徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

「デジモンアドベンチャー LAST EVOLUTION 絆」を観てきます。

昭和の終わりから平成の頭にかけて生まれた世代を、世の中ではゆとり世代という。個性と自由を掲げて伸び伸び育ったが、そもそもの方針の是非をいまだに問い直し続けられている。ゆとりだから、ゆとりなので。血液型よりも確かで、同じくらい自分たちではどうにもできない世代の業を背負って僕らは生きている。

僕の生まれ育った町内会には同い年くらいの子供たちが多く住んでいた。学校帰りには年端さまざまな子供たちが公園に会して、やれ鬼ごっこだなんだと遊びまわった。北海道は大雪山より東。地上アナログ放送の電波が山に閉ざされ、テレビ東京が映らず、アニメの多くを見ることができない地域の子供達にとっての娯楽は、鬼ごっこやゲームだった。

中でもよく面倒を見てくれたお兄ちゃんがいた。三つ上のお兄ちゃんで、学くんと言った。学くんと僕の家は徒歩1分程度のもので、類に漏れず毎日のように遊んだ。しばらく後になってわかったことだが、学くんがお母さんと呼んでいた人は実はおばあちゃんで、両親は別のところに住んでいるという比較的難しい家庭だったようだ。

学くんがお母さんと呼んでいたその人が、ものすごい数のデジモンを育てていた。

デジモン。

たまごっちのようなモバイル端末で、ドット絵のモンスターを育てるゲーム。端末の上部にはアダプタが付いており、別のデジモン端末のくっつけることでバトルができた。

学くんのお母さんはデジモンの端末を5つも6つも持っていた。子供達の憧れのマトであった。

さらに、学くんの家にはプレイステーションが置いてあり、みんなで遊んでいたのがデジモンワールドというゲームだった。

モバイル端末のデジモンからプレステにスピンオフした作品で、これがよくできた育成シミュレーションゲームだった。今でもゲーム好きの間では名作として語られるほどのゲームらしい。これにも夢中になった。寝ても覚めても、どう育てようか、どんなデジモンに進化するのかとデジモンのことを考えていた。


1999年、デジモンアドベンチャーの放映が開始される。フジテレビでの放映で、僕が住む地域でも見られる全国版のアニメ。それも、大好きなデジモンである。日曜日の朝は9時から始まるデジモンを観て、9時半からみんなで公園で遊ぶのがお約束となった。飽きたら家に入ってデジモンワールドで遊び、また外で遊ぶ。デジモンは僕ら子供達の生活のほとんど中心のような場所にあった。それから4年間。デジモンフロンティアまでのデジモン4部作は今でも鮮明に僕の、もしかしたら僕らの世代の思い出の中に残っている。


そういうわけで、最新作の公開です。

http://digimon-adventure.net/

「選ばれし子供達」のその後を描いているストーリーはいくつかあるものの、最新作にしてこれが最後の物語になるようだ。

1999年、誰しもが自分が「選ばれし子供」だったらだと思った。デジモンと一緒に旅をして、地球の危機を救えたらと思った。ただ現実は、当たり前のように学び、進学し、企業に選ばれたのか僕が選んだのか、わからないまま勤め始めている。世代の評価や是非からしても、選ばれし子供にはなれなかった世代ではなかろうか。


無限大の夢の後の 何もない世の中じゃ

そうさ愛しい 思いも負けそうになるけど


デジモンといえば和田光司、デジモンといえばbutterfly。よく考えたら、曲中でも無限大の夢の後のことを歌っている。それでもきっと飛べるのだ。根拠はなくとも。

そういうわけで、観てまいります。

人生の視野

社会に出て五年もすると、人生の視界がだんだんと固定されていく感覚を覚える。それこそ、この間マッチングアプリへの思いを綴ったが、あのアプリで横並びに確認できる異性たちの休日の過ごし方は、これぞ金太郎飴といえるような代物ばかりである。Amazonプライム、ネットフリックス、酒、旅行、ジム。僕ら平成黎明期に生まれた日本人は、ゆとり教育で個性を大事に育てられたはずなのだが、成れの果てがネットが勧めるがままの動画を漁る、金太郎飴な日常だ。どうなってんだ。職場と家、平日と休日のマトリックスの上を4次方程式のグラフの上を動く点の如く行ったり来たりする日々を過ごしている青年たちのいかに多いことか。僕も含めて。

 

現職に就いてしばらく経つ。この3月で1年半が経過する。やっていることは単純で、「お客様に対してナイスなバリューを提供する従業員が毎日最高のパフォーマンスができるような環境を整える」ことであり、基本、それ以外の仕事はない。しかし飛んでくるボールの種類は様々だ。「美味しい料理を作る」目的を与えられてはいるものの、用意される食材が毎度違う…みたいな感じだろうか。従業員の代表である労働組合の方々のご指導ご鞭撻もあり、ハゲるかと思うことも多いが、中々刺激に溢れた環境を生きている。おかげさまで、職場と家、平日と休日のマトリックスを往来するだけでも正直あまり退屈はしないし、何も面白くない締め切りや労使の約束が昼夜問わず頭の片隅にずっと居座り続けるザラザラした感覚を学べた。さらに言えば、この3月に社内環境も大きく変わるし、もしかしたら担当する仕事も変わるかもしれない。仕事の面では、しばらくずっとザワザワできそうである。

 

いくら仕事で退屈しないとはいえ、様々な締め切りと不安と圧力にまみれた仕事のことばかりを考えているといとも簡単に視野狭窄に陥る。振り子の片側で様々な事件が起こって大変なエネルギーを消費するがために、振り子が描く放物線の軌道を変えるエネルギーが不足し、同じ軌道を描くだけになる。人生の視界が狭まるのだ。飛んでくる仕事の難易度は上がっていっていることを感じる一方で、人生の視界は決して広がっていない感覚を覚えることも多い。多かった。

 

最近、人に勧められた本を読むことが幾度かあった。自分ではまず手に取らない本だが、勧められたなら読んでみる。明後日の角度から知識や感情が飛んで来るのは面白いもので、僕は横浜の歴史と文章の修辞の規則にほんの少し詳しくなった。

また、不意な出会いもあった。お店をフラフラしていると、出雲から来た煤竹クリエイターを称する職人と出会い、2時間半雑談を交わした末に母の誕生日プレゼントを購入した。僕はスサノオとクシナダの馴れ初めと煤竹クリエイターの人生に少しだけ詳しくなり、今度出雲にクリエイターを尋ねていくことを決めた。

さらに、僕の曲をバンドで演奏することとなった。以前コピーバンドに参加した時のドラムと仲良くなり、これまで温めても温めても全く孵化しそうになかったオリジナル曲の卵たちがにわかに暖かくなりだしている。

ほんの少しずつ振り子の軌道が変わってきているんじゃないかなと思う。どれもこれも、人のおかげである。他人がいないと、知らないことも知らないで生きていってしまう。それはネットじゃなかなか解決できない。知っている言葉しか僕たちは検索しないし、僕たちが知っている好みのものしか勧めない程度にネットは賢い。


人生の視野を仕事だけで広げることは難しい。職場と家、平日と休日のマトリックスの垂直面に軸を一本突き刺して、視野の外からの刺激を受ける余裕を持たせた人生を送りたい。これからも。

ブルガリアヨーグルト

ほとんど毎朝、ヨーグルトを食べている。これは今に始まったことではなく、かれこれ四半世紀を超えて歩んできた人生の中での、「ほとんど」だ。ヨーグルトの中に何を入れるかは時によりけりだが、何かを入れるものはヨーグルト意外にありえない。おかげさまで、僕はお腹を壊してもすぐリペアする能力を持った屈強な胃腸を獲得した。親の教育方針にも感謝したい。

一人暮らしを初めてはや10年近くなるが、それでも僕はずっとヨーグルトを食べている。ヨーグルト以外の選択肢を模索することも面倒なのだ。馬鹿の一つ覚えのようにヨーグルトを食べる。

一口にヨーグルトとはいえ、銘柄は様々ある。学生時代からの性分で、基本、最安値のヨーグルトを買う。PBのヨーグルトがそれであることが多く、そうでない場合は大概ナチュレの恵が最安だ。

この間、いつものスーパーでブルガリアヨーグルトが100円で売られていた。ブルガリアはヨーグルト界ではそこそこなブランドで、どのスーパーでも130円から140円ほどで販売されている。僕が普段購入する最安ヨーグルトは100円前後であることが多いため、ブルガリアまではなかなか手が伸びない。だが100円となれば話は違う。割引のお得感も相まって、購入を決めた。

 

結論、僕はブルガリアを受け入れられなかった。全く、舌に合わなかった。

100円か130円かみたいな規模の中で舌に合う合わないなんて価値観を振りかざすことは野暮なのかもしれない。だが事実なのだ仕方がない。

ブルガリアはシャバシャバしていた。水分が多いのだろう、乳清が多分に含まれたヨーグルトであった。僕が普段食しているヨーグルトはねっとりしていて、トルコ風アイスか山芋のように、スプーンにまとわりつく。主張が少ない味だから、好きに蜂蜜とかを入れて美味しくいただく。が、ブルガリアには味がある。酸味が強い。わずか30円程度の差でも、確かにそこには差があった。少しいいヨーグルトは主張を行うらしい。主義主張は要らないのだ、僕にとってヨーグルトは何にでも変化する懐深い存在であって欲しいのだ。


昔、実家でもブルガリアを食していたことがあったと記憶しているが、味や食感はさほど記憶をしていなかった。こんなにもミスマッチだとは思わなかった。

あと一食分、ブルガリアは余っている。

何を入れるか、どう食べるか。次はナチュレにしようと、心に決めるのであった。

音姫について

以前、事務棟のビルのトイレに工事が入った。トイレの新しさや美観が建物の価値に与える影響は大きい。特別古くもないが、綺麗でもないトイレだったので、手をつけたのだろう。必要投資だ。

事務棟の地下には飲食店が入居している。時間がない際にはそこで食事を済ませる。その地下のフロアには男女のトイレが一つずつある。当該フロアにトイレがなくなるのはよくないと管理会社は考えたようで、男女交互に工事を行い、どちらかが男性用トイレが工事中の時は全員が女性用トイレを、女性用トイレが工事中の時は全員が男性用トイレを使用した。賛否はあるだろうが、さして交流人口も多くはないからそのような判断になったのだろう。

 

僕も数回女性用トイレを使用したのだが、そこにはいわゆる音姫が常設されていた。用を足している音を消すために、水を流してから用を足すことが多い現代人。水も貴重な資源だからと、便座に座った段階で水が流れる音を流し、羞恥の軽減を達成しながら資源の無駄遣いを抑制した課題解決のお手本のような仕組みである。

しかしだ、清涼感を彷彿とさせるせせらぎのようでもなく、ただトイレの水を流す音を真似ただけの音である。いかにも、私トイレ入ってます!みたいなあの音、どうにかならないものかと思った。

 

そもそもの課題は用を足す音をかき消すことである。便座の構造上、たまたま水を流した時に大きな音が出るから、皆こぞって水を流していたのだ。水を流して音をかき消したい人が沢山いたわけではない。

そう考えると、あの独特な水が流れる音でなくてもいい。

例えば、LINEミュージックみたいに便座に座ったら好きな曲が流れるようにしたらどうか。今で言うKing Gnuや髭男がそこかしこで流れるわけだ。あの個室めちゃハイセンス!みたいなことも出てくるかもしれない。でもなんとなく空間として音がごちゃごちゃする気もする。じゃあヘッドホンを置いておくとかどうだろう。聞こえるから嫌なのだ。互いに耳元から音を遮れば聞こえることもない。最早トイレに何かBGMでもかけておけばいい。それで解決する。

 

乙姫とかけて上手いこと言った系の商品名だが、音姫から流れる音は、姫と称するにはあまりにも悲しいものだった。なんかもう一捻りできないものかねと、北へ向かう飛行機のなか、考える。

ふるさとは-16度の雪景色。雪が遮音材になって、しんと静まる北見だ。音のことを考えることは少し野暮かもしれない。

マッチングアプリという深みについて

何年か前から男女の出会い方として有力なものとなってきている、マッチングアプリである。出会いを求めた男女が、いい感じに加工してキメた画像を掲載、映え映えな食事の画像も掲載、旅行先でとった絶景も掲載、趣味や趣向を並べ立て、気の合う方、ご連絡お待ちしておりますと蜘蛛の巣の如く出会いを求めた包囲網を布く。一方で、異性のキメた写真が並んでいる中からいい感じの人にいいね!を送って、相手からいいね!が返ってくるのを待つ。返ってきたら連絡を取り合い、気が合えば食事にでも行く。

ヘアカタログのように並んだ異性の顔、顔、顔。

僕たちは言葉でコミュニケーションを取っていると思っていたが、どうやら違う。人は見た目が何割だか知らないが、まず顔が好かれないと日本語も趣味もあったもんじゃない。最初の一歩の踏み込みは、見た目によってなされる。見た目がクリアされたとて、その先には趣味が合いそう、日本語の感性が似ていそう、収入がどうだろう、学歴は、職場は、住んでいるところは。目が細かい割りに、すぐ破れる関係性が築き上げられる。金魚すくいのポイのように。

出会うための場に集っている訳で、日常生活ではありえないほどいいね!を送り合う。そのハードルの下がり方は恐ろしいものがある。簡単にコンタクトを取り、簡単にご飯にいく。その間、相手の姿は見えない。一度も。

古き時代、「知人の知人同士」という実際の人間関係に基づいた一定の信頼関係を担保としてお見合い文化が花開いた。あの家の子なら間違いない。それが信頼だった。時は下り、恋愛結婚が当たり前になった末に帰結しているのは、簡単な本人認証の末にアプリの会社が「この人は一定程度安全っぽい」と認めた人同士の出会いである。もしかしたら全部捏造かもしれない。宗教の、マルチ商法の勧誘かもしれない。疑いだしたらキリがない。が、相手も同じような感想を抱いて、同じフィールドで網目を張り巡らせている。

しかし、これが面白いのだ。

日常で異性との交流が多くない人ほどハマるのではないだろうか。相手が本物だろうが偽物だろうが関係のない場所までSNSは流れ着いている。目的がどこにあったかなんて気づいたら忘れ、たくさんの異性と交流を持てているような気がしている現状が面白くなっている。おそらくこれは男性特有の感覚なのだろう。先日、「生き物の死に様」という本を読んだが、生命のプログラミング上、男性(精子を提供する側・子供や卵を生まない側)はたくさんの遺伝子を振り撒くことを是とされているらしい。これだけの社会性を獲得して、出生率が下がって、愛とは。。。みたいなJ-POPが流布しているのにもかかわらず、生命の根幹は遺伝子をたくさん振りまこう!な訳だ。アプリ会社の男性側に課金させるシステムはこの辺りの生命のカラクリをうまく突いている。

 

話が逸れた。

合理化の果て、人間関係の希薄化の果てに生まれた、真偽と虚実が混じったマッチングアプリ。練習すれば誰でもできるような会話の先に、何を相性とするか、何を好みとするか。会社と家の往復、コンプライアンスの遵守の果てに人付き合いが希薄になり、出会いの断面が少なくなった世の中で広がった、出会いの世界。

芳しいなぁと思いながら、今日もまた作られた舞台の上で踊るのである。

 

恩師の定年退職に寄せて

恩師が定年退職になる。この三月で、教鞭を置く。


教師と生徒でもあり、師匠と弟子でもあった。高校3年間の学年主任が、高校3年間の部活の顧問。学業も部活も、文武のどちらの道でも手を引いてもらい、二人三脚のように走った高校生活だった。

とはいえ、人と人のことである。否応がなしに付き合いが深くなる相手と、人間としても相性がよかったのは幸運だった。今でも帰省のたびに必ず連絡をし、ご飯を食べに行き、3時間4時間と語らう。師匠と弟子というより、既に縁深い友人のような関係なのかもしれない。


定年に際して、代々の教子からビデオレターを送ることになった。何かしてあげたい気持ちを周りに相談したら、そうした形に落ち着いた。

一昨日あたりからどしどしビデオメッセージが届きはじめ、いま、懸命に作業を行なっている。僕の母校にて指導をした13年分の教え子からのメッセージ。動画編集の素人が行うにはハードすぎる業に突っ込んでいる。技術より、気持ち。技術より、気持ち。と呟きながらカチカチ作業をする。動画の時間が1時間を超えている。誰が見るのか。誰が、誰を、誰のための。


ヒト、モノ、カネ。一つのフレームワークとして使われる概念だ。モノの部分は様々だが、多くの企業がこの三要素を資源として企業活動を行なっている。

動画編集を行い、教え子たちから先生へのメッセージを垣間見ていると、教師というのはこれほどまでに人に様々なものを授けるのか、感謝されるのかと、驚く。皆、子供や夫、妻と共に画角に映り、わたしはいまこんな生活を送っていますと笑う。今の私があるのは、今の価値観があるのは、先生のおかげですと話す。これは、僕らの企業が、モノを通してカネを貰ってヒトを喜ばせているレベルでは到底到達しない人間関係だ。それは、モノとカネを抜きにして、人と人の商売…人と人のコミュニケーションだけで、教師と生徒の関係が成り立っているからであろう。社会において、そんな高純度の人間関係はまず存在し得ない。

密度の濃い人間関係に苦しむ教師もあるだろうが、密度から沢山の学びと言葉を生徒に残す教師もある。恩師がまさにそうだった。「先生のあの言葉が、あの表情が、今の私を支えています。」そんなメッセージが多い。つくづく、凄い人だったんだなと思う。


彼が人に遺しているものを思うと、自分の人生がいかに人から与えてもらってばかりの人生かと痛感する。ここまでの人生、まじでgiveばかりだ。どれだけ誰にtakeをしたらいいのやらわからない。社会人なのだから、社会にtakeしたらいいのだろうが、すると結局ヒトモノカネの話に帰結していく。カネの量で貢献度が測られるtake。思想では生きていけないから、結局は経済活動でしかなくなってしまうな、と思う。


わかりやすい出世の道を選ばず、文武の両面でとてつもない業務量をこなしながら人を育てた恩師の凄さを、恩師に向けられたメッセージに触れながら思う。

作業は果たして、終わるのだろうか。

コートを失くす

しっかり者と最後に呼ばれたのはいつだったろうか。小学生の頃、僕は人より身体が大きかったがために、しっかり者と評されたことがある。しかし、しっかり者とは性格を形容する語であり、ガタイの良さを形容する言葉ではない。小学生教師は僕の本質を全く理解していなかった。その証左が本日の出来事なのだが、コートを失くした。

意気揚々と退勤しようとした今しがた、コートがないことに気がついた。事務所の中をくまなく、他のフロアも探したが、なかった。

僕は今日、事務所から一度外出している。とある式典に参加するべく、みなとみないまで伺った。その時点でコートを着ていたのは記憶にある。帰り道にコートを着ていた確たる記憶がない。何しろ帰りは地下鉄であり、ずっと室内であった。気づかない。現に今、コートがない。自ずと導かれる解は、ホールに忘れたである。がしかし、電話をしてもホールに届けられていないとのことであるから、もうどうしようもない。

誰かに持っていかれたのかもしれないし、時差があって届けられるのかもしれない。


例えば傘もそうだ。

猛烈に失くす。高かろう安かろうを厭わず、紛失のかぎりを尽くす。粉のように失くなるとはよく言ったものだが、粉のようになっているのは自身の脳味噌か、記憶である。一つの物事に一生懸命になったら、もう片方がわからなくなる。なんとなく傘紛失への理解は多数から得られよう、が、重衣料を失くすなぞ前代未聞ではなかろうか。

どうしてくれよう、このタチを。


ひとまず、寒い。

もったいないとか、悲しいとかより、寒い。五感は感情より先に立つ。電車に乗れども、皆がもこもこなのに僕だけ明らかに場違いである。ツレがいないからギャグにもならない。寒さは切なさを呼ぶが、この場合の切なさは愛おしさを呼ばず、ただ寒いと切ないのシャトルランを繰り返す。


明日またホールに電話してみようと、心に決めています。

「パラサイト 半地下の家族」感想〜必死に生きた先の喜劇と悲劇〜

めちゃめちゃ話題になっている映画を観てきました。

 

www.parasite-mv.jp

 

パルムドールを獲得して、いよいよオスカーを手中に収めるのか、どうなのか。。。アジアの映画としては快進撃とのことだ。映画界隈に詳しくないが、すごいことらしい。

監督はポン・ジュノ。韓国の方だ。映画にとにかく疎いので、ポン・ジュノの作品と言われても全くピンとこない。本当は作風とか背景までを合わせて話を読み解ければいいのだろうけれど、知識不足である。さらに韓国にも疎い。韓国ドラマのタイトルはいくつか知っているが、1秒たりとも観たことがない。TWICEは可愛いと思うが、何人いるか確証がもてていない。多分9人ですよね?マジでその程度である。

ただ、有名だから、、、話題だから、、、と、恐ろしくミーハーな気持ちを提げ、胸を張り、2時間たっぷり観賞した。

 

物語の幕開けからは、全く想像のつかない着地を見せる映画だった。ピッチャーがキャッチャーに対して放り投げたボールが、放物線を描かずに、何らかの力が働いて渦巻きながら舞い上がって、隣のグラウンドでやってたサッカーのキーパーのところに飛んでったような。これをどんでん返しというのであればそうなのだろう。

 

だが、ネタバレ禁止だという。

面白さと怖さのために冷静な気持ちで観賞ができなかったため、パンフレットを買って帰り、物語が編まれた背景までゆっくり紐解こうとしたのだが、紙面にポン・ジュノ監督から「ネタバレ禁止だからな!よろしくな!」ってメッセージが寄せられているので、全く映画の内容には触れないでおこうと思う。

しかし、この映画から感じたことを伝えるためには、どんでん返しの一部は不可欠である。まぁよしなにやっていこう。

 

平たく言えば、家庭・家族が崩壊していく物語である。

キーとなるのが、格差だ。収入の差がもたらす社会的格差。作中では、「地上」と「半地下」と「地下」して表される。社会的立ち位置の異なる立場の家庭・人間。地上の人間からは、地下の人間のことは見えておらず、全く関与していないような気がしているが、地下の人間から地上の人間はよく見えているし、地上の人間の恩恵に預かっている。この、鈍色の相関図が白日の下に晒され、事件が巻き起こっていく。

始まりは喜劇のような本作だが、着地点は喜劇とは言えない。どちらかと言えば悲しい物語として幕を閉じる。話はコロコロと転がって、喜劇と悲劇のいろいろな側面をスクリーンに写しながら、悲しい顔を見せて止まる。

なぜ、「パラサイト」は悲しい物語になったのか。

登場人物の中に明らかな悪意があるものがいたかと言えばそうではない。地上・半地下・地下。それぞれが懸命に生きようとした。人生に染み付いた匂いが異なる人間同士が、いつもより少しだけ深く関与した。それだけなのだ。

 

一生懸命生きているのに、悲劇に着地してしまう作品。これは何を意味しているのかというと、一生懸命に生きている舞台に一石を投じていると考えられる。

つまり、韓国社会のあり方に対するアンチテーゼだろう。

本作を観てから、まとめサイトで韓国の情勢について調べたけれど、格差の広がりはえげつないほどらしい。今の僕のように、「駅から徒歩15分ちょっとかかる1Kのマンションに一人暮らしだけどネット環境が整った部屋でぬくぬくと今日観に行った映画の話を書ける層」みたいな絵に描いたような中流層は日本より少ないようで、裕福か貧困かの二者択一社会が広がっている。

その代名詞が、半地下と北の攻撃から身を守るためのシェルター付き豪邸なのだろう。懸命が報われない社会の悲しさを表した本作である。メッセージを痛いほど感じた。

 

 

個人的な話をすると、この先どうなるかわからない展開を直視することができない。以前も似たような話をブログに書いたのだが、この性は何年経っても治らない。

 

ktaroootnk.hatenablog.com

 

ちゃんと物語を掴んで、ポン・ジュノの思いを汲み取るためには、もう一度、展開を把握した上で観ないといけないなと思っている。

 

以上。

今年の抱負

高校時代の同級生たちと飲んだ。随分と親しくしている気がするけど、よくよく考えたら高校3年の時1年間だけ同じクラスだっただけの付き合いだった。縁やらゆかりやらはわからないものですね。

年2回は会っているような仲良しもいれば、ゆっくり話すのは久しぶりの人もいた。高校時代の話も、最近の話もした。そしてやはり、今年の抱負に話が及んだ。この時期ならではである。生き方、決めたいこと、やりたいことや買いたいもの。三者三様十人十色、揚げ連ねられた今年の抱負。

一方で、医療現場に従事している友人もおり、彼女らからは生きていくことを支援すること、死んでいくことを支援すること、どっちも業務としてありえて、それぞれに主観を交えずに仕事に当たっていく強さを学んだ。生とは?なんだ?

 

僕もその場ではそれらしく今年の抱負を唱えたけれど、テクテク歩きながら今日の出来事や最近の考えを反芻して、果たしてなにを道標に生きて行こうか考えた。

二つある。

生き物として生きることと、人間として生きること。

どちらも達成したい。これは今年の目標でもあり、これからの目標でもある。

 

生き物として生きること

人間は面白いもので、万物の霊長とか言ってあらゆる生物の頂点にたってますみたいなことをいいながら、その性質は全然生物っぽくない。生物一般が生命の保存や種の保存を史上命題に掲げて結果にコミットしようとしている側、人間はと言うと、エヴァンゲリオンがまじで半端ないとか、万里の長城作ってみたとか、Twitterでちょっとバズったとか、恐ろしく生命の営みに反することで一喜一憂しまくっている。

これは、シュモクザメで言う目と目がどれだけ離れているかとか、キモモマイコドリで言うどれだけムーンウォークがうまくできるかのような、生命として優れているとみられる特徴が多様化していて、シンプルにガタイが良くてたくましいとかだけでなく、社会的にどれだけ優れているか(お金を持っているか)、歌がうまい、趣味が合う、ぱっちり二重、声が可愛いなどなど、様々な特徴のなかで何が優れていて欲しいかを個々が決められるようになっているためである。

じゃあ、自分は生物として、どんな特徴がある人が好ましく思うのか、どうありたいのかは、自分じゃなきゃ決められない。この辺りの、生物としての自分を決めていきたいと思う。

この軸のポイントは、生物の史上命題は種の保存であり、これを満たしてしまえば、生物としてはいったんご苦労様でしたになる点。お相手探し。菅田将暉はまちがいさがしをして2019年のヒーローとなったが、僕はお相手探しである。売れる気がしない。

 

人間として生きること

人間が面白いのは、人間として生きることができるからだろう。

そもそも、今年の抱負なんて会話ができる時点で、人間としての生を享受しまくっている。「今年」を感じることができるのも、「抱負」を抱くことができるのも、万物において人間しかいない。

天体が巡りゆくのを観察し、地球の動きと宇宙の動きを照らし合わせて日々を区切り、一年を決める。その上で、自分がどうしたいか。大抵の生物が生命にインプットされた行動を緻密に履行して効率よく子孫繁栄を目指す中、人間は進化しすぎたのか、一人一人がそれぞれの価値観をもち、それぞれの判断のもとで生きる。結果とし現れる行動が生物として正しくても正しくなくても関係ない。主観として、楽しく、意義があることなら、あらゆる活動が人間らしさを帯びる。こんな生のあり方は、人間にだけ許された特権だろう。

 

昨年は社会的な変化もあり、日々に追われて、訳もわからないまま走った一年だったが、もしある程度余裕が出てくるのであれば、2つの生き方を心に留めて次の一年を過ごしたい。

この判断は生物として正しい。人間の生としてこうしていきたい。とかって呟きながら。

線路と障害物

朝、電車に乗って出勤する。改札口の都合上、僕が乗るのは先頭車両だ。世に言う出勤ラッシュから少し遅れた時間が出勤時間であることと、下りの電車で出勤するため、比較的座って出勤ができる。車両のなかでどこに座るかは日によりけりだが、もし一番前の席が空いていれば、そこに座るようにしている。夏休みの少年がガラスにへばりつき、車掌さんの一挙手一投足に注目するような、あそこまでの熱量ではないが、先頭の眺めはとてもいいものである。

線路の上には、遮るものがない。どんな住宅街でも、山でも海でも、線路上に障害物はない。車だって、余程の田舎じゃない限りは前後に車両がある。普段の生活で、視界前方進行方向になにも遮るものがない状態なんてそうそう巡り合わないだろう。

社会だってそうだ。特に最近の業務なんて、向かう先障害だらけである。誰を仲間にして障害を越えるか、いっそ越えないでかわすか、、、みたいなことをずっと考えている中で、障害がない景色が妙に新鮮に映るのかもしれない。

思えば、トラックレースには障害がなかった。ハードルをやってたから障害だらけのトラックレースをしてきた競技人生だったのだが、動く人、ものは自分のレーンで自分だけだった。先頭でゴールできたら、少なくとも最後の数メートル、数十メートルの間で視界の中で動くものは自分だけである。最高だったな。

 

先頭車両の一番前の席に乗ると、今の立場と過去の思い出がないまぜになってとても芳しい気持ちになる。特に左に緩やかにカーブしていくルートなど、そのままトラックレースとフラッシュバックする。もっと、もっとこのスピードのまま進んで行きたいなぁと思う頃には、降車駅がきて、社会の障害物競走に入り込んでいくのである。

前を見ながら身を憂いて過去を振り返っている場合ではない。

進め、進め。

 

さぁ、本年も働きます。

 

今週のお題「2020年の抱負」