徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

万目すべて凍るなり

1950年代後半。戦後の集結と高度経済成長の夜明け、現代日本の礎が築かれた当時、一般家庭に爆発的に普及していった家電、いわゆる、三種の神器。この一角を占めるのが、泣く子も黙る冷蔵庫である。

「蔵」はそもそもが冷暗であり、ものの保存に適した環境であったはずだ。とはいえ、夏は外気にある程度左右される。食品などは痛みやすかったのだろう。どうにかならないものか。年中摂氏4度か5度程度に温度を保つ機能を加えられたら、食品を傷ませることなく保存が効くのに。そんな夢のような機能を実現したのが、そう、冷蔵庫である。僕の母が生まれた頃に普及が始まったので、当然、平成の頭に生まれた僕にとってはは生活の一部なのだが、世に出回り始めた当時、どれだけ冷蔵庫が便利で画期的な道具だったか、想像に難くなさすぎて想像がつかない程だ。

当然だが我が家にも冷蔵庫がある。上京当時買った冷蔵庫。冷蔵室と冷凍室が一つずつ。7対3程度の割合である。どちらも引き戸式のドアで、高さは1メートルもないくらい。本当に、一人暮らしにおいては一般的な冷蔵庫だろう。

僕の一人暮らし10年間の歴史は、この冷蔵庫とともにある。

しかし、このところ様子がおかしい。

家電は10年が一つの区切りだと言う。なんともわかりやすいものだが、類にもれず我が家の冷蔵庫も、である。何がおかしいかといえば、とにかく凍る。

上段が冷凍庫、下段が冷蔵庫の作りなのだが、冷蔵庫内の上の方、すなわち冷凍庫よりについてはほぼ冷凍庫である。とにかく凍る。うっかり卵を上段に置いた日にはすべての卵がコールドエッグとなる。卵を凍らせた経験がある人がどれだけあるか知らないが、卵は凍らせると内容物が膨張してひび割れる。しかし、凍っているものだから特に容姿に変化はなく、ただ凍ってひび割れた卵が10個誕生する。ヨーグルトはフローズンヨーグルトになるのだが、乳清やら何やらが分離して食べられた代物ではなかった。豆腐も凍らせたが、本当にただの氷となった。変色しておいしくなさそうだったから溶かして食べることも憚られた。

試行錯誤を重ねたのち、キムチを置いている。キムチはなかなか凍らない上に、凍っても氷温熟成されておいしくなる(気がしている)。

 

そんな状況にて、僕の脳裏に浮かんでいるのは、母校の校歌である。

母校、北見北斗高校には、校歌が二つあった。新校歌と旧校歌。どことなくメロディが似た二つの校歌だ。1922年、大正11年に設立された母校は、再来年に創立100年を迎える。新校歌と旧校歌の沿革は不明であるが、旧校歌はまず間違いなく大正11年頃に制作されたものであり、言葉使いからメロディーから、軍歌のそれを彷彿とさせる。

オホーツク海の流氷は 欧露の空の雨雲か
北の鎮の北海を 寒風すさみ流る時
万目すべて凍るなり されど我等の校庭に
千古に青き茂みあり 常盤に茂れる林あり

これだ。

流氷がくる季節とか寒すぎてまじぱおんだけど弊学の校庭はevergreen!って歌である。ノリがやはり月月火水木金金だ。無理がある。寒いは寒いし、木々は枯れる。

半ばの一節。

万目すべて凍るなり。

冷蔵庫を開けるたび、僕の脳裏には旧校歌が流れている。北見北斗高校の校庭はエバーグリーンかもしれないが、僕の冷蔵庫の中の小松菜はカチカチに凍って、血の気が失せてしまっている。そんなものである。

買い替えの時期が近い。