徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

退廃的な生活への羨望

最近、ある人の依頼で真剣に曲を作ることとなり、後輩にたまたま曲のアレンジとコンポーズをできる人が入ってきたこともあって、協業体制を敷いている。

彼は大学生活を音楽制作に捧げ、いくつもの曲を作ってきたと言う。作品を聴いてみたところ、それはそれはきちんとした曲だった。編曲をしっかりしているのがよくわかった。

 

本日、彼の学生時代の作業場にお邪魔し、本格的に曲作りをしてきた。

その作業場の、退廃的なことといったらなかった。というか、なんだろう、大学生というのは退廃的であるべき生物なのだろうか。数人の学生とコンタクトを取ったが、全て、退廃的であった。作業場兼部室の、退廃的な空間に宿る学生も皆、退廃的であって、タバコと酒と趣味と留年と夜更かしで構成されていた。

 

僕は、幸か不幸か退廃とは縁のない学生生活を送った。当たり前のように毎日部活をし、当たり前のように早寝早起きで、当たり前のように酒を飲むことは少なかった。

思うように結果が出なかったこともあって酷くデリケートになっていたところもある。もっと自由な学生生活であっても良かった気はする。

 

この度、退廃を体現している学生達と出会った訳であるが、恥ずかしながらも強い憧れを覚えた。

講義とバイト。空いた時間はサークル。居心地のいい連中と日がな一日を潰す。暇ができれば酒を飲む。

あぁ、これが学生か。

一般に、体育会系の学生は少なく、大学まで部活をしていたと言うとよくやったねと評される。確かに、全力でやりきった日々だった。何にも変えがたい日々だった。

だけど、やはり考える。

何でもない普通の学生生活。おびただしい数の大学生が経験しているはずの、バイトとサークルと講義と酒とタバコと趣味に耽溺する日々。

 

多分持て余していただろう。

なんとなく続いていく4年間に虚しさを感じていたかもしれない。しかし、その虚しさすらも学生の一部であるかのような、完成された退廃を彼ら彼女らは生きていた。

 

飽きるまで退廃してみたい気分になった、個人的な休日であった。

失言をするのは、日頃考えていることだからなのか。小池百合子氏「排除」発言から考える。

衆院選が終わってしばらく。

二週間足らずの喧騒が遥か昔のように思える。投票はしたものの、政党のツイッターをフォローすることもなく、ニュース番組を頻繁に見るわけでもなく、新聞を熱心に読むわけでもない、ありがちな若者有権者然とさせていただいた。

 

ちゃちな知識でもって考える今回の選挙戦のハイライトは、

小池百合子氏による希望の党のセンセーショナルな立ち上げ⇨民進党が希望の党へ合流発表⇨小池百合子氏「排除」「さらさらない」⇨求心力低下⇨合流回避のための無所属候補が増加⇨枝野氏立憲民主党を旗揚げ⇨立憲民主大躍進・希望の党ドベドベ

というどんでん返しであろう。のそのそと動いているように感じられがちな国政関係の出来事が刻一刻と状況変化していく様は見ていて面白かった。

 

何しろ、時勢が大きく変わったのが、「排除」発言だ。この言葉が光の速さで各家庭にお届けされたところから、明らかに風向きが変わった。誰もが知るところである。

 

あの発言。

お話の流れからいうと、売り言葉に買い言葉のような側面が多分にあるんじゃないか。

「みんな明日も来てくれるかな!?」

「いいとも!」

と同様に、

「異なる理念の候補者を排除するのかな!?」

「排除します!」

と答えてしまった。そんな感じがする。

 

例え勢いで反射的に答えてしまったのだとしても、思慮に欠ける発言であることには変わりないし、言葉を選ばずにいうと、その程度のふっかけに乗ってしまうようでは甘い。

ただ、勢いで答えた側面があると考えると、今確立されている冷徹非道な女性宰相というレッテルは果たして真実なのかどうか、考える余地があるのではないか。

 

僕自身、とかく言葉遣いに気を使う職業に就いている。

敬語の類は本当に難しく、雄弁すぎると確実にボロが出てくるので、最近仕事の最重要場面では沈黙は金スタイルを貫いている。

反射的に出てくる言葉にロクな言葉はない。「はぁぁぁぁぁ」とか「すぃぃぃぃ*1」などの吐息で間を持たせてから、文章を捻り出す。

 

反射的に出てくる言葉にロクな言葉はないと知ったということは、反射的に出てくる言葉で数々の失敗を犯した証左で、また、未だに失敗を繰り返す。

自らに尊敬語を使うなんていう凡ミス。

謝罪時に「えぇ、はい、おっしゃる通りでございます。はい。」と肯定ラッシュの流れから、「そういう私も悪かった」旨のお言葉をお相手よりいただいた瞬間、反射的に「左様でございますね…」と返すミス。

なぜか途中の言葉がタメ口になってしまうミス。

数をあげればキリがない。

 

しかし、これらの失礼極まりないことを、僕は全く考えてはいないのである。

自分がご飯を「召し上がる」ようなメンタリティはとてもじゃないけど持ち合わせていないし、謝っている最中は胃がねじ切れそうな思いをしている。先輩上司お客様にタメ口なんて乱暴な言葉を使う気なんてさらさらない。

でも、気づいたら失言の泥沼に突っ込んでいってしまっている。

 

これはひとえに、気持ちを言葉にする力が足りていないのだ。訓練不足。力量不足。

たくさんの言葉の引き出しを持ち、相手の言葉に対して適切な引き出しを素早く開けることのできる力を鍛えまくれば、気持ちは確実に相手に伝わる。

相手の言葉を読み間違えたり、集中力を切らして違う引き出しを開けてしまったりすると、途端に失言のバースデイ。平謝りでは済まされなくなってしまう場合だってある。今回の「排除」発言しかり。

 

小池氏ほど舌鋒鋭く政界でやって来たお方が、今、ああいった発言をされるってことは、十全に自らの気持ちを表しての結果なのかもしれない。日本で有数の言葉の引き出し開け師なのでしょうから。

しかし一方、罪のない口の滑りだった可能性だってなくはない。

心にも思っていない排除という言葉が、「殲滅作戦*2」という記者の強い言葉に釣られて飛び出した。ただそれだけだったのかもしれない。

 

 

そんなことを考えて、小池氏の人柄を見定めながら盛衰を眺めてはいたのだけれど、パリでのお話とかを聞いているとなかなか汚名返上は厳しそうな趨勢ですね。

やはり本当に冷徹非道な女性宰相だったのでしょうかね。

*1:「イ」の口の形で息を吸い込む音

*2:だったっけ?

サラバ家賃補助〜次の家をどうするか〜

引っ越し

ここのところ最大のテーマである。

僕は間も無く引っ越すこととなる。それは、間違いない。理由ただ一つ。金銭的なそれである。

弊社の福利厚生の一つとして、本籍が遠方の場合に家賃補助が出るシステムがある。北海道北見市という異国に本籍を構える僕は待った無しで家賃補助の奪取に成功した。

しかしそこには特約がついていた。

入社してから3年間の支給。主任になったら家賃補助を外します。

 

ktaroootnk.hatenablog.com

 

僕は主任になっていた。

2万円くらい給与ベースがホップする。がしかし、家賃補助が外れる。具体的な計算式は控えさせていただくが、僕は昇進したことにより実質数万円の減給処分となった。

さぁ、すると、選択肢は二つ。地獄の赤字生活に突っ込んでいくか、引っ越すか。

正直、選択の余地などはない。引っ越さないといけない。背に腹は変えられない。

 

どこに引っ越すか

これに頭を悩ませることしばらく。悩みの種である。

今は錦糸町から横浜まで通ってはいるが、いつ異動になるかは知れない。横浜に全力で懐いていく姿勢をとった瞬間に突き放される可能性だってある。だからなるたけどこにでも動けるような立地に住んでいたいのだけれど、それが錦糸町だった…でも引っ越さなきゃいけない…と無限に悩んでいる。

本当のところの候補は四地点程度。

  • 錦糸町近辺継続路線
  • 北千住のあたり
  • 蒲田のあたり
  • 横浜全振り
錦糸町近辺継続路線

錦糸町継続路線はとても楽だ。

勝手知ったるこの界隈。一つとか二つとか駅をズラしたり、北に何マイル、南に数里動いてみたり。微動で済ませるパターンだ。生活の変化はあまりないため、ストレスは少ないだろう。

ただ、忘れちゃならないのがこの界隈の家賃相場である。高い。高すぎる。ただでさえ歯ぎしりが止まらないっていうのに、さらに歯を食いしばらなければいけなくなってしまう。歯がなくなっちゃう。

 

北千住のあたり・蒲田のあたり

北千住・蒲田に関しては弊社全事業所に比較的アクセスしやすいポスト錦糸町たる街である。さらに、この錦糸町のゴミゴミ感と風紀の乱れもきっちり引き継いでくださっている。

先日後輩から、「田中さん今錦糸町離れて閑静な街行ったら寂しくていらんないと思いますよ」って言われたんだけどあながち間違っちゃないと思った。寂しいよ。寂しい。ごちゃごちゃになれるとごちゃごちゃが愛おしい。

でも、錦糸町に準じて家賃高い。そこそこする。

 

ktaroootnk.hatenablog.com

 

横浜全振り

横浜全振りパターンもなくはない。何しろ家賃が安い通勤が抜群に楽になる。終電が遅くなる。幸せである。

ただ、万が一の異動リスクは高い。ヘッジできていない。全資金をベットしている気分である。

 

 

以上のような逡巡の結論を年内には出さなければならない。

飲み屋で知り合った不動産屋に特別になんか紹介してくんないの?って話ししたら、仕事ナメんなって窘められたので、なるほど世の中というのはそうそう甘くないようだと学んだ。次は不動産屋じゃなくて地主と知り合いたいんだけど残念ながら飲み屋に地主が来ない。どうやら特別料金で転がり込むのはなかなか難しいようである。

 

正直、あまりこの辺から離れたくない。

社会人になってから、この辺での知り合いが増えた。旧知の、とても仲のいい友達が近くに住んでいる。ご飯屋さんも、居酒屋も。

けど、そこそこな別れをしてこその次の出会いだということもわかっている。

仙川から錦糸町に引っ越してきて、全然違った世界が広がったように、錦糸町から次の街に引っ越したらまた違った世界が広がるのだろう。それは楽しみでもある。

愛着と安心が片側、期待と不安が片側に乗った天秤がゆらゆらして止まない。感情と理屈の往来に酔いそうになる。

 

正解のない、ごく個人的な悩みであった。次の春を僕はどこで迎えるのでしょうか。

日記には載らない日で構成される僕らの人生

記すことがない日とは、どういうことだろうか。

確かに過ごした一日を、記すことがないということがあるのだろうか。

 

特段何もしていない。変わったことは起きなかった。

記すことができない原因の多くは、それが日常だからだろう。

日常だもの、記す必要ないじゃない。今日みたいな日は過去にも何度となく過ごして来たから、今更記さなくたっていいじゃない。

本当にそうだろうか。

もし、日常を記すことがない日、記す必要もない日すると、記すべきは特別なことがあった日ということとなる。

はて、僕たちは特別な日ばかり生きているだろうか。いや、違う。ごまんと転がっている普通の日があるからこそ、特別な日が存在する。闇があるから光があるのと同じ論法だ。

 

日々のほとんどが普通の日。

冠婚葬祭や進級進学につき、ガラッと生活の柄が変わるような節目がところどころで存在するものの、それにも気づけば慣れて、日記にも載らない毎日がまた始まる。ちょっとした感情のデコボコもいつかは忘れていく。

 

日記には載らない日で構成されるのが僕らの人生なら、特別な日を書き留めたところでそれは人生であり、人生じゃない。日常を記してこそ、嘘偽りない人生となる。

とかく、記せるツールは増えた。SNSの類はなんでもない日を記すのにうってつけだ。大抵はクリック一回で消えてしまうがしかし。

 

このブログも、もうすぐ900記事となる。

手段と目的がごちゃごちゃになって、「続けるために続けている」ような側面も多分にあるものの、人生録を記しているつもりで書き続けることとする。

台風接近時の錦糸町は健全そのものだった

錦糸町というのは何かと物騒な街である。特に南側、首都高までの歓楽街は競馬場とパチンコ屋と風俗店とラブホテルが軒を連ね、ダークサイドに堕ちた戸越銀座商店街のようだ。

駅から家までの10分間で、調子がいいと二桁回数の「お兄さん今日どうですか!」をいただく弊ホームタウンであるが、なんと今日は人っ子一人見当たらなかった。

そう、台風である。

本格的な雨嵐になる前の錦糸町。だが、日曜の夜ということで人出も少なかったのだろう。キャッチのお兄さんも、客引きのお姉さんもいない。空いているスクランブル交差点の如き違和感を感じながらの家路であった。

 

対して、横浜の地下街は違った。

職場まで地下街を通って向かうのであるが、避難勧告が出ている最中でも爛々と光が点り、いらっしゃいませの声がちらほらと聞こえてきた。その中を家路につく僕ら。電車あるかな?動いているかな?我が身可愛さに一生懸命ホームを目指すも、四方で営業されているお店。

あなた方は帰らなくていいのかい。避難勧告出ているよ。

 

この間ばあちゃんの葬儀で向かった千葉県佐倉市。ちょうど祭りの季節だった。

佐倉の祭りは大規模で、町会ごとに神輿が出て、エッサーエッサーと街を練り歩く。出店もたくさん。法被姿のおじさんおばさん、お兄さんお姉さん、子供たち。法被じゃなかったらちょっと場違いなくらいの雰囲気になる。

街道を運転しながら、叔母とこんな会話をした。

昔は町の米屋とか、町の八百屋とか、町の農家とか、そんな人たちばかりだったから祭りでみんな一斉に休んでハレの日を迎えられた。私が小さな頃はギリギリその名残があったけど、最近はサラリーマンや公務員が多くなってしまっているから一斉に休むわけにも行かなくなっちゃって寂しくなった。

 

多分、社会が発達したということなのだろう。

日本はどこに行っても均一なサービスが受けられる。受けられるようになった。いつどこに行ってもある程度のものは揃うしある程度生きていける。

素晴らしいことだが、反面、だんだんと融通が利かなくなっていく。

 

今日は祭りだからみんなで休むか!

が、出来なくなる。だから、

台風来てるから今日は早く仕事切り上げて帰ろう。

も、出来なくなる。

隣の店が営業しているし、何より地下街自体営業してしまっている以上、店じまいをすわけにいかないのである。

 

何が健全か、それを突かれるとなんとも窮するのだが、少なくとも台風接近中の今日を切り取ると、錦糸町はとっても人間味溢れる営業の仕方をしているように思えた。

どうせ今日なんて客こないよ。

というか、こんな日に遊ばないで早く帰れよ。

そんなぶっきらぼうな優しさすらも感じた。

窓の外はあいも変わらず、猛烈に雨粒の音がしている。横浜の地下のお姉さん方の無事の帰宅を願わんばかりである。

悲しみの乗り越え方

ばあちゃんの死から、二週間。

 

ktaroootnk.hatenablog.com

 

僕は見事に日常を取り戻している。ばあちゃんとの思い出がよぎって唐突にダメになってしまうことはないし、日々のどこかに空虚を感じることも今のところはない。それがいいことなのか、悪いことなのかは、なんともいえない。

離れて暮らしていたこともあり、ある程度距離を置いて死を見つめられているところもあるだろう。一方、ばあちゃんに育てられたと言っても過言じゃない従兄弟はグズグズである。感情の根っこを掴まれてブンブン振り回されているような崩れ具合である。

多分、それは母も、叔父も、伯母も。

 

夢にでも出ておいでよ。

幽霊になってでも出ておいでよ。

どうやっても消化できない感情に晒された時、僕たちは神様に祈る。神秘を信じる。あらゆる物事、あらゆる偶然に意味を持たせる。

きっとばあちゃんがそうしたんだ。

この偶然はばあちゃんの仕業かもしれない。

 

カジュアルなレベルでいうと、女子会で失恋の話を延々と繰り返して、それを消化して行くのと同じように、僕らは悲しみに意味を持たせて消化して行く。悲しみの影に形を持たせて、悲しみを把握し、自らを納得させて行く。

「2度と会えない」という恐ろしい事実に僕らが対応しうる唯一の手段が、神秘であり、スピリチュアルなのだろう。

多分それは、悲しみに蓋をして見ないフリをするよりは余程健全な悲しみへの向き合い方だ。神秘に頼ってでも悲しみと向き合う姿勢は、友達の答案用紙に頼ってでも単位を取りたい大学生に同じで、悲しみに蓋をして目を逸らす姿勢は、山積みの課題を横目に麻雀ばっかりしている大学生に同じである。どちらが健全かは一目瞭然。

 

父ちゃんも死ぬし母ちゃんも死ぬ。

いつかはやってくる2度と会えない瞬間に、僕はきっと心底夢を見たがるだろうし、偶然のいたずらに意味を持たせようとするだろう。虚空に言葉を投げては、返ってくることがない返事を待ち、きっとこんなこと言うんだろうなって想像して、自分を納得させる。そんな未来が来る。

僕はまだ、藁にでもすがりつきたい悲しみと出会っていない。

必ず訪れるその時に、きちっと悲しみに向き合いたい。ダメダメになってでも、神秘と偶然にすがりついてでも、悲しみを受け入れていきたい。

 

従兄弟の電話越しの涙声は、悲しみと取っ組み合っている喧騒であり、空虚を乗り越えようと食いしばる呻き声だった。

その声を聞いて、思ったことを書いた。

主任になりました

この10月15日あたりの吉日をもって、僕は昇進した。名もなき一兵卒から主任になった。たかが、主任。されど、主任。主に任されると書いて、主任。

主任になってみての感慨は割とない。

理由としては、同期が割と足並み揃えて昇進するためというのが1つ、あとは、家賃補助がなくなるため実質の減給処分であるということが1つ。主任なんてなってあたりまえじゃないのよ。そんな風潮が辺りを包む。


うそです。

そんなことはなかった。

自らが昇進したために、お金という、なんともわかりやすい概念で、同水準もしくは高水準になってしまった同僚がいる。先輩がいる。実質の減給処分なんて知ったこっちゃない。いい家住んでんだからその分金払ってんだろって言われたらその通りである。自ら進んで可処分所得を犠牲にしている。捧げるものは大きい。


これまで、笑顔でいくつものことをごまかしてきた。次から頑張ります!でたくさんのことをうやむやにしてきた。

しかしいよいよ、煙に巻く作戦が通じなくなりつつある。

いや、お前そんなこともわからんのかよ。そんなんでおんなじ給料もらってんのかよ片腹痛いわ。なんなら両腹痛いわ。アニサキスかと思うわ。

そんな声がそこはかとなく聞こえてくる。

そう、僕らはいよいよ実力で勝っていくしかなくなってくるのだ。広い視野、細かい気配りと指摘。その他大勢と比べて比肩する者なきレベルで万能戦士になることが求められる。

それが主任。主に任される者としての使命。


本当の力が白日の下に晒された。今こそが気合の入れどころである。感情の見せ所である。

歯を食いしばり、足を踏ん張り、頭を回し、復習を欠かさず、同じ轍につまづくことなく走る。


終電に乗りながら決意を固くするも、この電車は最寄りにはつかない。背水のタクシーを覚悟しながら、その分の給料を稼いでいく気持ち。

屈斜路湖に面した三香温泉という秘湯について

今週のお題「私の癒やし」

我らがオホーツクが誇る湖といえばサロマ湖である。日本で三番目に大きい湖。そのくせ冬になれば全面結氷なんていうわけわからん芸当を見せてくれる湖。

サロマ湖の陰に隠れて目立たない存在ではあるものの、屈斜路湖の美しさたるや筆舌に尽くせないものがある。火口に水が溜まってできたカルデラ湖であり、絶妙な場所に配置されている中島が美しさに拍車をかけている。

弟子屈なび_観光 屈斜路湖

 

屈斜路湖面するような形で、三香温泉はある。

www3.plala.or.jp

三香温泉のホームページ

 

計2回、僕は三香温泉に行った。最初は実家の向かいに住んでいた大学教授がよく行く温泉宿だからという理由で2世帯にてお邪魔した。また、再訪は大学教授一家と我が家と親父の友達の漁師一家の3世帯でだった。

二度目が多分10年ちょっと前になるかと思う。しばらく行っていないのだが、どうやらまだ変わらずに営業しているらしい。嬉しく思う。

 

思い出に補正されているところも多々あるかもしれないが、僕が浸かった温泉の中で、ここの温泉のお湯が一番気持ちいい。数多の温泉が、三香温泉のお湯に挑んで行っては散っている。

何しろ10年以上前だから確かな記憶があるわけではないのだが、なんともいえない滑りを帯びたお湯が身体に纏わりつくようであったことを覚えている。乾ききった身体に経口補水液を流し込んだような浸透の仕方を、三香温泉のお湯はする。いつまでも入っていられるような感じがした。

 

風呂から上がって、ご飯を食べた後は、ご主人さん一家と薪ストーブを囲んで団欒の時間があった。屈斜路湖周辺はアイヌが多く住んでいるか何かで、ご主人さんもアイヌについての造詣が深い。アイヌとは…という話を聞いた記憶がある。そんな中、親父の友人は愛国心がアイヌに変なシンパシーを覚えたのか、猛烈に右寄りの思想を暖に向かって舌鋒鋭く語り散らかしていた。

季節が冬になるとアイヌの楽団が屈斜路湖のほとりでコンサートを開く。マイナス20度に迫る中、かがり火の向こうのステージでなっていたアイヌの音楽は恐ろしく神秘的で、類を見ないものだった。

そして馬鹿みたいに星が綺麗だ。街灯なんてない。街がないからあるはずもないのだが、とにかく漆黒が訪れる。コンサートから帰ってきた後、三香温泉で飼われているハスキー犬にどやされながら見上げた空は満天そのもので、吸い込まれそうな恐怖感すら覚えるものだった。懐かしい。

 

別に何に疲れていたわけでもない、あっぱらぱーな頃何度か行っただけの温泉ではあるのだが、どうも記憶に色濃く残っている。

三香温泉のお湯と、星と、ストーブ。

親父たちは温泉にお酒を持ち込んでいた。燗の日本酒だっただろうか。温泉の中でアルコールを摂取するのは褒められた行為じゃないのだろうが、あれこそが本当の愉しみ方のような気がしてならない。

僕も上京して、いよいよ行く機会が少なくなってしまったが、いずれはまた行ってみたい場所である。

うんと冷えた冬の日にでも。

魚臭い部屋

魚の匂いが充満する部屋を思い浮かべてください。ガスコンロから流れ出たそれは空気の流れに乗り、どこまでも運ばれて行く。ドアなんて隙間だらけの障壁はいとも簡単に突破。気がつけば臭いからの逃げ場が無くなる。臭気に包まれる。

それが今の僕の部屋です。

イワシを無理やりフライパンで煮たのが悪かった。イワシはがっつり買って冷凍保存していて、ひと月くらいで食べきる目安ではいるのだが、付き合い等が入るとなかなか消費しきれない。今日は見事に直帰を決め込んだため、冷凍庫内捜索をし、ぽろっと出てきたイワシを煮てみたのだった。

猛烈な充満。臭気。

なんというか、台所に行く気すら失せる。1Kのマンションは切ないほどに狭く、三歩も歩けば台所なんだけど、その三歩の間で臭気の濃度が段違いに増して行く。進入禁止区域のそれである。ガイガーカウンターを用意した日にはウィンウィン鳴って大変なこととなるに違いない。

 

昔もこんなことあったなぁと思い返したところが、およそ20年くらい前、実家で起こった出来事だった。

伯父の家だかからもらってきたくさやを家で焼いたのだった。

くさやは臭い臭い言われるからくさやと名付けられた魚なのであるが、実際のところそんなでもないでしょうとタカをくくっているそこの諸君。くさやは本当に臭い。臭いなんてもんじゃない。一刻も早くその場から立ち去りたい臭い。

よく終電とかで電車内で吐いているおっさんとかがいて、あの類のバイオテロはマジで勘弁して欲しいんですけど、その車両全体が吐瀉物の饐えた臭いでいっぱいになる感じは想像に難くないでしょう。車両に足を踏み入れた瞬間にあっ…ってなるあの感じ。嫌悪感のレベルでいったらくさやもいいとこ勝負である。

そもそもあれは居酒屋などの全く我々の生活に関与しないところで焼くから美味しいのであって、自宅なんていう拠点で焼くものではないようだ。屋外で見るゴキブリは怖くないけど部屋だと戦慄するのと同じ現象である。

 

こうしている間に臭いが幾分かマシになってきたのでちょっと片付けでもしてやろうかと思う。

いい暇つぶしであった。

躁と鬱の往来が凄い

誰しもが抱える不安やネガティブ。それらに割と振り回されやすいタチである。こいつは実に厄介な性質を持って生まれてしまった。

 

ktaroootnk.hatenablog.com

 

この記事にあるようなぶっ壊れ現象は不安の類が決壊した時に現れる。最近こそ相当にコントロールできるようになったが、心の中を不安が満たすとマジで何にも手につかなくなる。胸騒ぎで胸騒ぎの腰つきすらも目に入らない。

マックス不安の波が襲った際は、どこまでも果てしなく沈みきって、あらゆる最悪に降り注がれ、もうダメじゃん、社会復帰できないじゃんみたいな絶望の淵にまでたどり着く。

時を同じくして、いや待て何考えてるんでしょう…って冷静に省みる。そんなに悪くないぞ、現状はそんなに悪くない。言い聞かせてなんとか体を動かして日常を送る。不安のダムが歩いているような状態。

例えばそこに何かポジティブな要素が入り込んできたとしよう。不安を多少軽減させるような何かを知ったとしよう。

するとびっくりするくらいやる気と全能感に満ちてくる。なんでもこい、どんとこいの精神である。こうなった時の自分は割と動く。

 

不安からの一発逆転現象を自力で作り出そうと懸命なのが最近だ。なんというか、不安に満ち満ちた生活を送りがちである。自分で蒔いた種であったり、人が蒔いた種が禍々しい植物となって僕の体を蝕んでいたり、場合は色々なのだけれども、どちらにしろ、スタート地点は不安だ。どうやって躁に持って行くか勝負となる。

解決方法なんてあってないようなもので、気合いぶっ込んで突っ込んでいく他はない。突っ込んだ先にちょっとポジティブな要素があることを祈って。突っ込んだ先の泥沼が実は舗装されていたなんてラッキーを祈って。

でも、大抵、泥沼。って思ってた方が心は楽なのだ。不安人間からするとそうなのだ。

そういうわけで、日々泥沼を見積もり、かき分けながら進む。

冬のどろんこはとことん冷たい。