徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

小火を起こす

一昨日の朝である。

朝食に茹で卵を食べることが多い。ある程度茹でる時間は必要となるが、放っておいたら出来上がる優秀さに惹かれ頻繁に食す。茹で卵にトーストにヨーグルトが最近の朝食だ。フライパンで焼いたりかき混ぜたり、面倒なことは一切必要のない食事。ストイックに時間短縮をし、ピアノでも弾く。理想の朝である。

放っておいたらできるからと、茹で卵作りながら髭を剃ったりすることはよくあった。何しろきっちり茹でないと殻がうまく剥がれない。中途半端に白身が固まっていなくて卵を台無しにすることさえある。しっかり茹でるその間に支度ができる。機能的だ。

 

やはり、一昨日の朝である。

いつものように茹で、茹でている間に支度をし、パソコンを眺めていた。ピアノを弾いている人の動画である。ストリートピアノで圧倒的な技術を見せつける系YouTuberの動画を最近見るようになった。技術をひけらかしやがってと、卑屈な気持ちで遠ざけていたのだが、本当に上手い人がたくさんいるので、あっさりと沼にハマっていった。

 

ふと、懐かしい匂いがした。

ガガガSPは「懐かしい匂いがしました」と言って線香花火の香りからあの娘を思い出した。一昨日の朝、僕が思い出したのは、佐倉の夏だった。小中学生の頃、母の実家に夏休みと冬休みのたびに一緒に帰省していた。夏はお盆だ。お墓参りについていく。実家から車で数分のところにお墓があり、故人に思いを馳せた。

墓参りには線香がつきものだ。火を焚くのに、紙を燃やす。真夏の墓地で、叔父がもつチラシが火に侵食され、ひしゃげて行く風景。

 

僕は、ピアノの動画を見ながらそれを思い出していた。なんか佐倉のような匂いするな、あ、これはお墓の匂いだ。なんだこれ。

全くピンとこないままそろそろ茹で卵が出来上がったかなーと、台所に向かった。

佐倉の匂いの原因がわかった。

茹で卵を茹でていた鍋の上に、ロールペーパーをぶら下げていたのだが、紙が垂れて鍋に接触し引火。火はロールペーパーを遡りロールペーパーが全焼。さらに火の手はその上に設置していたサランラップやアルミホイルも焼き尽くしていた。

なるほど、これが懐かしい匂いの原因か。匂いというのは、佐倉のあのジリジリとした夏と、台風が押し寄せる鬱屈とした秋口の大田区をこうも簡単につなげるのか、すごいものだなぁ。そもそもものが燃えると似たような匂いがするのか、知らなんだなぁ。

天井を仰げば、いい感じのスモークである。演出に使われるスモークは地を這うように広がるが、普通にものが燃えて出る煙は立ち上る。

はて。どうしたものか。

焦ると冷静になるものだ。まず火を止める。布巾を濡らし、目下延焼しているサランラップやアルミホイルを水に浸す。燃え尽きたキッチンペーパーはもはや怖くない。延焼を食い止めれば被害は広がらない。ここまで、流れるような作業。さながらファイアーマンである。大きな課題は煙だ。僕が住むマンションはマンションは廊下に煙感知器がある。焦ってドアを開けると煙感が反応して大騒ぎになることが見えていた。至って冷静に全ての換気扇と窓を開ける。雨がふりしきる東京は寒いが、四の五の言ってはいられない。一酸化炭素中毒が先か、換気が先か。寒がれるのも命あればである。どんどん空気が入れ替わる。懐かしい匂いの煙は、あの夏と同じように空へ向かって立ち上っていったのだった。

 

と、いうわけで、火の元から目を離すのは本当に危険であることと、火の元の上に可燃物を置くことも危険であることを身を以て知った。あの時茹で卵の完成を待ちわびて台所にいかなかったらなおのこと酷い状況になっていただろう。間一髪である。

事件から2日経ったが、煙は逃げて行ったもののまだ台所からはあの懐かしい匂いがしている。記憶が脳裏にこびりつくように、火の匂いもそう簡単には消えないようである。一切、そんな綺麗な話ではないのだが。