きて走らなくなったら走ることを忌避しだすとか、毎朝牛乳を飲んでいたのがなぜか飲まなくなったら牛乳を忌み嫌うとか、それに似ている。仲のいい友達と恋人になり、別れたらもう友達には戻りづらいあの感じとも同じだ。

だからこそ、書き出しは小さくていいんだと、昨日思った。

多分坊主も最初バイクを漕いだのはわずかな距離だったろう。なぜ漕ぎ出したのかも知らないが。僕ももう一度わずかなとっかかりから話をするようにする。坊主が漕がなくなったら、一漕ぎでいいから漕いでみな、とアドバイスを送ろう。

僕は変わらず元気です。