徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

自宅隔離をやってみての感想文

8月13日土曜日の夜、妻が発熱した。

互いに仕事帰り、テレビ見ながらゴロゴロとくつろいでいるリビングに鳴り響いた体温計の音はすなわち、開幕のブザーだった。思い返すと金曜日、なんか喉がイガイガする…気がする…と、ささやかな違和感を妻は食卓で話していた。僕もまあ大丈夫だろと正常性バイアス全開の認知をぶちかましていたのも束の間、緊張感を溢るる場面が幕を開けた。

台風が行き過ぎたばかりの東京は21時。しかも時期はお盆。医療機関は軒並み夏季休業だ。ご先祖さんもとんだ冥土からの土産をもってきてくれたものである。休日診療してくれそうな最寄りの医療機関は簡易キットの抗原検査の結果がないと診療してくれないというから、近所のドラッグストアに突撃するものの台風影響で早期に閉店していた。事態はそううまく進まないものだ。

翌朝、なりふり構わずドラッグストアを三件回り、やっとこ手に入れた簡易抗原検査キットにて妻の陽性は確認された。しかし重要なのは医療機関への受診である。例の最寄り医療機関に改めて電話するも、「簡易で陽性ならほぼ陽性なので保健所に電話してね!」と、つれない返答が返ってきた。医療機関の意味!薬は!?診療は!?と夫婦で憤った。この憤りからなのか、シンプルにコロナの影響なのか、妻の熱はグイグイ上がり、39℃付近をうろちょろしだしていた。

すったもんだはあったものの、多少遠方の病院に無事受診、医療用抗原検査でしっかり陽性を確認し、薬をもらい、妻は療養に入った。

 

それから1週間が経つ。

幸い、妻の熱は月曜日の夜には下がった。薬すごい。熱は下がれど、病院から言い渡された10日間の隔離生活は続く。一方の僕はといえば、なぜか発熱をせず、医療用抗原検査でも陰性を確認できている。リモートワークができる職種であったがため、仕事もそう大きな穴を開けることなくなんとかなっている。

まだまだどうなるかはわからない。隔離生活もあともう少しというところだが、今のところは共倒れにならずにすんでいる。

 

これをもって、僕らの家庭が自宅隔離に成功したと言えるのだろうか。

家庭内で一人感染者が出たとき、家庭の目的はこれ以上の感染者を出さないことに定まる。マクロの視点では、感染者が増えれば増えるほど医療は逼迫と経済の停滞が輪にかけて進む。これを食い止めることが重要であるから、感染者を抑え込もうとする。なーんて、そんなご立派な話以前に、ミクロの視点でも、シンプルに苦しい思いはしたくない。罹患したくない。じゃあどうするか、といえば、自宅隔離である。今までわかっているウイルスの性質からして、隔離は一定の効果があるとされているため、僕らは隔離に躍起になる。

だが、隔離をやってみて思う。あまりにも変数が多すぎて何が奏功しているかわからない。

例えば、発症前の行動はコントロールできない。発症の2日前から感染力をもつらしいことがわかっているが、妻発症の2日前なんて、一緒に飯は食うわ隣で寝るわの濃厚接触パラダイスである。この時点でなぜ僕が感染しなかったのかは全くもってわからない。

発症後であっても、居室を分ける、寝室を分ける、食事を分ける、食器を分ける、マスクを常につける、触ったところは軒並みアルコールで拭く、など厚労省お墨付きの対策をやれるだけやったが、あまりにも色々なことをやりすぎて、この中のどれが効果的であったのかも一切不明だ。

さらには、僕の免疫や抗体、妻が保菌していたウイルスの感染力の強弱まで踏まえると、「なぜ感染していないのか」の答えは「わからない」でしかない。全くもって隔離がうまくいった感じはない。ダメな時はダメ、うまくいったらラッキー。パチンコのようなものと悟った。

 

では自宅隔離生活はどうかと言えば、端的に大変である。収斂すると、ひとえに家事だ。感染や接触に気を遣いながらの家事。これが大変だった。翻って、育児をしながら働く人や、介護をしながら働く人の大変さが、ほんの少し、実体験を伴って理解できたように思う。

朝起きて、手を洗って、身支度して、手を洗って、ご飯を作って、手を洗って、妻に出して、手を洗って、自分も食べて、洗い物をして、手を洗って、洗濯を回して、手を洗っているうちに始業時間となり、仕事をする。休憩時間になったら手を洗って、昼ごはんを作って、妻に出して、手を洗って、自分も食べて、手を洗って、洗濯物を干して、手を洗って、洗い物をして、手を洗っているうちに休憩が終わる。終業時間まで仕事をしたら18時半ごろ。手を洗って、夜ご飯を作って妻に出して、手を洗って、自分も食べて、手を洗って、洗濯物畳んで、手を洗って、洗い物をして、手を洗って、気がつけば1日が終わる。(まじであらゆる動作の前後に手洗いしている。気になってしまう。)

リモートワークができていて、なお、この状態である。肉体の移動がある場合にはどうすればいいのだろうか。そしてこれが育児や介護であれば、年単位で続いていくのだ。めちゃ大変。

さらに妻は妻で、家事のウエイトが夫に寄っているのを心苦しく思ってしまう。夫が忙しなく家事をしているのを見て、病気になってごめんね、という気持ちになってしまう。病気になった妻が悪いのではない。生活をしていれば一定確率で罹患するものなのだ。誰一人悪い人はいない。病気がそこにあった。ただそれだけの話。と妻に言い伝えるも、僕は僕で忙しなく生活と仕事をしているものだから、だんだんと優しくなれなくなってくる。人間の感情は脆いものだ。

総合的にみて、実務の大変さやお互いの精神衛生の観点からも、できればもう自宅隔離したくない。一刻も早く、妻と一緒に食卓を囲みたい。妻を自由に動き回せてやりたい。この一心である。

 

巷では、新型コロナウイルス感染症法上の位置付けを5類相当まで引き下げる話が議論されている。何を目的に変えるのか、何がどう変わるのか、その時に何が起きるのか、考えてみようと思ったが厚労省のページから考えるに足る情報を見つけ出すことができずに終わった。全員がハッピーになる判断や決定なんてあり得ないのだから、国益が叶う方向に突き進んでいけばそれでいいし、それに従って僕は僕として、生活なり仕事なりをアレンジしてきたい。

以上、雑多な感想文でした。