徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

手術をしました〜ついに縛られた精索静脈瘤〜

5月27日、午前9時。僕は有楽町を歩いていた。酷い雨である。昼過ぎには上がる予報と聞いた。かの有名な桶狭間の戦いにて、織田信長は雨後の間隙をつき、今川義元を討ち取った。この雨が上がるころ、静脈瘤を無事討ち取ることができるのだろうか。タマに手を加える自分と、クビを手にかける信長をダブらせた。

 

精索静脈瘤により、キンタマがso hot、精子がtoo poorな感じになっていたことは前回話した。今回も結論から言おう。手に入れたものはよく冷えたキンタマ、失ったものは切開部位付近の陰毛。そう、手術は無事成功したのだった。

 

僕が受けた手術は、顕微鏡下精索静脈瘤低位結紮術という。

左の玉袋の少し上あたりを2,3センチ切開する。そこから、"精索"なる、タマから伸びている管を引き摺り出す。精索は、動脈・静脈・リンパ管などがまとまってできている管だ。この中から、静脈瘤と化した太い静脈のみを選んで結紮する。つまり、縛るのである。血管は末端に行けばいくほど細くなる。タマに近づけば近づくほど細かい作業が求められるため、顕微鏡下にて、熟達した技術を持って結紮するのだ。

低侵襲のため局所麻酔下の手術、日帰り可能、再発可能性は1%未満という、患者からはメリットだらけの手術だが、技術を持った医師が少ないのが難点である。

執刀医は、過日、大学病院で診察を受けた医師だった。40代前半ほどの若い医師なのだが、男性不妊界でゴリゴリと仕事をしてきた経歴をもつ。受け答えも人間味があり、信頼のおける医師だと感じた。

 

診察室に通された。

まず、手術着を着るように言われる。衣服を全て脱ぎ、手術着を着る。頭には不織布でできたキャップを被る。絵に描いたような患者ルック爆誕である。着替え終わると、執刀医が診察室に来て、簡単な健診を行う。術前に実施した血液検査の結果を見るに、手術に一切の問題がないことを伝えられた。そうして、いざ、桶狭間である。「緊張される方が多いので」と、精神安定剤のような錠剤を渡され、服んだ。何しろ局所麻酔なのだ。痛みも感覚もなくなるにしろ、正気のままtop of the デリケートゾーンをいじられると具合悪くなる人がいるのもわかる。しかしこちとらノーパン手術着おじさんである。具合悪くなろうが泣こうが喚こうが後には引けない。看護師二人に付き添われながら、腹を括って手術室に乗り込んだ。

手術室は、医療ものドラマで見る手術室そのものであった。日帰りだろうがなんだろうが手術には変わりないようだ。情け容赦ないいでたちの手術台が中央に鎮座した、純白の空間が広がる。手術台に乗るように言われる。横になるなり、血圧測定やら脈拍測定やらさまざまなデバイスを身体に接続され、バイタル関係が問題ないと確認するや否やあれよあれよと言う間にズボンをずり下ろされ、Hello World, it’s my son.

 

剃毛をしますねー

執刀医がバリカンを持ってやってきた。陰毛、放っておいていいと言われたので自由に伸ばしていたのだが、そりゃ手術には邪魔だ。残しておく道理はない。

慈悲の一つもなく、必要な部位だけ刈り込まれる陰毛。最近は脱毛が流行っているようだが、僕は脱毛したことがない。剪定をした覚えもないため、僕の陰毛の先端は第二次性徴期の記憶を残しているに違いなかった。地層が地球の歴史を教えてくれるように、数百億光年向こうの光が宇宙の始まりを教えてくれるように、陰毛は僕の成長そのものだった。が、しかしここであえなくcut outである。歴史的な価値は特になかったようだ。残念。しかも手術に必要な部位のみ刈り取ったものだから、my sonの正面上部の毛はツルツルなのに対してサイドの毛はいつも通りの蓄えを保ったまま。紛うことなき落武者のヘアスタイルである。今川義元の気持ちが少しだけ分かった気がした。

剃毛が終わり、my sonのちょい左のあたりにブロック注射を打ち込む。痛いですか?これは?と二、三ヶ所プニプニと突かれる間に痛みを感じなくなった。オペの開始だ。切開部分から精索を引っ張り出す際だけ違和感を覚えたが、その他、終始全くの無痛であった。

1時間半の手術の間、世間話をした。

執刀医とサポートの医師が1名、看護師が1名。執刀医とサポートの医師は、よく育った僕の静脈を縛り上げるのに集中をしていたが、看護師は要所要所で機材を用意する以外に特段の仕事はないようであった。看護師の彼女は、術前採血を担当してくれた方だ。折々のコミュニケーションから、僕がよく話す性質を持っていることを感じとっていたのだろう。頻繁に話を振ってくれた。気を散らす意味もあったように思う。誘導されるがままに、仕事の話や、子供の頃の話、妻との出会いの話などを快活に話すのはフルチンの男。手術台の上でなければただの変態紳士である。手術台はなんだって許容してくれる。まるで母なる海のように。

 

おしゃべりの間に、静脈瘤は縛り上げられた。1週間は激しい運動と飲酒を控えるように言われ、帰路に着いた。僕のキンタマを十数年温め続け、精液スコアを赤点に叩き落としていた諸悪の根源は、1時間半の手術の末に断たれたのだった。あっけないものだった。

外はまだ雨が降っていた。気圧のせいか、精神安定剤の効きが遅かったせいか、頭に靄がかかったように感じながらの家路。昼食を食べ、眠った。麻酔が切れてからは当たり前のように傷口の痛みに悩まされたが、ロキソニンが全てを解決してくれた。副反応から手術まで、痛みに対する解決のレンジが広すぎる。万能薬か。

 

明らかな変化を感じたのは術後2日ほど経った後である。キンタマの表面温度が下がってきたのだ。これは、ちんちんが教えてくれた。生まれてこの方、夫婦の如くキンタマに寄り添い続けてきたちんちん。彼が僕に語りかけてきたのだ。キンタマが冷たい、キンタマが冷たいと。

精液所見が悪かったから静脈瘤が発覚したものの、これまで一切の自覚がなかった。きんたまが暖かいから精液所見が悪い理屈は理解するが、果たして自分のキンタマが暖かいのか冷たいかが把握できている成人男性がどれだけいるだろうか。比較対象も、客観的視点も欠如して然るべき箇所である。しかし、ちんちんは素直だった。キンタマの血流を敏感に察知した。体感としても、快方に向かっているのが感じられたのはよかった。同時に、キンタマにすまない気持ちでいっぱいになった。何ひとつ知らぬ間に、苦しい思いをさせていた。危うくデッドボールになるところだった。どうかこれからは元気いっぱい、のびのび、思う存分精子を生み出して欲しいと、キンタマの主としては思う。

 

 

そういうわけで、精索静脈瘤による一連の騒動であった。

人生、いろいろなことが起こった方が面白いものである。苦しまなくていいことなら苦しみたくないし、痛い思いはできる限りしたくないが、否応無しに痛み苦しみ悩みは目の前にやってくる。それこそが人生の醍醐味だろうし、それこそまるで静脈のように錯綜する紆余曲折を振り返って飲む酒は、美味しいものだ。

この手術の結果がどこに行き着こうとも、それが人生。

3ヶ月後に再度精液をローンチの上、検査を行う。頑張れ、俺のキンタマ