徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

諭吉佳作/menについて。主に「ムーヴ」。

最近、我が家の朝はJ-WAVEが流れている。なぜこの映像全盛の世でラジオかといえば、食卓テーブルを設置している角度がテレビの画面と並行で、妻がちょうどテレビを背にする(正しくは妻の右後方にテレビ画面がある)ように座っており、画面を見られないためである。ラジオを流してくれるのはAmazon echo。「アレクサ!radikoでJ-WAVE流して!」と、掛け声をかけると、アレクサは別所哲也の声になる。ジェフベゾスはとんでもないものを作った。不思議だ。

5月20日の朝もいつもの朝と同じように別所哲也とおはようモーニングをしていた。81.3、J-WAVE。7時半ごろ、ちょうど食器を洗っている時である。それはおしゃれな曲がアレクサから流れてきた。とても耳障りのいい曲だった。軽快なピアノと、マリンバか何かの音と、不規則なアクセントが心地よく、ふんふん食器を洗った。そして、一度その耳障りを忘れた。仕事ですもの。さらに数時間後の昼休み、今朝のあの曲はなんだったかと不意に思い出し、radikoで検索をかけて、手繰り寄せたのが、「諭吉佳作/men」であった。

 

細かい諭吉佳作/menの話は細かい諭吉佳作/menのことが記載しているサイトに譲る。

諭吉佳作/men | TOY'S FACTORY

つまりは若い音楽家である。

僕が朝耳にしたのは「ムーヴ」という曲で、数日後に発売されるデビューCDの中からの一曲とのことだった。調べていくと、諭吉はsoundcloudにこれまで作成した楽曲をアップロードしていた。僕はそれを帰りの電車で聴き、数日後、発売されたデビューCDを嬉々として買ったのだった。

 

<「ムーヴ」について>

僕はまだ諭吉の曲を聴き出したばかりで、「諭吉の曲ってさぁ〜」みたいに安直に語るだけの知識も度胸もない。ので、CDの1曲目、僕が今一番聴いている「ムーヴ」にのみ絞って、感想を述べたいと思う。散文的に述べるので、まとまりはない。

パッと聴き、すごく複雑な曲に聴こえる。なんだこれはと思う。

リズムだけ、リズムだけを真剣に切り取ってきくと、拍子は淡々と四拍子を刻んでいることがわかる。そんなに無茶苦茶はしていない。ドラムパターンが複雑で、表裏関係なくスネアやシンバルを叩きまくっているから複雑に聴こえてしまうが、リズムは硬い。一番の終わりらしき箇所「〜フレームアウト」からの二小節だけ7/4+9/4っぽい。けど、足し算したら普通に4の倍数。

じゃあ、コードはどうかといえば、E♭のⅣ度、A♭から始まる。そこから正確なコードは全然わからないのだが、B♭、Gmあたりの派生コードに入っていると思う。雑味とえぐみが多めなコードだが、ルートはB♭とかGmだ。つまるところ、E♭メジャーの路線からはほぼ外れないで進む。「階段すれ違う時〜」から、「電気の脈」までがA♭のメジャーに転調して、その後またE♭に戻って、「本当は無理しているよ」以降は1音上がってFメジャー。サビっぽい。気持ちいい。そう考えると、コード進行自体もそんなに変わったことしていない気もしてくる。するとこの独特な耳障りはなんなのか。

一つは、歌詞のシンコペーションの多さにあるように感じている。

甲高い 肩が硬い

たたかう指先 冷えない要請ふたり

1-2-3 鳴らす指先

に迷う

ここまでで八小説。

ごく普通の歌詞捌きで言えば、小説のお尻で韻を踏みながらリズムを取る。この歌詞で言うと、「甲高い」と「肩が硬い」でがっちり韻を踏むなどしたいところだが、諭吉はしない。「肩が硬い」と「たたかう指先」がシンコペーションでくっつく。さらに「指先」と「冷えない」もくっつく。「1-2-3」でやっと歌詞頭と拍子頭があったと思うと、「鳴らす」が三連符となっていて、「に迷う」に至っては二拍目手前で歌詞が終わる。シンコペーションが続く歌詞と、悪戯なスネアのアクセントとピアノのアクセントに摘まれてリズムが掴めなくなり、あれよあれよと八小節がすぎていく感覚に陥る。これが歌い出しである。忙しい。皆まで言わないが、この言葉のリズム感は、「ムーヴ」のみならず諭吉の曲全てに通ずる。リズム感で言えばシンコペーションだけでなく、破裂音の入れ方、特に「タ行」の使い方がいい。「甲高い」「肩が硬い」あたりの「タ行」。あと、後々出てくる「隠と陽とミントソーダの音とテントと」あたりの「タ行」。本当に心地よいリズム感を曲に与えている。多分だけど、諭吉はスキャットを言葉にするのがめちゃうまい。いや、スキャットがうまい。スキャットで気持ちいいように口ずさんだフレーズに言葉をはめていくのだろうけど、そもそものスキャットが多分うまい。

これだけ歌い出しで捲し立てておきながら、空間の使い方もうまい。

バレリーナ/バレリーノが私に降ってきて

繰り返されるフレーズだ。この、「バレ」と「リーナ」の間、「バレ」と「リーノ」の間、「わた」と「し」の間に半拍休む。この休符がメリハリになって、曲にスピードが出ている。言葉のリズムに気を取られていたら、突然ベースがランニングを始めたりする。忙しい。気持ちいい。最後のFへの転調なんかとても素晴らしい。昨今のYOASOBI転調のような、「転調しましたから!」的な嫌らしさがない。何事もなくすいっと転調している。そして諭吉の声にFキーが合う。艶っぽくていい声である。

 

 

かつて、小学4年生の頃、ピティナピアノコンクールに出場した。オホーツクの最も小さな大会で敗れ去ったのだが、その際に弾いた近現代の音楽に一切馴染めなかったことを今も鮮明に覚えている。拍子と和音が複雑で、ロマン派までで美しいメロディは食い尽くされ、近現代では拍子と和音で遊ぶ以外になくなってしまったのかと、幼ながらに思った。諭吉の音楽は、あの頃弾いた近現代音楽に近しいものを感じる。和音の構成からリズムの構成から、単純ではない。出来の悪い脳みそなので、単純な情報しか咀嚼できないはずなのだが、不思議と諭吉の曲は聴きたいと思う音楽だった。

 

そして諭吉はどうやら、僕がコンクールに打ちひしがれていた頃に生まれたらしい。

歳もとるわけだ。