徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

あなたが死にたいと思った今日は…的なやつ

あなたが死にたいと思った今日は、誰かが行きたいと思った明日。

僕なんかほんとザコい人生しか生きていないので特段死にたいなんて思ったことはない。腹の底から生きたいと思ったこともない。そもそも腹の底から生きたいって思う場面って死にかけてる場面がほとんどだろう。観測範囲内では死にかけたことがないので、切実な生を感じたことはない。本腰入れて頑張ってたことがうまく行き出したり、彼女ができたりしてよっしゃ生きるぞ!って思うことはあるけども、その程度である。

でも世の中真剣な人生を歩いて、生きたいと死にたいがカオティックな様相を呈している人々も一定数いると伺っている。そうした彼ら彼女らを奮い立たすべく、表題のような言葉が生まれたのでしょう。そもそも死の淵に立つほどの絶望の中、言葉で救えるのかどうなのかってところもあるし、奮い立たせるような言葉より共感の方が大切なんじゃないのとも思うけど、脇に置いておく。

 

まず大前提として、死ぬより多分生きる方がいいという考えがある。

実のところはわからない。極楽浄土なんてものもある。死んだほうがよほど良い世界が広がっているらしい。死者から見たら我々現世にしがみつきまくっている人間はまだ死んでいないダサいやつだったりするかもしれない。しかし人生を考えた時、人生は死んだときに終わる。死のあと何が待っているかはさておき、死が区切りになるのは違いない。

その区切りを迎える迎えないは、人生の向きに寄る。

人生の向きは、千差万別だ。誰の人生も比べることはできない。

あなたが死にたいと思った今日は、誰かが行きたいと思った明日。これは数多ある人生をおおよそ同じようなものとまとめた上の考え方である。あなたの人生と誰かの人生を並列させて、君の死にたいは誰かの生きたいとトレードオフできるものだと迫る。

そんなわけないと思うわけですね。

人生なんて超個人的なものだ。人生は人生でも、僕の人生と親父の人生ですらしじみとあさりくらい違う。友人同士の人生だって全然違う。あなたが死にたいと思った今日は、誰かが行きたいと思った明日って考え方は、「あなたが残したグリーンピースは、誰かが食べたいと思った秋刀魚」くらいのめちゃくちゃ論理なのだ。それらを並べ立て、生きろ、生きろと迫ったところで、だってあいつの秋刀魚じゃん。くらいの感想しか浮かばない。

 

だから、それぞれの人生をそれぞれの感性とそれぞれのキャパシティを持って生きていく以外ない。本とか居酒屋とかブログとかで他人の人生を垣間見ると、エグい人生を生きている人もたくさんいるし、その程度でナヨってんじゃねーよって思うものもたくさんある。けど、それもそれなのだ。僕は僕の、その人はその人の人生を一生懸命やるしかなくて、ダメならそれまでだし、やれるならそれがいい。

そういうことです。

粛々とやっていきましょう日本。

甲州街道

今日、久々にTSUTAYAでCDを借りた。大学生の頃は狂ったように仙川の駅前にあるTSUTAYAに通って、1週間レンタル10枚1,000円の恩恵に預かりまくっていたのに、ここのところトンと借りなくなっていた。何が原因かはわからない。わからないんだけど、借りなくなってから聴く音楽の幅がぐうっと狭くなってしまったのは確かだった。

1週間ぶりに休みをもらった今日。平日の夕方、皆が会社から帰ってくる直前の住宅街に、溜まったストレスを吐き出すかのごとくギター片手に歌いまくった。指が赴くまま、声が導くままに時間を過ごし、坂道を転がるかのように加速した音楽への希求は僕をTSUTAYAへと突き動かした。

薄暮の大田区をチャリは走る。少し離れたところにあるTSUTAYAへ滑り込み、たっぷり30分物色したのち、1週間レンタル4枚1,000円でアルバムを借りてきた。仙川よりも物価が相当高いなぁ。でもこちとらサラリーマンだから気にせず借りてきた。

薄暮から、気づけば日がくれた大田区。家に急ぐは第一京浜。

すうっとフラッシュバックしたのは、大学生の頃よく走った甲州街道の景色だった。

 

そう、僕はかつて京王線の仙川に住んでいた。

最寄りの幹線道路は甲州街道。辿っていけばそれこそ甲州まで連れていってくれるらしい。甲州街道沿いの大学に通っていたので、定期は買っていたものの晴れた日であればチャリで30分くらい漕いで大学まで行くこともとても多かった。

大学生は皆バイトをして、思い思いの出費をする。中でも自転車を買う人はとても多かった。大学の駐輪場にはロードバイクが軒を連ね、肩掛けカバンやリュックを背負ったお兄ちゃんたちが颯爽とスタイリッシュな自転車を乗り回していた。

僕はあいにく部活の関係でバイトをしていなかった。すればよかったんだけど、保守的だったんですかね、しなかった。だから出費も多くはできない。4年を通じての大きな出費を考えたら、ギターを買ったくらいではなかろうか。ほとんど買い物をしなかった。

そんな人間が乗り回すチャリはもちろんママチャリである。

カゴ付きのスタイリッシュとは程遠いママチャリ。十分乗りやすいのだが、駐輪場に並んでいると欧米人の中にひとり江戸時代の男性が混じっているようなダサさがあった。

でも、なんかわからない負けん気が僕にはあった。スピードだけは、早さだけはロードバイクに負けたくなかった。普通に考えたら勝てるはずがないのである。カナブンとヘラクレスオオカブトが戦っているみたいなものなのだ。勝てないだろう。推進力もおしゃれさも叶わないけど、そこは気合いでなんとかする。脚力で、なんとかする。

主に負けん気を発揮するのは甲州街道だった。

幹線道路だから交通量は多いのだけれど、基本一本道でスピードも出やすい。ロードバイク連中にとっては格好のサイクリングロード。ママチャリマンからしたら格好の負けん気発揮ロード。

テロテロと自転車を漕いでいた時、後ろからロードバイクが追い越してきたらそれが合図だった。腹筋に力を込め、自転車の前輪を左右に振りながらぐんぐん加速させて行く。時刻は、夕方。等間隔に並んだ街頭を通過するたびに加速して行く。ロードバイクは悠然と走っているが、こっちは汗だくになりながら同じスピードで走る、食らいつく。信号で離されないように、多少の無理をしてでも同じ信号区内で走る。行きの道だとゴールが一緒だから燃える。だが、帰り道だと途中で目標物がいなくなる可能性もあった。でも、関係なかった。膝蓋腱反射のように、僕は前のロードバイクを追ったのだった。

 

夜の第一京浜。信号待ちから自転車を加速させた時、不意に甲州街道が舞い降りた。

大学生のあの頃は、まさか甲州街道を必死で漕いでいたことが思い出になるなんて思ってもいなかった。TSUTAYAで一心不乱にCDを借りていたことも。日常すぎて、特別なことは何もなかったのに、そういったことの方が色濃く思い出になっていく。別に美しくも醜くもない記憶こそ、格好の思い出の餌なのかもしれない。

異動して1ヶ月、今のお仕事から見た人事とは

九月一日付の異動だったもので、本日をもって人事部の人事労務担当1ヶ月を迎えた。本当は九月六日まで北海道に帰っていたりしたので、実働でいえばまだ三週間なのだけれど、籍でいえば1ヶ月。正直めっちゃ大変だ。処理しなければいけない情報量が非常に多いし、どれもこれも初めて出てくる事象なのでほとほと対処に困ってしまう。じゃあ、何をやってるの。何でそんなに忙しいのと聞かれると、色々…なんていう頭の悪そうな答えしかできないのも嫌なので、ちょっと今の段階で考えられていることを書いておきたい。

 

人事の仕事とは

人事と聞いて、ある人は採用活動をイメージするだろうし、ある人は人事異動をイメージするだろう。現職に着くまでに僕がやってきた職務はいわゆる営業で、「〇〇屋さん」という言い方でほぼほぼ言い表せてきた。しかしこの度の業務を言い表すのはすごく難しい。人事というから人のことだけかと言われれば、そうではない。もっと多岐にわたる業務を行っている。

じゃあなんなのよと、お前の仕事なんなのよと。

定義として大きく間違っている可能性はあるのだけれど、今の職務で今僕が感じている人事の仕事を一文でいえば、「法人が健全に営利活動をするための事」である。略して人事。人事の人は法人の人だと考えないと、今の職務に説明がつかない。

 

人事は経営スタッフ

これも人事担当職務に就いてからよく言われる言葉だ。なんで人に関わる仕事が経営スタッフなんだよって思ってたけど、法人の人だと考えてからはすっと飲み込めるようになった。

会社がやらなきゃならないことはたった一つ、利益を残すことである。唯一にして最大の使命だ。

でも、それにはルールがある。取引先を叩きに叩いて、本当は下代1000円の品物を10円で仕入れて1500円の上代で売り出したり、新卒採用で採用した若手を10円の給料で一日15時間働かせたりしたら間違いなく会社は儲かる。けど、そんなの罷り通ったら世の中スラムになってしまうから、賢い人たちがルールを決めた。労働基準法とかいうやつ。でまた最近はルールを遵守しないとコンプライアンスに引っかかるとして、あらゆる企業が正当な商売を心がけるようになっている。その上で、その上で、利潤を追求する。絶対ファウルしてはいけない市場24時みたいな企画を必死こいてやってるのが今の法人たちだ。

その法人の事をやっていく人事。その中にも様々職務がある。「採用・能力開発・厚生・勤怠」これらはわかりやすい人事の業務だろう。法人の中で働く個人、いわゆる人的資源を司っている。個人個人が適正に健やかに勤労に励むための機能。

しかしかたや労務。弊社においては、人事の中でも労務担当が最も経営スタッフっぽい。それは何故かといえば労働組合という社外組織によるものである。

 

労働組合と人事労務

大きな会社には大抵備わっている労働組合。これが果たしている役割は相当大きい。

語弊を恐れず言えば、会社は基本独裁だ。基本、社長に意思決定権が備わっている。白か黒かで揉めた時も、社長が選択した色の方向に全力で向かっていくのが企業である。けど、労働者も人だから、一個の決定についても思うところはたくさんある。不平不満がたくさん出る。そこで、民意を(労働者意を)社長に(経営者に)伝えるためにできたのが労働組合なのだ。

だから、労働組合が重視するのは、「いかに会社員が納得して平等に健やかに働けるか」であり、法律が定めた遥か手前のラインで議論が行われる。だから組合員は守られていると言われるし、実際そうなのだ。

労働組合が会社員を司り、会社員の総意としてそびえた立つ。お分かりだろうが、会社で行われる事は間違いなく会社員の手を介して行われているため、労働組合はあらゆる営業施作や就労決議を確認し、会社員として納得のいくものかを精査する。

そして我が社では僕ら労務担当が、会社と労働組合の意見をすり合わせている。

そう言った事情で会社に関わるあらゆる事象が労務担当の元に舞い込んでくる。何に忙しいかと言えば、それは会社のことで忙しいとしか言えない。何しろ経営を前に進めるための実務を行っているのが、当社の労務担当だ。

 

目的のための手段と手段のための手段

法律や組合との約束の中で、会社が「健全に営利活動をするため」に必要なことはある程度定められている。うちの会社だとこれが7項目くらいに分類されていて、それぞれに組合が担当者をつけ、それぞれに納得がいくものかを輔弼しているし、我々人事労務担当はそれぞれの実務担当者としてよりよい建てつけを考えたり組合と打ち合わせたりする。

一方営業部にいた頃はどうだったかと言えば、ある種専一になれていた。7項目も仕事は与えられなかった。「〇〇屋さん」としての営業活動でいかに収益を上げていくかが勝負だった。

大きくない会社であれば、目的と手段は密接なのだと思う。創業間もない会社なんかはきっとそうだ。ただ、事業領域が広がり、従業員が増えるとともに、目的と手段の距離が少しずつ離れてくる。いや、離れるというよりも、「売上を伸ばすための建て付けをある事業部に当てはめて、さらに課に当てはめた先の係はこういう動きをして、その係の中のお前はこう動くべき」みたいな構造。手段が手段にぶら下がっている。営業部にいた頃の本質と離れている感は、目的や意思決定から沢山の手段を経てたどり着いた部分に居たことによる。

そう考えると、今は「売上を伸ばすための建て付けをある事業部に…」あたりで情報もらって組合と殴り合いする部署にいるわけで、より本質に近い。だからこそ、本質の熱量を持ってして知らしめていかなければいけないし、組合にもぶつけていかなきゃいけない。

 

人事部の労務担当として

ラインマネジメントの外にいるから就労などの事項についてどんな偉い人でも指摘しなきゃいけないとか、七面倒くさいわりに大事なことがたくさんある。だけど、諸々鑑みると、従業員の納得性を維持しながら会社の目的を手段に落とし込む際に二者の距離を縮めて伝える仕事をするのが使命なのだろう。

かといって職責が重くなったとかそういうわけじゃない。営業部にいる者も、総務にいる者も、人事にいる者も、それぞれがそれぞれに歩み寄って、「法人が健全に営利活動をするため」にやっていくしかないのだ。そればかりはどこにいたって変わるもんじゃない。

ひとまずこんな思いを1ヶ月経ったところで抱いています。

忘れないうちに書いておきました。

 

ニラ玉

今日昼、中華料理屋に行き、僕はニラ玉を頼んだ。特に好きなわけではない。今日のサービス!ニラ玉680円!そんなに言うならと頼んだ次第だった。

ニラ玉。そこにはニラと玉子としか表記がない。ニラ玉であるためにはニラと玉子さえ入ってれば良く、それ以外に例えキャビアやフォアグラが入っていようとそれはニラ玉にとっての異物でしかない。とはいえ、僕がこれまで食べてきたいくつかのニラ玉は、なんだかんだ豚肉とかが紛れ込んでいるものが多かった。大枠でのニラ玉ということである。ニラ玉−ニラと玉子と時々豚肉−みたいな話である。

だが、今日のサービス!ニラ玉680円!は違った。純度100パーのニラ玉だった。異物ゼロ。ニラと玉子。けどニラと玉子のパワーバランスでいうと、ほぼほぼ玉子。中国における共産党員が玉子。そのほかがニラ。本当にそれくらいの割合で玉子。ここまで来るとちょっと話が違う。玉子とニラを並べ立てて「ニラ玉」と呼ぶこと自体がどうなんだ。少なくともこちとらニラと玉子のシンフォニーを期待してニラ玉を頼んでいる。なのに真っ黄っ黄。玉子炒めとしてもらいたい気持ちである。玉子炒め-時々ニラ-としてもらいたい気持ち。浅ましい僕はニラ玉プラスで豚肉すら望んでいたのに、出てきたのは玉子炒めだ。許容しがたい。肩透かにあった気分だが、ニラ玉−ニラと玉子と時々豚肉−よりは余程ニラ玉なものだから文句は言えない。

あぁ、なるほどプラトンもニラ玉からイデア論を組み立てたか。本当のニラ玉とは。そもそも、ニラ玉とは。

今日も世界は平和でした。

レースという必殺技

すっかり秋めいてきましたね東京。ほっかほかの脱脂綿を口元に当てられてるような日々を経て、びっくりするほど過ごし易い季節がやってきている。Tシャツ一枚では肌寒く、羽織ったらほんとちょうどいいくらい。これぞ北海道の夏って感じの秋である。

そんな季節になっても、まだ世にはレースが跋扈している。

盛夏の頃からずうっと思っていたけど、女性が服装にレースをチョイスする率が凄い。おびただしい。今年の流行りがレースだから何年のような事態を招いたのか、それとも例年そうなのかは知らないが、まじで右見ても左見ても前見てもレースレースレース。色とりどりのレース。

ぶっちゃけ他の格好がどうあれ、レースさえあれば女性らしいファッションになるのではなかろうか。逆に男しかできない男らしいファッションってほとんど思い浮かばない。このご時世にファッションに性差を求めるのは野暮かもしれないがしかし、ある種これは女性のアドバンテージですらあるだろう。迷ったらカレー出しといたら喜ぶみたいな必殺技である。迷ったらレース。


一度気がついてしまうと、もうどうしようもない。レースばかり目につく。秋口に入ってもなお、レースばかり目に入る。気がつくと、レースを探している。レースがいないと不安になる。いいのか?Tシャツに黒パンにパーカーで本当にいいのか?レースって柄じゃないからって、逃げていやしないか?レースは柄だぞ?そういう意味ではないか?袖口に、首元に、裾に、スカートに、レース。

考えてみれば、実家の食卓テーブルにも昔レースのクロスが敷かれていた。20年は前の思い出だ。端を引っ張ったら形が変わるクロスで、よく遊んだものだった。近沢のレースか、なんでもないレースか。わからんがしかし、思い出の地平から20年経った今、僕は再びレースに取り憑かれている。


ふと、目をやる。

モコモコしたカバンを手に持つ女性がいる。ファーである。そう、季節は秋。レースは次第になりを潜め、今度はファーの季節がやってくる。ファーってすごくないか。ファーだけで名詞って凄いぞ。こういう雑な名詞で許されるのってミランダ・カーくらいなもんだと思ってたが違うらしい。ファー。ファーにフォーカス。ファーカス。


日々はつづく。

原点回帰としての本作とJAM、素直な作曲

久々に曲を作りました。

youtu.be

 

別に温めていたとかではなく、ふわっと作ってふわっと形になって、ふわっと録音してあげた。相変わらず編曲とマスタリングばかりはふわっと出来ないし、頑張ってやってもこんなもんだった。

 

毎回毎回、いい曲できたなぁと思いながら曲を作ってる。10年前も、今も、最新作が最高傑作のつもりである。

ここのところ作った曲はどちらかといえば言葉遊びに重きをおいて作ったようなところがあった。他人が一回読んだだけでは、何を言わんとしているのかわからないような歌詞を書いて、ややこしい言い回しと語呂だけはいい言葉の中に本心を隠した。

自分としてはそれでいいし、究極自分のための作曲なので一向に問題はない。けど、主に身内の熱心なリスナーたちが最近の曲はわからないと言うので、ちょっと反省をしていた。

確かに、昔の曲は大変に聞きやすかった。明快なメロディーと、少ない音数。技術は全くなかったが、曲を作るのが好きな人が一生懸命作った感じは受ける。

色々考えてみたのだけれど、作曲ツールの変遷が原因なのではなかろうかと考えた。

かつてはギターを抱えてふんふん口ずさみながらメロディーを紡いで、メロディーに言葉を突っ込んだ。だけど、最近はパソコンの前に座るところから始まる。とにかく色々なドラムビートを流して、シンセをピロピロしながらビートができていく。それに言葉を突っ込む。曲ができてから詩を書くのは同じなんだけど、電子音が流れている中の作詞とアコギを持って口ずさんだ語感を持ったままの作詞は、僕にとっては意味合いの違うものだった。なんの証左にもならないけど、最近の曲はアコギじゃ弾けない曲が多い。

 

一方で本作はアコギでふんふんして作った。

これがまぁびっくりするほど久々の感覚だった。オーガニックって感じ。もう、超オーガニックって感じ。楽しくふんふんしてたらメロは簡単にできてきた。反省を活かして、歌詞もなるたけ言葉の数を少なく素朴なものにした。言葉の数が多いと状況説明や言葉遊びは捗るけど、何かが損なわれる傾向があるらしい。それは趣なのかなんなのか、わからないけど。

 

こうして懐かしい曲ができてきたわけだが、言ってしまうとこれはJAMである。

 

ktaroootnk.hatenablog.com

 

普通ならうまく逃げられるところなんだけど、ハチロク+C+カノンコード=JAMの法則には全く抗えなかったので、素直にJAMにしてやった。どうしてもディストーション効いたギターのアルペジオを入れたくなっちゃったり、オルガン入れたくなったり。呪縛は強かった。Aメロのコード進行が手グセで若干の抵抗を見せている。それくらいしか違いがない。

 

 

結論、素直に歌詞書いて、勝手に口から出てきた気持ちのいいメロディーを形にできたので、ほんとそれだけで満足です。

追体験ビジネス

心が何を求めているかは知らないが、YouTubeにてゲーム実況動画を頻繁に見るようになった。カードゲーム・テレビゲーム諸々あるが、かつてどっぷり浸かったゲームの沼をもう一度体験している気分になって心地いい。

別に、もう一回カード集めたいとか、ゲームめちゃりたいとかではないのだ。追体験にこそ価値がある。追体験で、お腹いっぱい。

都会でお疲れの人たちが田舎に焦がれる気持ちも追体験を願っているものであろう。追体験は実際に経験した体験に基づかなくともできる。心象の何処かにあるような風景に浸るだけで、それは立派な追体験である。

 

やはりどう転んだって思い出は美しい。特に何も考えずに遊ぶだけ遊んだ子供の頃に踏んだ轍を、もう一度歩くというのは。10人いれば10人、100人いれば100人の記憶がある中、相当数の過去をカバーするだけの大地が広がるYouTubeはすごい。そりゃ儲かるわと思う。

 

親父が麻雀の動画を見つめるのも、僕がスターオーシャンの実況動画を見るのも、追体験をくすぐられた結果だ。時間とお金にそうは困らない僕らにとって一番美味しいのは、思い出なのかもしれない。

ハチロクのCから始まるカノンコードは全部JAMになる説

天才との呼び声が高い吉井和哉が生み出してしまった曲、JAM。

www.youtube.com

 

泣く子も黙る名曲である。

 

弊ブログでも何度かハチロクについてだったり、カノンコードについての言及をしている。楽曲がリズムと音階で成り立っている中で、リズムとしての区分の一つがハチロク、音階としての区分の一つがC、コード進行としての区分の一つがカノンコード。

古今東西、星の数ほどの曲が生まれている。もちろん中には似た曲はたくさんあるが、それは、構成要素が似ていることによる。例えば、カノンコードで進行する楽曲はどれも似たメロディになるし、ハチロクは得てしてドラマチックな展開になる。それでも、メロディを上げ下げしたりなんなりで、まるっきり同じ曲は誕生しない。音楽の妙である。

 

空も飛べるはず、恋に落ちて、浪漫飛行。これらは四拍子でCから始まるサビがカノンコードの楽曲だ。時期はどうあれどれもバカみたいに売れた曲のくせして、サビの展開はほぼ一緒。ドル箱のリズムとコード進であるとも取れるし、一つのリズムのコードからいくらでも曲が作れるとも取れる。

しかし、リズムがハチロクになると途端に状況が変わる。

ハチロクのCから始まるカノンコード。これはどうやったってJAMにしかならない…いや、そんなことはないのだ。いくらでもメロディは変えられる。どんな歌にだってできる。できるはずなのに、気づいたらJAMにつられてGood Night〜〜〜って歌ってしまう。コードとリズムから、生み出されるメロディに正解があるとしたら、吉井和哉が掘り当てたJAMのメロディは大正解of大正解なのだろう。これ以外考えられない。全部持っていかれる。

シャープもフラットもない白鍵だけで紡がれるメロディに、エモさ満点のハチロク、そして、「乗客に日本人はいませんでした、いませんでした、いませんでした」「僕は何を思えばいいんだろう」「こんな夜は、君に会いたくて、会いたくて、会いたくて」。

同じ土俵で、こんな曲に勝てる曲が作れるわけがない。

 

とはいえ、久々に素直な歌ができそうなので、めげずに作っていく次第である。

寡作傾向

最近曲つくんないの?って度々聞かれる。

出会う人出会う人に曲を作っていることとYouTubeに曲をあげていることを言いがちなので、その点に関しては僕界隈では周知徹底がなされている。殆どの人たちは知ってはいるけど興味を示さず黙ってミスチルのPVとかを観ているんだけど、一部奇特な方々は度々僕の曲を聴いているらしい。嬉しい限りである。そんなスーパーニッチオーディエンス達から、最近の寡作傾向について問いただされる。

昔は本当によく曲を作ったものだった。家に帰ればギターを持ってフンフンと鼻歌を歌い、メロを作っては歌詞を作る。飽きもせず、酒を飲みもせず、健康的な作曲活動を繰り返していた。

当時と何が変わったかといえば、曲の作り込み方が大きく変わった。

あの頃は部屋で弾き語ったものにちょこっとだけオーバーダビングしてすぐYouTubeにあげていたものだから、その瞬発力たるや恐ろしいものがあった。曲ができた次の瞬間にはYouTubeに上がっている。調子がいいときは1日2曲とかアップした記憶がある。

パソコンとギターだけで録っていた頃からしばらく。今やそこそこな機材をぶん回して作曲を行っている。するとどうなるかというと、音を重ねたり調整したりの作業が結構なウエイトを占めるようになる。曲はできているけど、録るのが大変で作らなかったり、撮りかけの曲が残骸のように転がっていたり。作曲と演奏と編曲を一人でやるのは思いの外大変で、よほど鬱憤が溜まって曲に打ち込みたくならないと動かなくなってしまった。

 

実家に帰った時、昔作ったCDを聞いてみた。友達が少なかったから親くらいにしか曲を聞いてもらう人がいなかったのだ。

まぁ、聴いてみて、驚くほど作風が変わってきたんだなと感じさせられた。

ギターしか武器がなかった当時、作れた歌はフォークソングだけだった。メロ勝負、歌詞勝負。縛りがあったからからこそ、録音は雑ながら曲は丁寧に作っていたんだと思う。今はもういくらでもごまかしが聞いてしまう。作詞作曲も編曲もできてしまうから、作詞作曲へのウエイトが軽くなっている。

 

もしかしたらちょっと作詞作曲が下手になっているかもなぁとも思う。もう一度、素直な曲を書きたいなと思う。

危ない兆候

無性にほうれん草を食べたくなったあなた!それはあなたの体が鉄分を欲している証拠です!食物で採れない場合はサプリなどで補いましょう!


今まで選択肢にも上がらなかったような物事を無性に欲する場合というのは、体が心になんらかの変調をきたしている。ほうれん草然り。

僕は今、無性にお笑いを見たい気持ちになっている。落ち着いてギターを弾くでも本を読むでもない、お笑い。これはこれまで人生の選択肢にほぼほぼ上がってこなかったことで、YouTubeレベルですらお笑いの動画を再生することはなかった。なのに、お笑いが観たい。

この度職場が変わり、環境の変化の中で、良くも悪くも適応しようと懸命なのだろう。心も体も。急遽として別の鍋に突っ込まれ、一気に煮沸されて出てきた煮汁と灰汁が、お笑いだった。

毎日毎日ゴミクズみたいに面白くないかといえばそうでもなくて、躁と鬱の間の往来は激しいものの楽しい瞬間もある。だが、心底の安寧とは程遠く、安らぎの岸から離れた心の隙間を笑いで埋めたがっているのだろう。

それはそれで、これまでの人生になかった反応なので面白がってやっていきたいと思う。この数ヶ月でさまぁ〜ずとかにめっちゃ詳しくなるかもしれない。いいじゃない、それでも。

ある種の未知と遭遇しながらやっていきます頑張ります。