徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

居酒屋の5000円、玉ねぎの150円。

人の価値観というのは出費のメリハリに如実に現れる。車をガッチガチにカスタマイズしているのに草を食んでたり、毎日おんなじ服しか着てないくせしてめっちゃいいもの食べてたりする。そこに金をかけるかとびっくりすることも多い。

交際費という茫漠としたお金に惑わされ続けて早幾年。糸目をつけない気概を持ち続けた結果、どうなるかっていうと玉ねぎが10円でも安いところを探す。もやしが30円だと買わない。19円だと買う。

なんだろう、すごくバカらしく感じやしないか。

例えばそこに桶があったとしよう。水がなみなみと溜まっている。しかし、穴がいくつか空いている。さぁ、あなたは今、水の流出を止めたい。空いている穴は大小様々。どこを抑えるだろうか。無論、一番大きい穴を止めようとするだろう。そこを抑えて、次に大きい穴、次の穴。次々に埋めていくに違いない。

最大の穴が、交際費。最小の穴が、もやし。なぜもやしの穴を抑えようとするのか。なぜ、玉ねぎの穴を抑えたがるのか。

僕は経験則で知っている。交際費の穴の下には土壌があって、水をやると育つ命がある。水のやりすぎで腐らせてしまわぬよう、かといって乾かしすぎてしまわぬよう、ほどほどの水をやり続ける。もやしや玉ねぎの穴の下には特段何があるわけでもない。水を出しっぱなしにするメリットがないのだ。

そうだ、俺は日々命を育てるために交際費を垂れ流しているんだ。自分の言葉に励まされながら繰り出していく。

桶の水が底をつく日も近い。

絵が下手な人間は何も見てないんだと思う

100人を無作為に選んで一斉に絵を描かせたとしたら90番目くらいに位置するであろう壊滅的な画力を搭載した人間が僕だ。被写体デストロイヤーと呼んでほしい。

この間、「〇〇さんってどんな人だっけ。」という疑問を投げかけられ、持ちうる語彙をフル稼働させて〇〇さんについて伝えようと試みた。「スラッとした体型で小顔。丸顔と逆三角形の中間くらいの顔の形。肩くらいの髪の長さでおかっぱ。色は栗色。目は切れ長で…」散々話してみたはいいものの、全くもって伝えられずに力尽きた。その後、じゃあちょっと描いてみてよと言われ、滑らかに書けると噂のジェットストリームボールペンで描いた〇〇さんは棒人間に二本くらい毛が生えた代物でしかなかった。人と呼ぶのも憚られれるそれは、おぞましかった。〇〇さんには間違っても見せられない。

「描いてみて。」

これを言われた時、言葉で必死に伝えていた際には鮮明に結ばれていた〇〇さんの像が音を立てて崩れていくのを感じた。真白なメモ紙が脳内の像を塗り潰していった。そうして気がついた。僕は世界を見て把握しているフリをして、何もみていない。

〇〇さんに限ったことではなかった。犬とか猫とか動物を描こうとしても、必ず左から見た断面図になってしまう。正面から描いた時に奥行きがどうなっているのか全くわからない。丸みを帯びたものとか躍動しているものを描くなんて及びもつかない。

多分全部の原因が見ていないところにある。

昔から漫画を読むのが早かった。週間少年ジャンプが育ての親なのだが、それこそテニスの王子様BLEACHに関しては数十秒で読み終わった。速読だ。何しろ絵を大して見ていない。めっちゃ挿絵が入っている小説を読んでいるようなものであった。「ドォォォン」「ズバァァァァ」が僕の1週間であった。漫画家たちの技術の粋が詰まっているはずの絵の方をないがしろにし続けた。

犬猫に代表される動物さんたちも、犬を犬足らしめているエッセンスは把握しているものの、詳細については全くの盲目を貫いている。見たフリ、知ったフリだ。

先日ひどい二日酔いになって、飲んだものがそのまま出て来る状況に追い込まれた。吐きながら、苦しみながら、人は飲んだものしか吐けないんだ…と何かを悟った。吸った息しか吐けない。飲んだ酒しか吐けない。聴いた曲しか歌えないし、見たものしか描けない。

そんな折、不意に〇〇さんに会った。まじまじと〇〇さんの顔をみる。次は描けるように、次は歪んだ棒人間にしてしまわぬように。ふと我に返ると、〇〇さんは怪訝と不快感を足して2を掛けたような表情をしていた。「次はうまく書きますからね!」〇〇さんは怪訝と不快感を足して2乗したような表情になって去っていった。

 

浴衣は視覚の涼

今日の帰り道、浴衣の集団と出会った。正面衝突だった。飛行機が雲の中に消えて行くがごとく、しなびたスーツ着て虚ろな足取りのサラリーマンが赤白緑青色とりどりな浴衣の積乱雲に突っ込んだのだった。

浴衣に独特のフェチズムを感じたことはない。和装は好きだけど、浴衣が好きでたまらない!花火といえば夏といえば浴衣!みたいな盲信は持っていない。しかし今日、浴衣の乱気流に巻き込まれてみて、浴衣は視覚から取り入れる涼なのだという考えが飛来してきた。気流に乗って。

北海道の夏に青春があるから、きっと僕は浴衣が恋しくないのだ。北海道の夏の夜は涼しい。寒い寄りの涼しいである。黙っていても乾いた風が流れる。湿気がない。本州の、東京の夜は全く違う。熱帯だ。ジメジメムシムシ。どう背伸びしたって気候から涼を取り入れられない本州の人たちが選んだ道が、せめて他の五感は涼しくあろうとする道だった。風鈴しかり、冷麦やそうめんしかり。

皮膚からではない、視覚からの涼。それが、浴衣だ。

びっくりするくらいジメジメと浴衣は相性がいい。着ている人はどうかわからないが、みている人からすると不思議なほどだ。鮮やかな色使いが多い。高温多湿には鮮やかさが求められでもしているのだろうか。大好きな図鑑に載っているアマゾンの動物連中はみんな毒々しい。そのギトギトした色使いと艶やかさとの間をうまくたゆたっているのが浴衣だ。アマゾンほど苦しい気候ではないけど、モタッとする日本の夏。本州の夏。浴衣は馴染む。当然そこにあるような存在感を放つ。

いよいよ夏が始まるなぁと思う。いつでもどこでも夏を感じられる場所にいる。海もある、花火大会も国内最大級のがすぐそこである。でも僕に夏の始まりを告げたのは浴衣だった。それこそカラフルな積乱雲がもたらす夏。

そういうわけでエアコンをつけました。めちゃ涼しい快適幸せ。