徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

合コンに行ってきました

楽しかったです。

見ず知らずの人と会話を交わすという行為。レジのおばちゃんとの会話のような無機質かつ業務上の付き合いではなく、プライベートとプライベート・私と私をぶつけ合うハジメマシテカンバセッションは、全細胞を耳と口に集中させる稀有な体験を生んだ。そこにアルコールが入った結果、ある一定のところまでは滑らかになり、途中からはむしろ虚ろに、最終的には華麗に酩酊し、合コンじゃなくてもできる飲酒大会となっていった。

花を見ながら酒を飲み、月を見ながら酒を飲み、人が死んでも酒を飲む僕らはもちろん人と出会うためにも酒を飲む。酒と泪と男と女とは河島英五もよく言ったものである。人生あらかたそれで解決だ。

まぁいい。

今回、あーでもないこーでもないとぶうぶう言いながら参加した合コンであったが、大変に刺激を受けた。それは他人の人生を少しだけずつ垣間見るような体験であるためでもあり、自らの会話の力や引き出しを試す体験でもあったからである。もしかすると合コンを重ねるほどに人間が豊かになっていくのではないだろうか。いろんな人生を知り、言葉を知る。それらを血肉としながら、新たな戦さ場に向かう様は、さながら経験値を得ながら次の敵を倒しに向かう古風なRPGのようである。

人に会い、人と喋ることによって研ぎ澄まされていく刀を、いつか振るう日は来るのだろうか。

合コンに行ってきます

合コンであるらしいそれに参加することとなった。今からおよそ1時間後の話である。

合コン。出会いの場だという。図書館にて同じ本を不意に手に取った美男美女が恋に落ちていく物語は、とても現実に起きはしない。曲がり角でぶつかった男女が実は同じ職場だったり、行きつけのバーに新入りで入ってきたバーテンと恋に落ちたり。大概全て夢物語である。

奇跡の出会いを封じられた僕たちはどうするかというと、懇々とコンコンしまくる。お見合いであり、コンパであり、合コンであり、街コンである。初めましての男女。友達の友達同士が友達になり、あわよくば一歩先んじた関係を築く。そうなればいいと男性側も女性側も考えていて、どんな人が出てくるのか課金ガチャのような気持ちを温めている。

この剥き出しの出会い欲。震えがくる。

恋人と人前で手を繋ぐのが苦手だ。あれは即ち公衆の面前にて「私たちカップルです!付き合っています!」と大声よりも雄弁に語っているのと同義であり、そんなもの自分たちの中に密かにとっておけばいい話だろう。何を顕示したくて手を繋ぐのか。誰に見て欲しいのか。その割J-POP界隈の歌詞では男女が手を繋ぎまくるので、手を繋ぐのがマジョリティらしい。恥ずかしくないのか。

まぁこのように、僕は、自らの状況というか欲というか、そういうのを行動に起こすのが非常に難しいタチを抱えて生きている。合コンも同じだ。出会いたいです!出会わせてください!ひり出したシャウト。しかし、片一方では夢物語が現実にならない事を知っている。出会いに行かねば出会いはないこともわかっている。羞恥と欲望の板挟みに捻じ切れそうになりながら、友達に誘われたからっていう最も汚い理由を掲げて僕は合コンに繰り出す。恥も外聞もかなぐり捨てて、前がかりになり、声を枯らす。

冷たい、雨の中。

薄暮

朝と昼の境目はいつなのだろうか。10時はまだ朝。11時だと昼な気がする。10時半はどうだろう。

朝焼けと夕暮れ。

暗から明になる境と、明から暗になる境はとてもわかりやすくドラマチックだ。真っ暗闇の漆黒がじわじわと綻んで、薄墨の色になってきたと思ったら遠くの空にオレンジが差す。黒は紺になり、オレンジと溶け合って青に変わる。毎日当たり前のように天体は動くため、当たり前のように境を迎えていく。

久々に残業がなく、早くに上がることができた。空はまだ薄明かりを灯していた。

電車に乗り、小一時間の帰路に着く。発車してすぐ高架になり、街を舐めるように弧を描きながら走る。薄暮の空と明かりの灯り出した街。明暗が混ざり合う美しさを改めて感じた。

この間仕事で鎌倉の少し奥の方に行った。そこは人工と自然とがうまく調和していて、人の手によって全てを手なづけた気でいる都会とは全く違う環境であった。土の上で走り、原っぱの上でストレッチをし、雪の上に這いつくばった現役時代、自然はすぐそこにあった。夕暮れも朝焼けも走って迎えた。

今や、薄明かりを綺麗だと思うほどに僕は都会の人になっているようである。知らぬ間に。嬉しくもあり、切なくもある。

思えば蟻も最近見ていない。元気にしているだろうか。

カラオケで履歴を見る現象

歌本から曲のコードを探し出し、めちゃくちゃ反応の悪いリモコンを駆使して曲を入れていた頃から早数十年。世の中のカラオケはデンモクなる液晶パネルのリモコンに支配され、採点やらなにやらが多彩に選べるようになった。

その中の機能として、履歴というものがある。デンモクから送信された曲を1000曲くらいデンモクが記憶していて、僕たちはそれを見ることができるのだが。

何を参考にしたくて見るのかわからない。どうしても見てしまう。

履歴を見てわかるのは以前この部屋を使っていた人がどんな趣向の曲を歌っていたかくらいなものである。歌謡曲の塊、アニソンの塊、EXILEの塊、SMAPの塊。ゴソゴソと登場する部屋の使用人の趣味趣向。あ、ここから人変わった。ってのが一目瞭然だ。

でも僕らはそんなもの見たくてカラオケに入ったのではない。歌いたくて入っているはずなのだ。しかし見てしまう履歴。

どうせ無難な選曲を他人のセンスに頼っているだけだ。自分では開けられない曲の引き出しを、誰かが入れているという安心感を持ってして入れたい。ただそれだけなのだ。1人じゃ入れないような歌を履歴に引っ張られるようにして歌う。どうせうる覚えでグダグダになる。わかりきった挑戦をして砕けちってもなお、履歴を見続ける。結果、それまでの履歴がミックスされたような履歴が残っていく。趣味趣向の全く見えない、のっぺらぼうの履歴を参考にする人はなく、履歴の海に沈んでいくのであった。

PCド素人がDTMを作りたいが故にiMacを買おうとして学んだ、PC選びに見るべきポイント

たくさんの知識を得たよ!頭パンクしそうだよ!

さて。

かねてより部屋の大改造兼創作環境の改革に取り組んでいた僕であるが、とてもいい勢いで家具や服を片付け、部屋の外枠は昨日の段階でほぼほぼ決定した。後は中身を育てていくだけである。

そもそも何をしたかったか。話を戻そう。

 

ktaroootnk.hatenablog.com

 

 

ktaroootnk.hatenablog.com

 

以上2つの記事を読んでいただけるとお分かりいただけるかと思うのだが、要約すると、単調なサラリーマン生活がこのまま続いていくことに危機感を覚えたため気合を入れて趣味だった音楽制作に本腰を入れて取り組める環境を整えたくなった。ということである。ギターが少しばかり弾けて、歌詞を書くのが好きだったもので、古くから曲を作ることはしていた。知恵がついてからは、パソコンを使って音を重ねて撮ってというDTM(デスクトップミュージックの略です)の真似事に手を出した。だが、そこまでであった。本格的な曲とは程遠い、子供の遊びに毛がポヨポヨと生えたくらいの曲しか作れなかった。が、それで満足していた。

電車の中、耳元でミック・ジャガーが囁いた。

I can't get no satisfaction.

うぁぁぁぁ!満足はダメだ!ぬるま湯に浸かるな!奮い立ったが吉日、お金をフルバーストさせて現環境を総入れ替えする覚悟を決めた。改革を、革命を起こすんだ。

それから数日。冒頭にも述べたように、家具の処分は終わり、もはや僕の部屋に残されたのはテーブルの類のみ。DTM作成にはiMacがいいと入れ知恵をGoogleにいただき、素直に購入する気で出かけたのが今日の話である。

 

Apple iMac (Retina 4K Display 21.5 /3.1GHz Quad Core i5/8GB/1TB/Intel Iris Pro 6200) MK452J/A

Apple iMac (Retina 4K Display 21.5 /3.1GHz Quad Core i5/8GB/1TB/Intel Iris Pro 6200) MK452J/A

 

 

渋谷のApple store。初めて入るApple store

iPhoneを使ってこそいるものの、携帯ショップで購入したため、これまでApple storeにはお世話にならないまま生きてきた。低気圧が押し寄せた土砂降りの中、どうせ空いているんだろうと思って入った店内は何が楽しくてこんなにも人がいるのかもわからないくらいの満員で、皆懸命にApple製品をいじくり倒している。店内にはパラパラと店員が散らばっていたのだが、どの店員もクラブとかサーフィンとかが似合いそうな雰囲気の、おしゃれと体育会系とインテリジェンスをブレンドしたハイスペック人間の風貌である。なぜみんなして堀が深い顔をして、こんがり日に焼けているのだろう。肌はApplePieの色をしている。銀色のApple製品によく映える肌にしろとでもお達しが来るのだろうか。

丸腰で出かけたため、「作曲にピッタリのiMacをみたい」以外の希望は持っていなかった。どの店員さんに話しかけていいやらわからずにそれらしい顔で佇んでいると、やはりサーフィンが上手そうなお兄さんが話しかけてきてくれた。

「どのようなご用件でしょうか?」「DTMにピッタリのiMacをみたいです」「かしこまりました。店内非常に混み合っておりますので、少々お待ちいただいてもよろしいですか。係りの者が案内にまいりますので。」

うまく自分の希望を伝えられて嬉しかった。かしこまりましたの声が聞けてよかった。整然と並ぶ機器に圧倒されながら噛まなくてよかった。今日一番の仕事を果たして安堵に包まれる僕に、係りのお兄さんがやってきた。大して待たなかったぞ。嬉しいぞ。

iMacのスペックについてのご質問と伺ったのですが」

僕は驚いた。戸惑った。僕のチャチでかわいい質問があまりにスマートに翻訳されて投げ返されてきた。私、空気を読みたがる日本人ですから、知ったふりして話を合わせました。「そうです、どのくらいのスペックが合ったらいいのかなって思って」するとお兄さんはスマートに頷くとスマートに歩き、スマートにiMacまでたどり着いてスマートにマウスに触ったと思ったら、スマートにiMacのカスタマイズ画面を出してくれた。

DTMとなりますとおそらく相当作業が複雑になると思いますので、クアッドコアでメモリは16合ったほうがいいと思います。多分アプリを多用しますよね?プラグインが立ち上がるのにSSDとHDDが組み合わさったこのfusion driveというストレージを組み込むとすごく速くて作業し易いですよ。ディスプレイもこのRetinaにするとデスクトップが効率的に使えるのでおすすめです。で、最初からlogicを入れるとすると大体見積もりがこれくらいになると思います。」

あれよあれよと巻き込まれている間に気づけば見積もられていた。数Ⅱの授業を一時間寝てしまったせいでその後全くついて行けなくなった高校の日を思い出した。何が何故どのようにおすすめなのか。それは僕のしたいことにどう関係してくるのか。見えないまま突きつけられた見積もり。でも本当にお兄さんの笑顔が爽やかで僕はにっちもさっちも行かなくなり、「分かりました!検討してみます!」って全くわけわからないままわかったふりをした。上司に一番叱られる行為である。

しばらくiMacの前で意味深な顔をしながら佇んだ後、颯爽とApplestoreを飛び出した一人のちんぷんかんぷん。知識の露頭に迷った。僕は今何が知りたいんだろう。何がわからなくて、こんなにモヤモヤしているんだろう。変わらず降りしきる雨の中、うろつくこと十数分。ぶち当たったのが楽器屋さんだった。

 

本日はその楽器屋さんで教わった、”DTMを作るためにはパソコンのどの部分が重要なのか”をまとめたいと思います。
 

パソコンを見る時に重要な点は主に3つ。CPUメモリストレージである。それぞれクソ真面目に理解に挑むよりも、簡単に例えてしまったほうが理解が進んだので、そうしたい。

厨房をイメージしてほしい。その厨房で料理人が、出されたキャベツをひたすらみじん切りにする。意味はないが、イメージしてほしい。

そうした時にだ。

CPU

料理人本人がCPUである。料理人の腕、料理人の数によってみじん切りの速度はまるで変わってくる。見習いより一人前、一人前より鉄人。また、一人より二人、二人より四人。作業効率は段違いに向上する。同じように、パソコンの能力そのものを決定づけるのはCPUだ。今僕が使っているパソコンは料理の専門学校を出た調理師を二人突っ込んだのと同じ位の能力値(インテル Pentium P6200 プロセッサー)で、スマートなAppleお兄さんに進められたパソコンは有名レストランのシェフ四人突っ込んだのと同じ位の能力値(3.1GHzクアッドコアIntel Core i5プロセッサ)だそうだ。圧倒的な実力差である。

メモリ

メモリはまな板ないしは作業場の広さだ。どんなに腕利きの料理人がいたって、まな板がハガキサイズであれば全く作業がはかどらない。然るべき広さのまな板・作業場があってこそ、作業が捗る。普段使いでも、ネット見ながら音楽聞いて文章書く位の同時作業はするだろう。その程度だとまだ小さなまな板(4GB)でもなんとかなるのだが、ギターを歪ませてベースに圧をかけてドラムは3種類入れてパッド叩いてオケ入れてシンセ入れてなんていうDTMあるある作業をすると、圧倒的なまな板(16GB)がないとみじん切りができなくなってしまうらしい。

ストレージ

最後のストレージ。これはみじん切りをしたキャベツを溜め込む水切りボウルである。最強の料理人が8人集まった大厨房で、みじん切りを超スピードにて行なったとする。すごい勢いで刻まれるキャベツ。集める先のボウルがヤマザキ春のパン祭りでもらえるボウル(320GB)くらいの大きさだったらどうだろう。瞬時に容量オーバーである。だが、例えば琵琶湖に匹敵する巨大なボウルが作業台のすぐとなりに広がっていたとしたら(2TB)。いくらでもみじん切りができてしまう。際限なくキャベツを溜められる。しかも最近は水切りスピナーの回転速度も選べるようになってきて、琵琶湖位容量はあるけど水切りの速度は速くない(HDD)ものと、サロマ湖位しか容量はないけどものすごく水を切る(SSD)ものがあったりする。スマートなお兄さんが熱弁を奮ったのが、霞ヶ浦くらいの大きさでそこそこ水を切る(Fusion Drive)ボウルだったようで、速さと容量とをうまく両立したものだという。

これらを加味すると、やりたい作業に応じてパソコンが選びやすくなる。

用途:本格的にDTMをやりたい!本格的に映像とか作りたい!→スペック:Quad CoreのCPU、16GBのメモリ、FusionDriveのストレージを用意する

意訳:ものすごい量のキャベツのみじん切りをものすごい速さで作らせたい!→四人の鉄人料理人をとんでもなく広い作業場で霞ヶ浦レベルの容量とめっちゃ水を切るスピナーを用意する

なるほど!って感じである。

当たり前だが、いいスペックを求めれば求めるほど価格は上がる。場合によっては、ちっちゃめのまな板(8GB)を用意しておいて、後から拡張するなんてこともできるらしいが、そうも行かない機種もありで、価格と性能との二重らせん構造は混迷の様相を呈している。

 

そういうわけで、本日買おうと思ったiMacはお預けだ。本当に必要なスペックはどれほどのものなのか、様々な知見を加味して見極めねばならない。その代わりに、いずれ必要となるであろうオーディオインターフェイスを買った。

 

 

パソコンと楽器とを直接つなぐ、音楽界の坂本龍馬のような機器である。楽器屋さんで色々教えてもらったし…と思って買った来たが、インターフェイスを通すとギターの音が右からしか流れなかったり、キーボードの鍵盤を叩いた一秒後に音がなるなど、こっちはこっちで課題山積である。設定の問題なのか、何なのか。どうせ課題が山になるなら、iMacも買ってきて一緒に片付けてしまったほうがいい気もする。しかしスペックをどうするか。

部屋は片付いたが頭の中は散らかるばかりである。

稀勢の里が勝てた理由とは

稀勢の里が13日目に負った怪我を押して土俵に上がり続け、優勝を果たすというなんともドラマチックな出来事が起きた。それも横綱になりたての場所でである。事実は小説よりも奇なり。籠池も言っていたから間違いないだろう。

13日目の取組後、誰もがこれはダメだと思った。痛がり方が尋常じゃなかった。稀勢の里はなんとも無骨な力士である。彼は場所前の稽古中に眉の上を12針だか縫う怪我をしているのだが、「こんなん怪我のうちに入らん」って、いつもの不敵な笑みを浮かべ続けていた。その稀勢の里がのたうちまわって動けないほどの痛みとはなんぞやと。筋肉か腱かが昇天してでもいないとあんなに痛がらんぞと。それまで優勝戦線の戦闘を走っていた稀勢の里だったが、大関時代の惜しい流れを彷彿とさせる嫌な負け方であった。案の定14日目も鶴竜にあっさり寄り切られ、千秋楽も気迫で土俵入りするけど負けるだろうムードが場所中を包んでいたはずである。

でも勝った。

一敗の照ノ富士に土をつけて2敗で並び、優勝決定戦で再び照ノ富士を叩きのめした。仕事で見られなかった。悔しい。

稀勢の里は勝利後の優勝インタビューで、自分の力以上のものが出た。見えない力が働いた。と、やはり籠池じみたことを言っていたのだが、こればっかりはそう感じる人が多いと思う。政治力でも八百長でもない、何か不思議な見えない力が勝たせてくれたと。

でも僕は思う。稀勢の里は多分照ノ富士を蹴散らせるくらいに強いのではないか。段違いの力を持ってして、ねじ伏せたのではないか。

大したレベルで競技をしていたわけでもないし、まして格闘技とはかけ離れた横並びかけっこの世界で生きてきた。10年間の競技生活では奇跡の優勝の場面に出くわすことも度々あり、その度口々に、「気持ちが強い」「気迫で走った」と評したものだった。

気持ちを強く持てるのはそもそも強いからである。そのレース、その相手に、怪我している状態では勝てないかもしれないと一瞬でもよぎった時点であっさり負ける。万全の状態だと一蹴できる相手と手負いで闘って五分五分で、そこに気持ちが乗っかって押し切るのだ。気持ちの勝利のように見えて、まごう事なき実力をもってしての勝利。メンタルも強いが、比ぶべくもなく圧倒的なフィジカルが存在している。


稀勢の里は本当に強い。多分ものすごく。早く怪我を治して、憎まれ役にまで駆け上がってみて欲しい。でもきっもそうは簡単にいかないのが稀勢の里で、それが魅力なんだ。

日経一面にHIPHOPを見た

今日の日経夕刊。

あの宝飾メーカーTASAKIMBOを行うという。MBOとは何か。それは会社経営人が自らの会社の株を買い漁り、株主の元から株をぶんどる事を言う。上場するメリットでもある資金調達力を捨て、株主の機嫌伺い経営から脱却するのが目的とかなんとか。これから攻めます!私、これから攻めの経営に本腰を入れるんで配当とか払っている場合じゃないです!ってことらしい。

なるほど勉強になった。しかしそこじゃない。記事のタイトルである。

www.nikkei.com

 

ネットの記事を貼ってみたが、これじゃ伝わりにくい。

新聞を開いた瞬間に「TASAKIMBO」とデカデカ掲げられている衝撃。それが日経新聞の一面であるという衝撃。「SHAZNAのIZAM」とか、「GLAYのTERU」と同じ字面が日本の経済を移す一大新聞である日経紙面を飾っているのだ。目を疑う。いや、目を見張る。

新聞の見出しには日本語の粋が詰まりがちである。美しい七五調の見出しは声に出して読んでみたい衝動に駆られる。今日は「TASAKIMBO」に持って行かれてしまっているが、一面の小見出しには「シェール増産 高炉後押し」とある。伝説のHIPHOPユニットであるLAMP EYEの楽曲「証言」より3人目の証言者GK MARYANのバースの冒頭部である、「敵は我なり とどけカミナリ」を彷彿とさせる言葉遣いである。しかも紙面上だと「高炉後押し」に続いて、「鋼管2年ぶり値上がり」と続く。「2年ぶり」と「値上がり」で脚韻をバシバシに踏んでいる。

「シェール増産 高炉後押し 鋼管2年ぶり値上がり」

美しい流れだ。言葉の運び方が美しい。舌が持っていきやすい。これはひとえに記者の遊び心によるものであろう。文章のみで巧みなフロウと固い韻を踏みつけていくその筆さばきは、プロの所業以外の何物でもない。

これからももっと楽しませてください。

決意表明から暫し経ち

今の生活のバランスを崩して、自分の興味の赴くままの家を作り、そこで思う存分創作活動に没頭したい。これまでの作曲を覆して、音にしろ何にしろずっといいものを作っていきたい。

 

ktaroootnk.hatenablog.com

 

あれが一時のテンションによりもたらされた熱病のようなもので、なんだかんだ日常が続いてくのかと記事を書きながら薄々考えていたのだが、そんなことはなかった。驚くほどに環境の改変が進んでいっている。

いらないものを捨てまくった結果、45リットルのゴミ袋7つ分になった。服はリサイクルショップに持っていった。不機嫌そうに査定され、これまたやはり45リットルいっぱいの服が700円に変わった。ヒートテックも買えない。暖も取れやしない。

作曲に不可欠なパソコンであるが、21.5インチのiMacの購入を決めた。ノートパソコンも考えたがどうせ持ち運ばないし、デスクトップのほうが高性能かつ安価なものが用意できると聞いため、iMacを買うことにした。作曲ソフトはApple製品には無料でついてくるらしいgaragebandってソフトでも良かったのだが、ここまでこだわって部屋をぶち壊しているのに中途半端なところで妥協して後悔しないようにlogicなるソフトをインストールすることとする。プロ仕様プロ仕様と猛烈に推薦されているので、どんなもんか試してみようと思う。

案ずるより産むが易しとはよく言ったもので、次の粗大の日に家具がなくなったら部屋のレイアウトはほぼ決まってくる。4月末までとか言っていたが、下手したら4月頭には出来上がってるかもしれない。何しろ後は周辺機器整えるだけだ。マイクスタンドとか、オーディオインターフェースとか、そういうやつだ。

 

出費をしないで生きてきた。これまで。大学生活の貧乏性がたたり、資産を溜め込むデフレマインドに侵されていた。社会に出て、雇われながらでも商売をやりだして、少しずつ意識が変わってきているように思う。薄給でも継続的にお金をいただけるようになったことも大きいし、何も日銀券だけが資産ではないことを感覚的に知ったのも大きい。誰が持っても1円が1円なのが日銀券の安心だが、30万円使って整えた環境という資産が40万円になっていればそれでいいのだ。そこには自分という付加価値が加わっていて、誰が使っても1円は1円の資産とは全く違う。株とか、為替とか、債権とか、ある種他力本願ながらもコツコツやれば増やせるタイプのそれではないが、僕にとっては立派な資産になりうる。はずである。

今回の買い物は、ギターを始める時に敢えて高価なギターを買ってプレッシャーをかけることによって長続きさせようとかいった類のそれとは違う。確かなバージョンアップだと信じている。小学1年生からピアノを習いだし、中学に入ってちょっとギターをやりだして、高校でなんちゃってバンドを組み、大学に入ってしょっぱいMTRを繰り返してきた人間の、大跳躍だ。新しい道を模索するのではなく、継続路線で跳び上がる。より良いものを作るために。より良い環境へ。

 

こうやって鼓舞していないと出費が恐ろしい。チキンハートをなんとかしてくれ。

決意表明

先述の記事より数時間。

 

ktaroootnk.hatenablog.com

 

強く現状を憂いた。ので、改革を起こしていくことにした。

バランスを崩そうと思う。まず、家具を捨てる。

およそ二年間住んだ家。社宅契約をしてくれているから非常に安価な家賃で住めている。後一年で社宅契約が終わり、正規の家賃となるため、おそらく引っ越すこととなりそうである。その時に色々買い換えようかなと漠然と考えていたのだが、唐突にぶん投げてやりたくなった。ので、ぶん投げてやる。我が家には大きい家具として、タンスとテーブルとテレビ台とゴミ箱(これがマジででかい)があるのだが、この内タンスとゴミ箱を投げる。他、様子を見ながら鋭意捨てていく。テーブルを出来れば投げたかったのだが、これがなくなると部屋として機能しなくなってくる気がするので、思い留まる。

パソコンも買い替える。6年間使っているノートパソコンである。よく頑張ってくれた。ホコリまみれになり、キュルキュルキュルキュル熱を全放射させながら懸命に働いてくれている。有線LANで繋いでいるから通信速度だけは早い。優等生だが、手入れが悪いせいでポンコツっぽくなってしまっている。万感の思いを持ってして送ってあげたい。

その他服や小物類もガッツリ処分していく。服もワンシーズン着なかったものは片っ端から投げる。スーツは売る。何処かで買い取ってくれるだろう。もし足りなくなって困ったら買えばいい。何のために働いているんだ。買うためだろう。日銀券を手に入れるためだ。買ってやれ。書類も大学の頃の資料とか、いつか見るかもしれないって思いながら絶対に見ないから容赦なく捨てていこうと思う。どうせ死んだら誰も使わないし棺桶にも入らないのだ。だったらいつ捨てても同じである。遅かれ早かれなら今やる。

クローゼットの中がどっちかというと臭いものには蓋スペースになっているので、クローゼットの中にきちっと物を収納していきたいと考えている。クローゼットをフル活用したらきっとタンスなぞ必要なくなる。本だけは取っておこうと思う。これもクローゼットの中でなんとかしていきたい。

ものを減らしてパソコンを買い替え、何をしたいかというと作曲・創作環境を整えていきたい。そちらに注力していこうと思う。環境とノウハウさえ揃えばもっともっと曲は書ける。変な自信がある。今でもポツポツYoutubeに曲を落としているが、人様にとても胸を張って進められるような出来のものじゃない。胸を張れる曲を作りたい。岡崎体育にできて自分にできないことはないはずだ。自己満足の文筆活動と自己満足の作曲活動なのだが、どうせやるなら勝ちたい。なので、ガッツリハードとソフトを整えてやろうと思う。パソコンを作ることに特化させる。なんか結構お金かかるらしいけど気にしない。なぜって働いているからね。

まず崩す。捨てる。不安定になってからが勝負だ。筋肉痛になって筋肉が強くなるように、すっからかんになるであろう部屋はまだまだ強くなれる証である。白よりの企業で働いて、どうせ時間はあるのだ。ワークライフバランスを取ってねって言われるのだ。ワークはライフだ。ワークせざるものライフするべからず。信条といっても過言ではない。でも、ローリスク・ローリターンでいられるうちにそれに甘えようではないか。どうせいつかはワークがライフになっていく。だったらワークとライフを切り離せと言われるうちに全力でライフしてやる。線路は引くのが大変だが、引いたら後は走るのみである。今のうちにたくさん線路を引いたろう。

とりあえず来週の今頃にはもう家具はなくなっている算段だ。4月の末までに、圧倒的環境を整えて行く気概である。出し尽くした頃にボーナスが来る予定だ。そしてこの一年。この家に居られるであろう最後の一年。絞り出していきます。どうせ後悔するなら動いて後悔。

のっぺりとした日常の中で

サラリーマンの居心地のいいことったらなくて、ローリスク・ローリターンながらも食いっぱぐれることはまずなく、現実はどうか知らないが法律の上では休日も保証されている。土日休みや不定休など休みの形態はいいとして、各々のリズムで仕事へ向き合っていることと思う。適温のお湯に肩まで浸かっているようなものだ。

水準は低いが何不自由なく暮らせてしまっている。これが今僕にとって大きな問題である。

走り出すときを考えてみてほしい。ヨーイドンの瞬間、皆前かがみになって走り出すのではないか。あれはなぜ前かがみになるかというと、バランスを崩すためだ。あえて不安定な状況を作り出して、否応なしに足が前に出ていくようにする。究極系がクラウチングスタートで、頭というめっちゃ重い物を前に出すことによってバランスを崩しまくっているのである。

こののっぺりとした日常を生きてしまっている。バランスが取れてしまっている。ダッシュする動力が不足している。

友人にぶっ殺されそうなほど働いているくせにバイタリティの底が見えない人がある。あれはある種不安定ホリックなのだろう。不安定な所に生きてないとダッシュできないのを知っているからマゾのごとく自分を追い込みながらクラウチングスタートしまくっているのだ。

恐ろしいのが、ぬるま湯は心地よさ。今日やらなきゃいけないことなんてなにもない。ちょっと待てば次の休みが来る。次の休みでもいいや。明日仕事終わってからでもいいや。後回しスピリットがもたげてくる。

バランス崩そうと思うけど、どこから手を付けたものか。猛烈に走り出したいけど、何を犠牲にしたらいいやら。