徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

構造改革前夜の構造改革担当者の気持ち

8月が終わる。本州の人は夏休みの終わりを想起するのだろう。道産子の僕は、特に8月末に対する特別な感慨はなく育った。しかし、今勤めている会社は2月末決算のため、8月は上期の終わりにあたる。

期が変わるタイミングではさまざまな変化が訪れる。人事異動もあれば、組織の改正もある。

当業界は非常に厳しい営業活動を強いられている。件の疫病と紛争と為替の影響もあるが、それに限らず、根底には経費構造や労務構成などの慢性的な原因があっての厳しさ。これをなんとかせねばと、漕ぎ出したのが構造改革である。

 

日本人の特性なのだろうか、改めることを好む。古くは大化の改新がそうだろう。時代が下っても、江戸時代には三大改革と言われる、享保・寛政・天保の改革がある。内閣は改造されるし、憲法は改正するかしないか議論になる。成功失敗は様々あるだろうが、事業や政治の行き詰まりを「改め」で乗り越えてきた歴史が、日本にはあるように思う。諸外国のことは知らん。

 

そういうわけでこの度、弊社もさまざまなものを改める。ゴールは利益を生みやすい経営体質にすること。要するに、売上を伸ばせ、経費を抑えろという話だ。シンプル極まりない。構造改革構造改革と言葉は踊るものの、どの企業も当然のごとく取り組み、弊社もこれまで取り組み続けてきた「利潤の追求」に対して、「構造改革」の名前をぶつけることにより特別感がでているに過ぎず、別に目指すところの要件の定義が変わったわけではない。資本主義における普遍の目的に本気で取り組む、すなわち改革。

さまざまなアプローチがあったが、今回大きく変えるのは仕事の配分、仕事のやり方、組織の形、人の配置の3点とした。

既存の仕事を因数分解し、重複している仕事を括り出す。括った仕事を集中して行う部署を立ち上げ、パッケージにして効率化したうえで、他の仕事ももらえるだけもらって集約する。因数分解の中で、取引先にお願いできそうな仕事はできる範囲でお願いしていく。やめるものはやめる。あの手この手で少しずつ効率化した仕事の分だけ、人員を効率化させていく。あとは気合いで営業をかけるのみである。

これらの改革の結果、15%の職員が転出することとなった。縦割りを横割りに変えるのはこの手の改革の常套手段のようにも思うが、それだけで15%も効率化できるのかといえば、なんとも言えない。15%のうち10%は気合いだったりする。バファリンの半分は優しさできているように、改革の7割は気合いでできている。

 

僕はこの話の立ち上がり当初から参加しており、主に部署立ち上げに携わった。何をする部署とするか、何人必要か、どの程度の業務が担えて、どれだけ効率化できるか。3月からシコシコと机の上で進めた仕事が、8月に入ると日毎に現実味を帯び始めた。およそ60名の職員と共に、いよいよ明日から船出となる。人の顔が見えなかった頃は、相当ファジーな組み立てをしていたのだが、メンバーが決まり出すとそうも言っていられなくなった。さまざまな事情の職員がいる。モチベーションを抱く場所も、家庭状況も、体調も異なる職員いる。仕事内容が詰まりきっていないことが多かったり、新部署ではたらているビジョンも見えづらいためか、皆の不安が痛いほど伝わってくる。その不安の3割くらいは僕がもう少し気合い入れて仕事してこなかったことにある。まじで申し訳なく思う。

構造改革の議論の過程ではさまざまなことがあった。しかし、今この土壇場で何を思うかといえば、職員みんなが不安なく元気に働けたらいい、ただこれだけしかない。

再三だが、構造改革の本質はみんな元気に働くではない。筋肉質な経営体質への転換である。だが、ボウリングのスパットのように、みんなが元気に働くことを目掛けて走っていったら、結果ストライクが取れるような気がしている。

企業の筋肉と血液は人だ。一つ一つの繊維や細胞が元気な生命は必ず元気だし、逆もまた然り。利害が合わないことも話が食い違うこともあろうが、とにかくしばらくは現場に出て、一つ一つ向き合って解決していきたいと思う。時間はかかるが、それしかできないし、それ以外に一致団結していく術はない。

 

ここからが本番だ。負けずに頑張る。